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音楽への触れ方②


音楽への触れ方②

 気持ちの良い音楽の感触を知った僕が、自らその快感を生み出したくなるのは必然で、小学生の頃から貯めていたお年玉貯金を切り崩してエレキベースを購入した高校1年生の冬。
 
 初めて購入したベースは初心者セットのベース本体、アンプ、シールド、ソフトケースが付属している安いものだったけど、それでもアンプにシールドを挿して弦を弾いて初めて音を出した時は感動で武者震いしたのを覚えている。

最初は指が全然思い通りに動かないし、力の入れどころが分からず無駄に力んで指先に豆ができては潰れ豆ができては潰れを繰り返し、それでも毎日RED HOT CHILI PEPPERSの曲を合ってるか分からない耳コピして徐々に聴けるレベルになっていった。

ある程度弾けるようになると、当然バンドを組みたくなるわけだけど、僕は友達も知り合いも少なかった為、当時バンドに誘えそうだったのは親友のMだけだった。
Mとは入学当初から多少ながら音楽の話ができる唯一の友達で、ブルーハーツやsex pistolsが仲良くなるキッカケでもあった。
それでもまだMは音楽にハマりきっていなかったことから、今バンドに誘っても断られると思い、ある作戦を練る。作戦と言っても何枚かCDを貸すだけなのだけど、その何枚かを慎重に選んだ。

カートコバーンの容姿と服装、そしてしゃがれた歌声と歪んだギターに衝撃を受けたアルバム
「NIRVANAのIn Utero」

殆どの曲のベース、ギター、ドラムの絡みが即興のセッションの様でunder the bridgeではこんなに美しく感傷的なギターがあるのか、と感動した
「RHCPのBSSM」

ドッカンドラムに聞いたことの無いような、良い意味でこもった歪みのあるギターが新鮮だった
「THE WHITE STRIPESのelephant」

慎重に考えた結果この3枚を貸すことに。
今思うと凄く高校生らしい選択だなぁ、と少しむず痒くなってしまう。

 なるべく慎重に、自然な流れでMにCDを渡した。
次の日、Mは僕が予想していた何倍もの良い反応があり作戦は大成功だった。
その流れでバンドに誘ってみると二つ返事で承諾してくれた。しかも、パートはドラムが良いと言うことで僕のバンド活動は発足から順調に進んでいった。

と、思ったのだが問題が発生した。
練習の場所が無かったのだ。
音楽室を借りようにも、そこは既に吹奏楽部の領域で、外部でスタジオを借りようにも金銭的問題と自転車しか移動手段が無い事がネックとなりなかなか活動開始とはならなかった。

結局Mとの活動開始は高校卒業後に持ち越される形になったが、それでもバンド活動を諦めきれなかった僕はインターネットのバンドメンバー募集のホームページで既に活動しているバンドを探して、何とか参加するまで漕ぎ着けた。

そのバンドでは僕だけが高校生だった為スタジオ代は要らずに練習場所までの足も車の免許を持っていたボーカルの人が送迎をしてくれた。


 しかし、何回か一緒に練習している内に音楽性の違いを感じ始める。
その音楽性の違いを感じているのは僕だけではなかった。
ギターを担当していたRも僕と同じような気持ちで、Rと2人で脱退をする事を決意。
 この件でRとよく話すようになり、音楽性もドンピシャで合うことが判明。
ボーカルの引き留めがしつこくてバンド脱退まで1年近くかかってしまったものの、その期間中にずっとRとの交友が持てたことは大きな収穫で、僕やMが高校を卒業して真のバンド活動を始める際にRは僕らのバンドに快く参加してくれた。

この3人での活動は、まさに僕の、そして2人の理想としていた音楽を生み出し、さらに3人の感性が相乗効果となり楽しくて仕方がなかった。

 また新たな音楽の道を見つけた僕らは、さながら技術の発展と共にそれに伴う文明の進化の様に驚異的なスピードで色々なジャンルの音楽を触って感性を刺激し合いながら曲を作る日々を送る。


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