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日本にいる外国籍の子どもたちの現実

前回の投稿 で、沖縄移住までの経緯を大まかに書きました。

ここからはその後について書いていこうと思います。


同じであることは日本全国共通の意識なのか

沖縄に移住して、すぐにうちの娘は地元の公立小学校に通い始めました。

前の学校と比べると外国籍の子どもや、

うちの娘と同様に多文化ミックスの子どももいて、

一見居心地良さそうでした。


しかし、大多数の子どもは沖縄生まれ、沖縄育ちで、

飛行機に乗ったこともないという子もたくさんいます。


彼らにとっては、日本語英語両方を使い

(しかも日本語は関西弁)、

自分の意見をズバズバ言う娘が面白くなかったのかもしれません。


地域にも多くの外国人が住んでいるので、

娘は彼らと英語で会話をすることもあります。

その様子を見ていた同じ学校の子どもたちに

「うわ、海外かぶれ」と言われたり、

英語助手の先生が授業に来なかった時にも

「お前、ハーフなんだから英語話せるだろ?

お前が先生探してこいや!!」と言われたり、

チクチクと引っかかる出来事が多々ありました。


全ての人ではありませんが、一部の島の人たちに

自分たちとは「違う」タイプの人間という扱いを受け、

娘はすごく怒っていました。


怒れるようになっただけマシだなぁと私は見てましたが

(前はひたすら内にこもって自己肯定力を

下げていただけでしたから)、

それでも学校の居心地が悪いのには変わりありません。

ここでも、「違う」ということが「悪い」につながってしまう。

とてもがっかりしました。

沖縄の子どもたちに非があるというよりは、

これは日本の画一化教育の弊害なのだろうと感じました。



気になって仕方ないならポジティブに気にしようよ

みんな娘を目の敵みたいに扱うくせに、

やたらと気にするんです。

嫌いなら無視すればいいのに。

放っておいてくれればいいのに。

娘のいないところで勝手な噂話が流れます。

しかもその99%は全くの嘘。


もう地元の小学校には通わず、

インターナショナルスクールに通っているにも関わらず、

昨日(2020年4月3日)は近所の元クラスメイトに

「お前、このコロナウィルスの騒ぎの中、

アメリカのおじいちゃんおばあちゃんのところに

遊びに行っているって言われているぞ」と

言われたそうです。


ふざけんな、です。

うちの夫は日本の永住権を持つアメリカ人で、

アメリカ政府から「日本の医療はこのままだとパンクするから

アメリカに帰っておいで」とのメールを受け取っています。

それでも、今アメリカに戻ったら、

当分日本に戻ることはできないでしょう。

永住権も剥奪されてしまうのではという不安もあります。

アメリカ国籍を持たない私は入国できません。

家族がバラバラになってしまうと分かっているので、

夫はアメリカには全てが落ち着くまで帰らないと

心に決めています。

アメリカに暮らす夫の両親(今は元気にStay at home中)に

何かあっても帰れません。


世界中に夫と同じような状況の人がいる中で

うちの娘に対して「アメリカに遊びに行っている」

という噂が流れているということに憤りを覚えました。

人が好き、外出が好きな娘を家に出来るだけ居させるために

こっちはどれだけ奮闘してるかってんだよ。

何も知らない人間が、根拠ない噂流すな!!


とまぁ、コロナウィルス騒動でピリピリして

感情的になってしまいましたが・・・。


私が言いたいのは、

気になる相手なら、くだらない噂なんて流さずに、

相手の良さを認めて仲良くしようよってことです。

あの子スタイルがいいな、と憧れるなら

何かスポーツしているの?と聞いたり、

あの子英語が話せて羨ましいなと思うなら、

私も英語を話したいんだけど、どうすればいい?と

話しかけてみたりすればいいんじゃないですか?

そういう人との関わり方を教えてこなかった大人にも

問題はあると思いますが、

今の日本社会全体に感じるのが、

気になる相手から学ぶのではなく、

気になる相手だから陥れる、ってこと。

この場合の気になる相手というのは

自分と違う人、自分にはないものを持っている人

という意味です。

うちの娘が特に何かに際立っているとは思いませんが、

地元の子どもたちにとっては異質な存在のようです。

異質な存在を陥れて、自分たちと同じ列に並ばせようとしている

ような気がしてなりません。


同じことができなくて当たり前

この、「同一化させよう問題」(今、命名)は、

現在沖縄で暮らす私たちの周りに数多くいる

外国籍の子どもたちにものすごくネガティブな影響を

与えています。


例えば、ヨーロッパ系のお母さんと、アフリカ系のお父さんを

持つ小学生の男の子A君のお話。

明るく元気で、動物が大好きで、心優しいA君。

ある程度の日本語でのコミュニケーションは取れますが、

日本語が母語ではありませんので、日本の公立学校の

授業についていくのは大変です。

日本語が苦手な子のための特別教室に通っていましたが、

昨年度に校長先生が変わり、方針も変更されました。

「君は日本語話せるんだから、授業も他の子と一緒に受けなさい」

と担任から言われて、教室で授業を受けるも、

漢字は読めないし、社会の授業内容もチンプンカンプン。

当然です。

日常会話レベルの日本語コミュニケーション能力と、

日本語を母語とする子が受ける授業に必要な

日本語能力では、格段の差があります。

A君はだんだん学校に行くのが辛くなり、

「特別教室に行けないなら、学校に行きたくない」と

言い出すようになりました。

学校の先生は「じゃあ、教室で授業受けるのが辛いなら、

保健室で過ごしたらいいよ」とA君を説得し、

A君は嫌々ながらも登校しました。

保健室で過ごしていると、担任の先生がやってきて

「教室に入りなさい!」と嫌がるA君を引っ張り出して

無理矢理教室に連れ行きました。


その翌日から、A君は一切、学校に行くことをやめました。


次に、北欧から来たB君のお話。

B君のお母さんは日本人、お父さんは北欧の方です。

日本に来る前から、日本の勉強はある程度していましたし、

お母さんと日本語で会話をすることもありましたが、

彼の母語は北欧の言葉。

元来真面目な性格のB君は、沖縄の公立小学校に入ってからも

出された宿題はどれだけ時間がかかっても仕上げ、

授業の内容や先生の話が100%理解できなくても

毎日学校に通っています。

担任の先生は、外国から来た子供への理解は低めで、

とにかく地元の子と同じ行動を期待します。

運動会のフォークダンスなんて、みたこともやったことも

なかったB君が、初めての体育の授業のフォークダンス練習で

呆然と立ちすくんでいたら、

「なんでみんなと同じことをやらないの!

そんなとこに突っ立ってたら、邪魔よ!」と担任に言われました。

「そんなところに突っ立ってるくらいなら、

真ん中に立ってなさい!」とダンスを踊る他の子どもたちの

ど真ん中に、B君1人立たせたそうです。



家庭以外にも安心して過ごせる場所のある幸せ

それまで全く違う文化や環境で暮らしてきた子を

地元の子どもたちと同じ列に並べることなんて

できないのです。

逆に言えば、あなたが急にポルトガルに暮らすことになり、

そこの人たちと全く同じように感じ、考え、行動することなんて

できないのと同じです。

別にポルトガルじゃなくても、

ラオスでもシエラレオネでもいいのですが。


A君、B君のようなケースは他にもたくさんあって

そういう話を伺う度に、気持ちが沈みます。

彼らの多くは、日本にずっと暮らす予定はなく、

数年後には母国に帰る、もしくは他の国に移る予定に

なっています。

日本のカリキュラムに則って、日本で画一化された公教育を

受ける必要性を感じていません。


かといって英語が母語でない子供たちにとっては、

インターナショナルスクールに通うことも難しいのです。


子どもにとって、学校は安心できる居場所。

家庭以外にもう1つ過ごせる場所があることの素晴らしさは

コロナウィルスの休校措置を経験して、

多くのご家庭が感じたのではないでしょうか。


外国籍の子は日本国籍の子のような

教育を受けさせる義務が法的に保障されていません。

憲法と教育基本法には日本国籍を有する子に普通教育を

受けさせる義務を負うと書かれています。

しかし、文部科学省によると、

「国際人権規約等の規定を踏まえ、

公立の小学校、中学校等では入学を希望する外国人の子どもを

無償で受け入れる等の措置を講じており、

これらの取組により、外国人の子どもの

教育を受ける権利を保障している」

とあります。


この「外国人の子供の教育を受ける権利」

という中に、彼らにとってふさわしい教育、

望ましい教育という目線はないように感じます。

学校という枠組みの中で、できる限り柔軟に

彼らにとって必要な学び

(例えば、第二言語としての英語や、

彼らの母国のカリキュラムに準じた勉強など)が

できる環境を作ることはできないのでしょうか。

小学生〜中学生という伸び盛りな子供たちが、

安心して過ごせる学校が見つけられないという問題が、

私の周りで頻発しています。


もちろんこれは、外国籍の子どもに限らない問題でしょう。

日本の公教育の枠内にすんなり収まる子ばかりでは

ありません。

彼らにも学ぶ権利があり、

家庭以外に安心して過ごせる場所や

同じくらいの世代の子達と関わって

社会性を身に付ける場所が必要なのです。


彼らは例外的だからと片付けていい問題ではありません。

学校以外の教育という選択肢を増やしていくことは、

子どもたちが個性を生かしながら成長していくために

不可欠なことだと考えています。


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