完全理解夫婦
数ヶ月前、私は絶望的な気持ちでいた。
無力感、空虚感。
どれだけ努力しても、行動しても、全てが空回っている感覚。
ここにいてはいけない。
でも、どこへもいけない。
視界はぼやけてうまく進めない。それでも変化を求めて、焦燥感ばかりが充満していた。
30歳の私。
夫と出会ったのは11年前。結婚して9年が経っていた。
どこで思い違えていたんだろう。
夫婦とは、100%お互いを理解し合うものだと思っていた。
遡ること十数年前、家族とうまく信頼関係を築けていなかった私に、初めての彼氏ができた。
その時「やっと自分の全てを受け入れてくれる相手ができた」と思った。
自分の100%をぶつけてもいい相手。絶対的なもの。許容してくてる存在。
それがそもそもの間違いだったのだけど。
のちに、結婚。
夫とは時々、喧嘩をした。
甘えて、ぶつかって、話し合って、立て直して。
その繰り返しが、私は嬉しかった。
お互いの内面を晒して、理解し合う過程。
それこそが夫婦である意味だと思っていた。理解を深めれば深めるほど、相手と自分が近づき、一生の安寧の場所が完成するものだと。そう思い込んでいた。
私たちの喧嘩のはじまりはたいてい、相手に対しての不満から始まった。それを話し合い、お互いの妥協点を見つける。そんな作業をしていた。
そんなことを5年ほど続けた頃だろうか。ふと違和感を持ち始めた。
近頃なぜか、いくら話しても解決策が見つからない。
問題点(不満)に対して、どういった解決策をとればいいのか、わからない。
そしてただ、いらだちをぶつけ合うだけの喧嘩になっていた。
何の進歩も達成感も無い。
お互いを傷つけ合った感覚だけが残る、後ろめたい、後味の悪さ。
なぜそうなったのか?
以前は夫に対して「家事を手伝って欲しい」「携帯ばかり見ないで欲しい」など、ああして欲しいこうして欲しい、という要求をぶつけていた。そして、「じゃあこれからはこうするよ」という、ゆるい約束事を持つことで解決としていた。
しかし、私が夫に求めていたものは、違うところにあった。
私が本当に伝えたかったのは「さみしい」「もっと私を大事にしてほしい」という気持ちだった。
私はただ、愛情を感じられず、さみしいだけだった。
私にわかる方法で愛情を示してほしかった。言葉で、態度で。お金もプレゼントもいらない。私を見ていて欲しい。それだけだった。
ぼんやりとそんな気持ちに気付き始めたんだろう。
しかし、当時はそれが自分でもうまく理解できず、「何を求めても結局意味がない」「何も変わらない」「なんとなく不満」という気持ちだけが残った。
そして、なんとも実りのない喧嘩ばかりになっていた。
そんな状態のまま、数年が経った。
そして数ヶ月前、私の虚無感がピークに達した。
とにかくさみしかった私は、夫に話し合いを求めた。言葉を交わして相手の感情を理解し合うことが、私の愛情確認でもあった。
しかし、夫はあまり応じてくれなくなった。暗い雰囲気の話し合いは精神を消耗するし、良い結果にならないと感じていたんだろう。
私が話し合いを求めれば求めるほど、夫は逃げた。
私は、夫のその態度にますます愛情を感じられなくなった。
理解し合う姿勢こそ、夫婦のあるべき姿なのに、なぜそれを放棄するのか?
それがなければ、夫婦である意味はどこにあるのか?
本当に分からなかった。未来が、何も見えなくなった。
そんな時、ふと人から「どうしてそんなに理解し合いたいの?」と聞かれた。
・・・
私が求めていたものは、改めて考えてみると、ふたりがひとつになるイメージだった。理解し合って、全て受け入れて、指先から溶け合って、混ざり合って、脳みそも合体して、新しい生き物になる感じ。(こわいね。)
「どうしてそんなに理解し合いたいの?」
ぽとりと落とされた言葉がじわじわと、胸の内に広がってきた。
みんな、夫婦なら、恋人なら、理解し合いたいものじゃないの?
それが当たり前じゃないの?
・・・もしかして私は、理解し合うことを求めすぎているのか?
ああ、そうか。
100%理解し合うのが夫婦、ってわけじゃなかったのか。
100%理解するためには、理解できていない部分を”否定“しなければいけない。だから辛かったんだ。
相手の「ここが理解できない」という部分があっても、いい。無理に擦り合わせる必要はない。それと同時に、自分の全てを受け入れてもらう必要もない。
初めてそれが心から理解できた瞬間だった。
人と人が、信頼し合っている姿に憧れていた。
絶対領域みたいな。安心安全。永久保証、みたいな。
涙か出るほど、私が渇望していたもの。
それを手に入れるには、ぶつかり合って、話をして、ふたりがひとつになることが必要だと思っていた。
でも、そうじゃなかったんだな。
私の目の前に、座っている人がいる。
私には理解できない相手の一部も一緒に、そこにある。
あるなー、って思う。それだけだった。
話し合って妥協点を見つけたり、自分の中に無理に取り込む必要はなかった。
そんなことに気付いたのはつい最近のこと。
やっと、人間関係というものがわかり始めたんだろう。やっと。
まだまだ間違えるし、いっぱい傷つけちゃうし、正解を探してしまう。愛情の渡し方もわからない。
それでもやっと、私は転び方を覚えた。
今までは転ぶことすらできていなかった。うまく歩けずに、だからといって転ぶことすらできずに、よろけながら生きてきた。
私はこれから、転んで、立ち上がって、ようやく歩き方がわかっていくんだろう。赤ちゃんみたいに。
<最後に>
ここに至るまでに関わってくれた全ての人へ、
たくさんの気付きと優しさをありがとうございました。
この記事が受賞したコンテスト
サポートありがとうございます! いつか、どこかでお会いできたら嬉しいです。