「母性神話」と「自己責任論」に支援が汚染されていないか。
「ひとり親」に対する社会の風当たりは、強い。
もっと言うと、「DV被害者」に対する風当たりもまた、強い。
自分自身、母子家庭で育ったこともあり、ひとり親支援も行っていたNPO法人フローレンスに就職した。
そしてDV相談員の方の採用支援や、民間シェルターの運営など、DV被害者の方の支援に携わらせてもらってきた。
この風当たりの強さの根っこを考えるに、思い当たることがある。
それが「母親なのだから、当然。」という「母性神話」的な考え方と、「自己責任論」だ。
僕は母親ではないし、ましてや親ですらない。
しかし、仕事をしていて、「母親なんだからさ……」という考えが頭をもたげることがある。
頭の中に「正しい子育て」や「あるべき子育て」という価値観、人生観が横たわっている。
僕以外の支援者もまたそうかもしれない。
これこそ、我々を汚染する「母性神話」だろう。
最近、「虐待予防は母子保健から」という本を読み感銘を受けた。
地域保健に携わり、精神科医である鷲山先生はこの本の中でこんな原則を説く。
現場での援助の大原則
首がもげるほど頷いたし、この本を布教し続けている。
この、「子育てを母親一人に担わせない」という原則こそが、を考える上で重要だと強く感じる。
いやいやでもさ、「自分で産んだんだからさ……」という「自己責任論」のような考えが頭をもたげることもまたある。
しかし鷲山先生はこうも言う。
母親なんだから、自分で産んだんだから。
自分の中に、そうやって、母親や、親に子育てを担わせようとしていないか。
ましてや、何年にも及ぶDVから逃れてきた人に対して。
このような気持ちは、我々一人一人の心の中にある気持ちでもあり、母親を孤立させる文化でもある。
子どもを社会で育んでいくために、母親機能を担わされた女性がよく生きていくために、改めて自身の価値観から問う必要性を感じている。
社会問題は我々の価値観の写し鏡でもある。
鷲山先生の書籍も参考にさせて頂きながら、母子を助ける新しい事業もつくっていきます、少しずつ、価値観を再構築しながら。
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