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「偶然なのだろうけども……」

 12年前の1月4日、両親が亡くなった。

 8年前の1月4日、父方の祖父が亡くなった。

 6年前の1月4日、姉が亡くなった。

 あとで調べたけど、45年前の母方の祖父の命日も1月4日で、23年前の母方の祖母の命日も1月4日だった。ビックリした。

 ただ、4年前、父方の祖母の命日だけは3月4日だった。何でだ。

 偶然なのだろうけど、「1月4日」は私にとって家族の大半の命日であり、ちょっと怖い日だ。

 何が怖いって、1月4日に、私か、私に関わる誰かが死ぬんじゃないかと、どうしても思ってしまうのだ。そもそも12年前、私の親友も両親と同じ事故で亡くなっているので、それも引っかかる。

 そんなわけで、恋人との時間も1月4日は微妙である。妄想なのだろうが、もう既に1月4日は私にとって出来れば来て欲しくない嫌な日だ。

 そして、私は、これを回避する為に、ある「禊」を行っている。「もの」を家族と称して、毎年1月4日に殺すのだ。

 「人」の代わりに「もの」を殺し、意図して「命日」を作る。これを姉の死んだ翌年から、要するに5年、5回、今までにやっている。

 その顛末を少し話したい。

(5年前 2018年) 東ひかり 23歳

 1月4日 。明日が怖い。どうにも怖い。昨年、姉が死んだが、次は私の番なのか? どうにもその考えが止まらない。

 私は一人暮らしである。1DK6畳のアパートに住んでいる私はいかにも心細い。その日、彼に来てもらおうかとも思ったが、それはやめた。縁起が悪そうだし。彼も命日候補の一人だから遠ざけたい。

 私は正月気分でお酒を飲みながら過ごしていた。会社は休みだけど、そもそも1月4日に外に出たくなかったし。仕事どころではない。明後日から会社だが、どうにも腰が重い。そう思いながら、明日死ぬ妄想が頭をよぎり、一人、小さい頃からお気に入りのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。

 その時である。ふと「禊」の考えが浮かんだのは。

 飲んでいたせいもあるだろう。

「このぬいぐるみ、私の代わりにならないかな?」

 ぬいぐるみには大変、愛着があったけど、私の代わりにぬいぐるみに死んで頂けば、私以外の家族の命日が出来るのでは? と考えた。

 その時、時刻は23時過ぎ。そろそろ「あの」1月4日がやってくる頃だ。

 時間の頃合いが丁度よかったというのもある。1月4日、0時ジャストからそれをはじめた。ぬいぐるみを「殺す」のだ。

 殺し方は簡単な話、ぬいぐるみをほどいてバラバラにして捨てた。バラバラにするまでに結局、朝までかかったが、丁度ゴミの日だったので、そのままゴミに出した。ぬいぐるみのゴミ出しを「死んだ」事にして良いかは迷ったが、単なる私ルールなので、それで良い事にした。

 幸いにもその年の1月4日はぬいぐるみ以外、誰も死ななかった。ホッとした。成功したと思った。次の年からも私は「禊の命日」を作り続けようと決めた。

 こうしてこの年から、1月4日は禊の日となった。嫌な一年のはじまりだが、過ぎれば、スッキリするので、それもまた良いのかもしれない。まさしく禊である。

(4年前 2019年) 東ひかり 24歳

 この年は「ワイン」を殺した。何だそれは? と思われるかもしれないが、話を聞いてほしい。

 この年は前年の禊を受けて、一年間準備して命日を作ろうと思っていたのだけど、意外と何を殺すかは難しい。もう一回ぬいぐるみを買おうかとも思ったが、ぬいぐるみを何にするかも難しい。家族の代わりなので、なるべく愛せるものが良いだろうとは考えたが、何が良いものか?

 そんな考えの下、この年買ったものが「ワイン」だ。

 私と同じ年に生まれた24年物の地元山梨産ワインを買って、毎日眺めた末に飲む事にした。これはもはや単なる趣味のようだが、禊のために何を買うか考えた結果、こういう実用的な結果に至った。一年経ったので、考えが雑である。

 そもそも、この年は、あまりにも何にしようか迷った結果、結局、決められず、時が過ぎていた。そんな迷いに迷った折に、ネットでお酒の情報を見ていたら、自分と同じ年齢のワインを見つけたので、これは愛せるのではないかと思いついたのだ。今年は彼を誘って、一緒に飲んで、これで禊を済ます。これでいいや!

 これが失敗だった。

 結果から言うと、1月4日の0時から私は彼とワインを飲み干し、その日は何事もなく終わったが、この2ヶ月後の3月4日におばあちゃんが亡くなった。これでかなり動揺した。

 おばあちゃんの死に対して、こんな事を思うのもどうかと思うけど、真っ先に頭に浮かんだのはワインへの後悔だった。もっとちゃんとしたものを考えればよかった! そんな後悔やら、おばあちゃんの思い出やら色々な感情が相まって、私はおばあちゃんのお葬式で大泣きしてしまった。

 この事を経て、事情を知った彼氏も話に加わり、よりちゃんとした「殺せるもの」を考えるようになった。彼は、はっきりと死が分かるように虫とか蜘蛛を飼って殺したらどうかと言っていたが、流石に虫は愛せないし。殺すのも悪い。その日、結論としては、観葉植物を育てる事にした。

 しかし、この観葉植物というのが曲者だ。デヘンバキアという植物をそれほど吟味せずに買ったけど、意外と育てるのが難しい。というより、仕事が忙しかった頃は忘れて水をやらない日が続いたり、もはや愛情どころでもなく、観葉植物の事も命日の事もその時は忘れきっていた。

 そんなデヘンバキアは冬に入りかかった11月頃、気づいてみれば、しおれて、もはや生きてるのかどうか分からない状態になっていた。

「生きて!」

 そう願いつつ、必死に水をやったがそれが余計に悪かったようだ。デヘンバキアはどう見ても枯れた状態に陥って、1月4日を待たずにおそらく死んでいた。

 私は、しまった!と思ったが、彼氏曰く「そもそもデヘンバキアが早く死んだのなら命日の法則自体が崩れたんだよ。おばあちゃんも3月4日でズレてたしさ」と私を慰めてくれた。

 いや、慰めただけでもなく、正直このアホらしい「禊」に愛想を尽かして終わらせたかっただけかもしれない。それはそれで私もそう思う。でも、おばあちゃんの事を思い出し、ムキになって、やはり私は別の「もの」を殺す事をまた考えはじめた。

(3年前 2020年) 東ひかり 25歳

 この年は「靴」を殺した。

 観葉植物にしようと思って月日が流れ、準備不足で新年を迎えたこの年は、急遽、部屋の中を探し回って、友人の結婚式の時に買ったハイヒールを引っ張り出して、これに決めた。この靴は大変高価で初任給で奮発して買ったもので本当に愛着がある。これならば良いだろう。

 しかし、高価な靴というのは頑丈だ。どうやって壊せばいいのか。私には無理だった。結局、今年も彼を呼んで部屋にあった工具をかき集めて解体してもらった。

 彼はいかにも馬鹿馬鹿しいといった感じで「本当に良いのか?」と言いつつやっていたが、途中で楽しくなったのか、解体に熱中しているようだった。

 しかし、靴を解体するのは大変時間がかかるようで、見てる間、無性にムズムズした。というのも、こうして他人任せにして冷静になると、こんなどうでもいい事で私の高価な靴が壊されるのはどうかと思ってしまったからだ。しかし、幸い、その年の1月4日も靴以外、死ななかったし。これでよかったんだと思えた。とりあえず、私は「来年もやらなきゃ!」と決意を新たにした。

 この後である。良いアイデアが思いついたのは。

 来年について、彼と話し合った結果、結局、家族にとって一番重要なのは「名付け」ではないかという結論に至ったのだ。

 これは確かにそうなのかもしれない!

 そう思った私は、この話のあと、彼と飲みながら、勢いで部屋中のものに名前をつけていった。これで私の部屋のものが大半、私の家族になったのだ!!

 面白いもので名前をつけると意外と愛着が湧いてくる。ティッシュ箱の「青くん」ですら、だんだん名前を呼ぶうちに家族に思えてきた。ちょっとおかしいが、感情が何故だか揺れるのだ。

(2年前 2021年) 東ひかり 26歳

 この年に殺したのは古いガラケーの「メロディ」だ。

 古いものがまだ残ってたので、名付けた瞬間これだろうと思っていた。意外と面倒な解体方法は入念に調べて行なったが、解体してる間、ああ、このケータイには本当に思い出が詰まってたなーと思い、不覚にもほろっとしてしまった。傍で彼氏が「見せろよ」とうるさかったけど、とりあえず私は「もう壊れて動かないよ」とごまかした。幸い、ガラケーはきちんと解体できてお亡くなりになり、元彼とのやりとりを含む私の過去のデータは永遠に消去された。そして、その年の1月4日も私たちは無事に生き延びた。

(1年前 2022年) 東ひかり 27歳

 この年は遂に「青くん」を殺した。

 ちょっと悲しかったけど、コーヒーをこぼして汚れたので殺しやすかった。青くんを殺すというと些か物騒だが、実際には汚れた木製のティッシュ箱をガキンとハンマーで叩き割っただけである。これはこれで傍から見ると物騒だろうが、やってる時は結構テンションが上がって、なるべく粉々に砕き割った。結構うるさかったので、ご近所迷惑だったかもしれない。すいません。そして、この年も私たちは無事に生き延びた。

 さて、名付けで禊もスムーズになってきたが、来年はどうしよう?

 実は3年前の観葉植物の話には続きがある。デヘンバキアを枯らしたあと、もう一回チャレンジしようと思って、今度はカポックを買ったのだ。それが2年前だけど、カポックは今もまだ生きている。「カポちゃん」という名前をつけて、何とか育ってくれている。

 カポちゃんで気を良くしたので、私はもう一度デヘンバキアを買った。「デヘちゃん」である。我ながら名付け方が安易だが、名付けにより愛情は増し、今も共に暮らしている。

 こうして調子に乗った私は他にもいくつか観葉植物を買った。もはや、すっかり趣味であり、本当に家族であり、もうこの子たちを殺すなんて、もってのほかである。そして、「共に住む」事に目覚めた私は友人に提案された保護猫も譲り受けて、ピーと名付け、いま共に暮らしている。

 こうして「1月4日」は思いがけず、私の生活を豊かにしてくれた。では、これを受けて、来年の1月4日は、どうすべきなのか?

 この事を彼に相談したら、案の定、大体、思った通りの答えが返ってきた。もう、それはいいから、結婚して一緒に住もうという話になったのだ。観葉植物を増やすには私の部屋は狭すぎるし。猫においては可哀想ですらある。元々、猫のために引っ越そうと思っていて、その事を彼に話していたのだが、ならいっその事、郊外に一軒家を買って、そこで一緒に暮らそうという話になったのだ。思い切ったなーと思ったが、その提案は今までで一番嬉しかった。

 こうして私たちは「禊」から卒業する事にした。

(今年 2023年) 東ひかり 28歳

 引っ越しは当然まだだったが、今年の1月4日は、例年、部屋にこもりきりで行っていた禊をやめ、二人でちゃんとお墓に行き、お父さんとお母さんとお姉ちゃんとみんなに結婚の報告をした。そして、その足で市役所へ向かい、私たちは結婚した。

 こうして私の家族の命日だった「1月4日」は、私たちの「結婚記念日」となった。

 外出するので、途中、交通事故に合わないかビクビクしたけど、そんな事は全くなく、禊をしなかった今年も結局、私たちは無事に生き延びた。まあ、それはそうなんだろう。姉が亡くなってから、もう6年。その生きてきた時間こそが私たちの「禊」となったのだ。

 こうして、私の人生は「1月4日」という数奇な命日に振り回されたけど、おかげで観葉植物たちと出会い、ピーと出会い、彼との仲を深めるきっかけとなって、結果的に良かったのではないかと思えるようにまでなった。偶然の出来事は時に人生のスパイスとなる。この先どうなるかは分からないけど、年の初めに家族のことを思い、新しい一年を向かっていくのに「1月4日」は良い1日となるのではないだろうか。

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