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感動的なプロ棋士の実話、『聖の青春』を振り返って

 将棋の世界には様々なドラマがある。前回、私は将棋を指すことにハマり、棋力を高めることに執念を燃やしているという内容を書いた。

 同様に、私はプロの将棋を見ることにもハマっている。そこには様々なドラマがある。最近では、藤井壮太王位・棋聖が話題に上ることが多い。最年少記録を次々と塗り替えているが、現在の強さを見ていると、今後もその進撃が止まる気配はない。私は藤井時代の幕開けに生きていられることに興奮を覚えている。

 これまでの将棋界において、時代を作ってきたのは間違いなく羽生善治九段である。将棋界最高のレジェンドであり、様々な伝説を作ってきた。そして、羽生九段は50歳を超えた現在もトップレベルで闘っている。私は、一世を風靡した羽生時代をリアルタイムで見ることができなかったので、その分藤井時代に期待しているのである。

 将棋は個人競技であり、競技者である棋士にフォーカスされることも多い。それゆえドラマが生まれ、ファンを魅了する。私は現代の棋士の情報を追い始めたのだが、ある日古参のファンである親戚から1冊の本を手渡された。『聖の青春』という小説であった。

 私が生まれて間もない頃に亡くなられた、村山聖という棋士の、将棋に捧げた人生を描いた小説である。様々ある棋士のドラマの中でも非常に有名なものであり、私はその時代を全く知らないが、非常に感動させられる内容であった。今回はそんな『聖の青春』を振り返ってみる。

 村山聖という棋士の人生は将棋ファンの心を強く打つ。5歳でネフローゼという難病に罹患し、少年時代は病院や療養施設で過ごした。そこで将棋をはじめ、才能と努力でのし上がったのが村山聖という棋士である。病気のために入退院を繰り返し、身体が動かなくなるようなことも頻繁にあったようだ。しかし、村山は時間があれば将棋会館に通い、勉強を積み重ねたという。そして、プロ棋士となってからはメキメキと頭角を現し、東の天才羽生善治と並んで、西の怪童村山聖と称されるまでになった。最高ランクの順位戦であるA級にも参戦し、谷川浩二王将とのタイトル戦も戦った。しかし、癌が見つかり、その転移が原因で29年という短い生涯を終えてしまう。短い人生に込められた将棋への情熱と、将棋界における確かな足跡が、世代を超えて感動を与えていると感じる。

 村山は難病を患いながらもプロとなり、そして偉大な実力を示した。確かにハードな運動は求められないものの、勝負が朝から深夜にまで及ぶことのある将棋という競技において、病身の人間が活躍することは容易ではない。村山としても、這うようにして対局場に向かい、長い対局に臨むということも多くあったようである。

 このような村山の将棋に対する情熱・執念が人々を熱くするのだろうか。もちろん、村山には溢れんばかりの先天的な将棋の才能があったのであろう。しかし、それを開花させたのは気迫や執念であり、たゆまぬ努力の成果である。才能とは磨かなければ価値を発揮しない。また、磨き続けるためには並大抵ではない精神力が必要である。『聖の青春』という小説は、情熱と努力の偉大さを改めて教えてくれた気がする。このような物語を読んだ後は、自分にも何かできそうな気がするのだが。

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