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アートと新しさ

 前回記事で「アーティストの新作を楽しみにする事がない」と書いてしまったが、これはちょっと行き過ぎた表現かもしれないので、もうちょっと細かく書いてみる。

 アートにおいて「オリジナルである」と言うことは絶対的に高い価値観を持っている。そして、アート市場の上手いところは、それを評価して換金する機能がポップカルチャーより強い所にある。

 言うまでもなく「オリジナルである」と言う事は「新しさ」と関係している。「オリジナル」と言うのは、その人の中にしかない唯一無二の観念で、他の人にとっては絶対的に新しいものであるからだ。という事は「新作」が重要ということでもある。

 しかし、その「新作」のほとんどは「オリジナル」というよりも作家が生み出した唯一無二な「オリジナルなもの」の補強、ないし、更新にその作業のほとんどが費やされているように見える。というより、オリジナルな概念は唯一無二すぎて、一人の人間に「それ」が二つあるか?と言うと、ほとんど無い話なんじゃないかと思う。

 この意味において、アーティストの新作は、その作家の反復が多く、さほど重要でないとも言える。新作かどうかに関わらず、単にそのアーティストの一番良い作品が見たい。という感情の方が観客には強いような気がするのだ。

 端的に作家の新作において、その内側に「発見」があって「飛躍する」その一回の「最重要局面」、または、その作家の「最高到達点」を見られたらラッキーだが、そこが何処だかは、結局、後になってみないと分からない。つまり、ほとんど無い話なので、「そこ」に未来をベットしている人たち(作品を購入する人たち)は、現在進行形と未来への想像が楽しいのかもしれないが、そうでもない人は、そうでもない場合が多いように思う。そもそもアートのようなクローズドな世界ではアーティストを追うのも(オンライン以外では)難しいからだ。

 基本的にアーティストの多くは「自分にしか見えてない観念」を現世に存在させ、それを極限まで高い所まで持っていく為に作品作りをしてると言っても過言ではない(はずである)。

 ゴッホが何であの不遇の人生に耐えられたのかといえば(いや、耐えられてないのかもしれないが、それなりに続けられたのかといえば)、自分の中にある自分にだけ見えているものが、どう考えても、他の作家のそれよりも優れているか、優れてなくとも、この世に存在させなければ消えてしまう宝のように思えて、やめられなかったからではないか?そして、ゴッホの場合、その直感は正しい。

 そして、これは、ある種の「直感」であるとともに「文脈」の判定でもある。何で直感だけではいけないかと言えば、その「すごい!」と感動したものには前例があるかもしれないからだ。そして、自分が発表する前に同じような事をやる奴が現れてしまえば、「唯一無二」の価値は落ちる。ここもポイントだ。ゴッホは、死後も、そして、現在に至るも「唯一無二」な存在であるから、圧倒的な存在感があるわけである。これがアートの楽しみの一番コアな部分ではないか?言うまでもなく、そして、ゴッホは新しくはない。

 ポップカルチャー以上に(現代)アートには前例があるものには価値がない。流通がある以上、ある種のジャンルというものが出来てしまってはいるが、例え、ジャンル内でも「新しさ」がなければダメだろう。これは、ロスコを知らなければ、ロスコを真似たものに感動できるかもしれないが、それはロスコのコピーでしかないので有識者から見ればダメみたいな事だ。つまり、その作家にしか出来ない「オリジナルな事」が求められる。

 この意味で、ある種、アートは学術論文の世界のような面もあり、前例を上書きしていかなければならない。そして、アーティストは、その上書きを手を変え品を変え、色々な方法で行うのだが、アーティストがその人生で出来る事は最終的には統合され「個性」のような「全てが同じように括られる共通項」に統一されて見えてしまうという事も多い。(あれだけ多彩な)ピカソ ですらそうではないか。

 これは個人的な感想かもしれないが、アーティストが様式を確立したその瞬間(飛躍)を見たいとは思うが、それよりもアーティストの死後、「結果」どの瞬間が一番重要で、どこに最高到達点があり、どのぐらい作品の質を維持できて、どういう変遷を辿ったかを見ていく方が面白く感じられてしまう面がある。何より、そちらの方が分かりやすく簡便に「傑作」を見る事ができる。なので、現存の作家以上にロスコやニューマン、若冲やフェルメールに心躍るという事になるのではないか。

 但し、これはニューヨークぐらい質の高い新作が頻繁に現れている地域では、もしかしたら、結構違うのかもしれない。新作においては、美術館よりギャラリーの方が重要だと思うが、身近にあるギャラリーの質という点もこの感覚には大きく関わってくる話なのかなとも思う。前回書いたように、これは、ある種、「近さ」の問題でもあり、単純に日本にいるから、そう思うのかもしれない話ではある。


(冒頭のイラストは本文と何の関係もなく適当に選んだものですが、見切れてるので、下に一応貼っておきます)

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