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~話を聞くなんて、誰にだってできるじゃないか~『モモ』

がくさんです。

地方公務員6年・国家公務員2年(出向)・民間企業(IT企業)2年を経て、個人事業主として独立。その後、現在はクラウドファンディング企業のキュレーターとして働きながら、認知科学のプロコーチとして活動している33歳一児のパパです。

noteを書くのもだいぶ久しぶりですが、その時に思ったことを1テーマでさくっと書きなぐるスタイルでこれから定期的のような不定期タイミングで数百文字程度で投稿していきたいと思います。

ゴールデンウィーク中にミヒャエル・エンデの「モモ」を再読しました。

小さなモモにできたこと、
それはほかでもありません。

あいての話を聞くことでした。
なあんだ、そんなこと、
とみなさんは言うでしょうね。

話を聞くなんて、
だれにだってできるんじゃないかって。

モモ(岩波少年文庫P23より引用)

ただじっとすわって、
注意深く聞いているだけです。

その大きな目は、相手をじっと見つめています。

すると、あいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。

モモ(岩波少年文庫P23より引用)

するとしゃべっているうちに、ふしぎなことに
じぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。

いや、おれはおれなんだ、
世界じゅうの人間のなかで、
おれという人間はひとりしかいない、

だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。

モモ(岩波少年文庫P24より引用)

この空間、世界観を再現したい。
ほんとうの「きく」。

言語情報の「きく」のほうがおそらく得意傾向にあるが、非言語情報を含めた総合的な「きく」。

発語はビリーフシステムから出力された結果。
結果はあくまで結果。その結果を出すに至ったまでには何があったのか。

それ以上に、
非言語で表出されている情報を汲み取ること。

話し手が自分で話しているうちに自分の価値に気づく。この世界観。しびれる。思わず文章に線引いてしまいました。

コーチ目線で読みましたが、
物語としても面白い一冊です。

話を聞くなんて、誰にだってできるじゃないか
本当にそうなのか。本当の意味での聞くとは?


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