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「母性神話」と「自己責任論」に支援が汚染されていないか。

「ひとり親」に対する社会の風当たりは、強い。

もっと言うと、「DV被害者」に対する風当たりもまた、強い。

自分自身、母子家庭で育ったこともあり、ひとり親支援も行っていたNPO法人フローレンスに就職した。

そしてDV相談員の方の採用支援や、民間シェルターの運営など、DV被害者の方の支援に携わらせてもらってきた。

この風当たりの強さの根っこを考えるに、思い当たることがある。

それが「母親なのだから、当然。」という「母性神話」的な考え方と、「自己責任論」だ。

僕は母親ではないし、ましてや親ですらない。

しかし、仕事をしていて、「母親なんだからさ……」という考えが頭をもたげることがある。

頭の中に「正しい子育て」「あるべき子育て」という価値観、人生観が横たわっている。

僕以外の支援者もまたそうかもしれない。

これこそ、我々を汚染する「母性神話」だろう。

最近、「虐待予防は母子保健から」という本を読み感銘を受けた。

地域保健に携わり、精神科医である鷲山先生はこの本の中でこんな原則を説く。

現場での援助の大原則

①援助者自身が母性神話に汚染されていないか、十分に内省する
②母性神話を押し付けない
③叱責しない
④頑張りなさいと励ましてはならない
⑤孤立無援感に深く共感する
⑥これまでの努力を十分にねぎらう
⑦これ以上頑張らなくてよいと保証する
⑧母親をやらなくていい時間をつくる、そのための具体策を一緒に考える、育児負担を軽減、もしくは免除されて正当だと保証する
⑨一人の援助者が抱え込まない

虐待予防は母子保健から

首がもげるほど頷いたし、この本を布教し続けている。

この、「子育てを母親一人に担わせない」という原則こそが、を考える上で重要だと強く感じる。

いやいやでもさ、「自分で産んだんだからさ……」という「自己責任論」のような考えが頭をもたげることもまたある。

しかし鷲山先生はこうも言う。

母だけに責任がある、という自己責任論は、母子保健の領域では成立しません。なぜなら、援助対象は親ですが、受益者が子どもになることがあるからです。

虐待予防は母子保健から

母親なんだから、自分で産んだんだから。

自分の中に、そうやって、母親や、親に子育てを担わせようとしていないか。

ましてや、何年にも及ぶDVから逃れてきた人に対して。

このような気持ちは、我々一人一人の心の中にある気持ちでもあり、母親を孤立させる文化でもある。

子どもを社会で育んでいくために、母親機能を担わされた女性がよく生きていくために、改めて自身の価値観から問う必要性を感じている。

社会問題は我々の価値観の写し鏡でもある。

鷲山先生の書籍も参考にさせて頂きながら、母子を助ける新しい事業もつくっていきます、少しずつ、価値観を再構築しながら。


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