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§11.2 議員の発言は自由に/ 尾崎行雄『民主政治読本』

議員の発言は自由に

 これまでの議会では,大臣はいつでも勝手に発言することができたが,議員は色々の制約をうけて,自由に発言することはできなかった.いやしくも立法府の議員において,行政府大臣の発言権の方が,立法府議員の発言権よりも優遇せられなぞということが,いかに不合理千万であるかくらいはわかりそうなものだが,長い間官尊民卑でならされた国民と議員は,それを不合理とも不都合とも思わず,あたりまえのこととしてこれまで見すごして来たのである.
 一たい議員の発言権は,絶対に自由でなければならぬはずのものである.これを制限することは,議会政治の自殺であるが,わが国の議会では,20名乃至30名の議員の賛成者がなければ,動議を提出することも,質問演説をすることも,法律案その他の議案を提出することもできないような取きめをして,議員の発言権に大きな制限を加えた.これは,少数党または無所属議員の発言を圧し殺し,且つ政府の統制を保つために考え出したことである.
 私は,日本の政党が,どうしても親分子分の封建的徒党の性格を脱しきれないことを幾度か体験した結果,すべての政党にあいそをつかして,1人ぼっちの無所属議員となった.そのため,長い間,議会でものをいう機会をうしなってしまった.
 私はマンシュー事変以来の軍部のやりかたをみて,国家の前途をあやまるものと思い,幾度も議会で群をたしなめる演説をしたいと思ったが,オザキに勝手な演説をさせることに賛成したら,軍からにらまれることを恐れたためかどうか知らないが,ともかく,その都度2~30名の議員の賛成署名を得ることができずに沈黙を余儀なくせられた.もっとも,あの当時,必要なだけの賛成議員の署名を得て,思うままのことを議会で演説したら,牢に入れられるか,暗殺せられるかして,今頃まで生きることは許されなかったであろう.
 議場の改造は,民主政治の外形を整えることである.議員の発言を完全に自由にすることは,民主政治の内容を充実することである.私はこのさい,議員の発言または発議権の自由を拘束している,一切のとりきめを全廃せよということを,政党と議員と,国民の良識に訴えておく.


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Cf.
(1)尾崎行雄『咢堂清談』(未來社、1947年)の「大臣席は不要」の章。


底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年4月12日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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