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好きでもないが何となくできてしまうこと、とのつきあい方

誰だって好きなことは、できようとできまいとやってしまうものだと思う。たまたま偶然、好きでもないが何となくやってみたら上手くできてしまったことに出会ってしまったら・・・

メメント・モリな片づけ屋をはじめたワケ。


ふと、老後を考えてみたらツンでいた

今から4年前、私は本屋の店員だった。

FBの思い出機能が私の脆弱な脳よりも正確に、ログを差し出してくれる。便利なことだ。投稿の内容は他愛のないものだが、単語の端々に不安のカスをこすりつけている。ウケ狙いの明るめの投稿の中に、その日暮らしなカスが点々とくっついている。

よくあるただの社内人事。20年以上本を触っていた人間に「新事業として雑貨を売ってみなさい」という異動がでただけだ。企画書や提案をあげてみたが、予算も協力もなく、稟議も通らない。1年後雑貨は撤去、本の担当に戻った。

元々本屋の店員の給料は少ない。本屋は儲からない利益構造なので、年収を考えていたら本屋の店員は避けるべき職業の一つかもしれない。実家の屋根があって、住宅ローンと嫁や子がなければ、本当に楽しい商売なのだけど。

ワケあって異動の1年前からアパートで一人暮らしを始めた。それ以来私の給料振込口座の数字は6桁をずーっとキープしたままで7桁目に数字が入る気配がない。

ふと、ひとりの老後を想像してみた。ロクすっぽ見たことのなかった日本年金機構のねんきん定期便を恐る恐る開いてみる。一切勉強せず向かったテストみたいな結果だ。そりゃそうだ。

私の給料はこの先、劇的に上がる可能性はほぼゼロだ。貯金どころか家賃すら払えなくなる。老後、ツンだな。2016年初夏のことか?

偶然出会った葬儀後のしごと

2018年の春、現在の片づけ屋のしごとをさせていただくことになった。

その間の2年は「生き急いでないか?」と友達に言われるくらい、バタバタした。資格を取ったり・起業塾に通ったり・退職・引っ越し・転職・・・(またその話は、頭の整理ができてから)

本屋の頃の給料以下で、さらに貯金がなくなっていく。お金を使うことに罪悪感を感じるほど心が追い詰められてた。とにかく毎月の終わりにそれなりのお金が入るしごとが欲しい。

「あなたにできそうな仕事があるんだけど・・・」

とある人に紹介していただいた仕事は、葬儀が終わった後の手続き説明のお仕事だった。

「お世話になる前に自分にできる仕事かどうか見学させていただきたいのですが・・・」

とその仕事を専門にしている方の現場に同伴させていただいた。

2時間があっという間だった。

人が一人亡くなるって、こんなに大変なの?ていうか、何でこんなたくさん手続きあるの?悲しい中でこれ全部しないといけないの?ん?これ私にできるか???これが表の感想。

今思えばそれは表面上の心配で、心の裏側には葛藤があった。

本屋のしごとは好きだったし、それは老後の心配ために手放したもの。お部屋の片づけが苦手な方のサポートっていう仕事を本業にしたくて、この2年勉強してきたのに、葬儀後の手続き説明って私のできることか?したいことなのか?

それでも生活の安定のため、とにかくやってみよう、そんなスタートだった。

2ヶ月ほどずっと先輩の現場に同行させてもらって、夏以降、一人で説明に行き始めた。最初の数ヶ月は正解のない仕事に日々反省しかなかった。

それでも年が明ける頃には何とか自分に及第点をつけれるようになった。

未だにわからない手続きや新しい問題にぶつかる。が、私が遺族だったら逃げられない、片づけていかないといけない問題だと思うとどう調べていけばいいか、自然と道がみつかる。必死で解決しようとする。すると不思議と何となくできてしまう。100点満点ではないけれど。

これまで好きでがんばってきたことややりたくてやってきたけどうまくいかないことの方が多かった。

はじめは好きでもなく、むしろ不安しかなかった仕事だったのに。次第にこの仕事が好きになっていく

コナン・ドイルとオカルト

人生のミスマッチについて、私はコナン・ドイルの逸話を例え話にぶっこむ。

名探偵シャーロック・ホームズをはじめ、素晴らしいミステリーを書いた作家だ。あれだけの才能を持ち、当時から売れっ子だったコナン・ドイルは、小説で手にした財をオカルト研究につぎ込んだ。本人はミステリー作家の名声よりもオカルト研究家になりたかった。

私が言いたい論点から言う。「好きなこと」と「できること」はだいたいミスマッチ。どんなに努力したもみんながみんなアイドルになれるわけではない。なれたとしても食えるかどうかは別問題だ。好きなことだけして生きていける人は一握り。コナン・ドイル自身の生涯が幸せだったかどうかは本人にしかわからない。オカルト研究家としての成功にこだわり続けいていたのであれば、あまり幸せだったとはいえない。だけど作家としての喜びも感じていたのであれば、相当幸せんな生涯だった気がする。

できる仕事に出会ってしまうこと

もしかしたら好きなことへのこだわりの分量の違いかもしれない。

私というコップの容量に「好きなこと」と「できること」を注ぎ込む。

好きなことへのこだわりが強かった頃はうまく混ざらず、コップの中で分離した。今はまわりの環境や状況という熱が加わり、うまーく溶解している気がする。はじめに想定した味とは少し変わったものになっているかもしれないが、それはそれで楽しい味変になっている。

できる仕事に自分自身がどんどん寄せていっている

偶然と必然の間にいる私。

ここ数年のピンチがなければ、今の私はきっといない。









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