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イスラエル日記9日目

この日も早く目が覚めたのでこっそり部屋を抜け出して、庭でデボーションの時間を持ちました。
大好きな静かな時間です。

大学の庭

山下り

この日はエルサレムの西にある、Satafという山に行きました。
Jesusはよく自然や身の回りのものを例え話に使いました。
この日は山を下りながら実際にその植物などを見て、Jesusがどんなものを使って、どんなことを伝えたかったのかを学びました。

山の山頂までバスで行って、そこから徒歩で山を下りました。
奥に見えるのはエルサレム。

いばら

まず見たのは「いばら」です。
聖書では創世記3:18で初めて出てきます。
人類最初の人間、アダムとエバが神様に背いて善悪の知識の実を食べた時、人間に罪が入りました。その罰として神様は地にいばらを生えさせました。

いばらが生えるところには他の植物は育ちません。人間は苦労して食物を作るはめになりました。
Jesusは種まきの例えの中でも、種の成長を妨げるものとしていばらを使っています。(マルコ4:7)

このように、聖書の中でいばらは罪の象徴として使われているそうです。

いばらが出てくる有名なシーンは、Jesusが十字架にかけられる場面です。Jesusはいばらで作られた冠を被せられて十字架にかかりました。
それは、人類の罪を被って十字架にかかった事を象徴しているのだそうです。

なるほどー。

いばら。Jesusはこれで作られた冠を被らされました。
手前はいばら。確かにいばらが生えているところには緑、他の植物は生えていませんでした。種まきの例えも納得です。
山を歩いて下って行きます。

いちじく

いちじくは豊穣を象徴する植物の一つだそうです。(申命記8:8)

いちじくの木は育つと結構巨大になるらしくて、ヨハネ1:48ではナタナエルがいちじくの木の下の日陰で休んでいた事が書かれています。

いちじくの実は夏がシーズンだそうです。
マルコ11章には、Jesusがいちじくの木を枯らせる有名なシーンがあります。
Jesusがお腹を空かせてあるいちじくの木に近づいたところ、まだ時期が早くて実をつけていなかったので、腹を立てて?その木を枯らせてしまいます。
そのいちじくの木も可哀想に。それを見た弟子たちもさぞかしびっくりしたことでしょう。

いちじくの実。
まだ青かったんですが割って食べてみました。
思った通りすっぱくて全然おいしくなかったです。
左はいちじく、右の木はオリーブの木。
聖書で出てくる植物がそこらじゅうにあって感動します。

当時の家と畑

当時、このあたりの人たちは洞窟に住んでいたそうです。

洞窟があちこちにありました。

そして、食物を得るために畑を作りました。山間の地では当時から段々畑を作ったそうです。
イザヤ5:1-6では、背き続けるイスラエルの民に神様が怒って、ぶとう畑を滅ぼす宣告が書かれています。そこで登場する石垣というのは段々畑のための石垣なんだそう。なるほど。

石垣。これは新しいものですが。
見渡すと今でもたくさんの石垣、段々畑がありました。


もう一つ、先生のベッカが面白い話を教えてくれました。
ルカの福音書9:61,62にある話についてです。

61 また、別の人が言った。「主よ、あなたに従います。ただ、まず自分の家のものたちに、別れを告げることをお許しください。」
62 すると、イエスは彼に言われた。「鋤(すき)に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません。」

ルカの福音書9:57-62

Jesusに従うには、身の回りのことではなく、神様と神の国を第一にしてまっすぐ従うことが大切だと説明しています。

62節の部分がちょっと分かりづらいんですが、ベッカの説明を聞いてとても納得しました。

当時は、動物に鋤(すき)をつけて畑を耕したそうです。

テキストにあった、鋤を使って耕す人の図。

これが結構大変で難しかったそうで、相当の技術と集中力が必要だったそうです。
一定の力で鋤を上から押さえつけるのだそうですが、力が弱いと土を耕せないし、強すぎるとスタックしたり石に弾かれたりしてしまうそうです。
同時に動物をまっすぐ進ませる必要もあります。

畑をうまく耕すためには、まっすぐ前を見て、動物や地面から目をそらさず集中する必要があったそうです。

Jesusはこの例え話の中で、世のことに惑わされるのではなく、鋤を使って畑を耕すように、まっすぐ神様、Jesusに集中して歩む必要があることを説明しました。

当時、鋤で畑を耕す難しさを知っている人々にとって、とてもわかりやすい例えだったことでしょう。さすがJesus。

それからさらに山を下ると、水の音が聞こえてきました。
岩から湧き出す水が泉を作っていました。

右上の部分から水が出続けています。

当時のイスラエルの人々にとって、水はとっっっても大切なものでした。人が生きていくにも、植物を育てるにも水は必要不可欠です。

この日もそうでしたが、7月のイスラエルはめちゃくちゃ暑いです。昼間は40℃くらいが当たり前、高い時には43℃にまでなりました。

外にいると常に汗が噴き出しているし、暑さで喉がすぐ渇きます。
当時は今みたいに簡単に水が手に入るわけではなかったので、喉の渇きは死活問題だったことでしょう。

この泉のほとりでみんなでヨハネの福音書7章を開きました。

37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

ヨハネの福音書7:37-39

私もクリスチャンになる前は、自分を満たすためにいろんな方法を試しました。
人生を楽しむために快楽や生きがいを求めたり、人生の意味や目的を求めたり。喉が渇いている人が水を求めるように。
ここには書けないような事もたくさんしてきました。

でもそういったことっていうのは、その時一瞬満たされたとしても、すぐにまた渇いてしまうものでした。そしてまた次のものを求めていました。

5年前にJesusを信じて、すべてが徐々に、そして大きく変わりました。
38節に「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」って書いてあるけど、これ、本当だなって思います。

今は昔みたいなことをしなくても、心が本当に満たされています。
たまに渇くことがあるけど、世の快楽とかよりもJesusのもとに行く(祈ったり聖書読んだり、クリスチャンの人と話したり)のが間違いない方法だなって、経験してわかってきました。

こんな素晴らしいギフトをくれる神様に感謝です。
僕らにもわかる言葉で聖書に残されていること、感謝です。

イスラエル博物館

午後はイスラエル博物館に行きました。
とても大きな博物館でいろいろなものが展示されているんですが、今回は聖書やJesusの時代にまつわるものにフォーカスして回りました。

入り口
ローマ時代のお風呂(サウナ)。下に暑い空気を送って、モザイクをほどこされた台に座って汗を流したそうです。当時、風呂場は娯楽の場でありつつ、政治などいろいろな話をする場でもあったそうです。ある意味、今でいうゴルフみたいなものだったそう。
亡くなった人の骨を入れる箱。当時は遺体を数ヶ月、洞窟などの墓などに置いて、骨だけになったら骨を集めて箱に入れたそうです。
当時の水がめとモザイク画。聖書には、Jesusが水がめに入った水をワインに変える奇跡の話があります。

死海文書

イスラエル博物館の目玉の一つは「死海文書」です。
聞いたことのある人も多いと思いますが、死海文書は二十世紀最大の考古学的発見とも言われているものです。
1947年に死海周辺で、世界最古のヘブライ語の旧約聖書や、聖書関連の写本など972の文書が見つかりました。それらは紀元前250年から紀元70年頃のものでした。

死海文書が見つかるまでは紀元1000年頃のレニングラード写本と呼ばれるものが最古の聖書写本とされていました。それが一気にそれより1000年も古いものが出てきたんです。
しかも、これまでに見つかった写本と差異がとても少なかったというから驚きです。
死海文書の発見によって、今僕らの読んでいる聖書が2000年も前のものとほとんど違いがなかったっていうことがわかったんです。すごい。

(次の日に、死海文書が発見されたクムラン洞窟という場所に行きました。また詳しいことはそこで書きたいと思います。)

博物館では、有名なイザヤ書全文はレプリカで展示されていましたが、それ以外のたくさんの文書を生で見ることができました。
残念ながら写真撮影は禁止されていたので写真はありませんが、、、。

この不思議な形の建物の中、地下に死海文書が展示されていました。


博物館の敷地内にはJesusの時代のエルサレムの街の模型もありました。
すごいスケールでわくわくしました。

当時のエルサレムの模型。手前にあるのはソロモンが建てた神殿。
手前がヒンノムの谷、右がキブロンの谷。神殿の手前にあるのはダビデの街です。当時の巡礼者は、ダビデの街を通って神殿に向かったそうです。
写真、真ん中の岩地は、Jesusが十字架にかかったゴルゴダの丘。
当時、十字架刑は見せしめのため、道路の側で行われました。また、城壁の内側を清く保つために城壁の外で行われました。
昔の聖書の写本はこんな風に、トーラーって呼ばれる巻物に書かれていました。
羊皮紙などが使われていたそうです。
トーラーをしまっておく入れ物。これは1873年のシリアのものだそうです。

この日もたくさんの事を学んだ、盛りだくさんの1日でした。
感謝です。

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