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山行とは?

山行の歩みは人生の歩みそのもの なんのために歩むのか?過程を楽しむため?やはり最大の目的は山嶺に到り、眼下を見下ろし遠方の高峰(劔、槍、穂高など)を眺めるためであろう。

人生における山嶺とは?死の直前がピークか?それとも40~50の体力的知的ピークを指すのか? 体力的知的peakが山嶺なら残りの人生は下り登山だ。死が絶頂なら下りは心肺停止もしくは脳死から完全に灰になるまでの時間を指すのか?

昨日の山行はピークを踏まなかった。峠はあったがそれは決して山嶺ではなかった。青木村の霊峰・子檀嶺岳(こまゆみだだけ)を目指すも 登山口を間違えて外輪山を登ってしまった。時間が時間で昨日は子檀嶺岳は諦めた。マイナーな信州百名山は登山口が分かりづらい。発見はしたが 。

めんどくさいも科学した。億劫感の正体は脳のディスオーダーと嫌いなヤローなどの嫌悪感で扁桃体が嫌になっていると億劫感とめんどくさい感情となる。 それは生体反応、反射神経と捉えあまりやる気論、精神衛生論に持ち込まない方がよい。単純に行動を無心ですべきと、心に余裕があると余計なことを考えるから 余裕をなくして逆転の発想にて荒治療すべきマターだ。目をつむり片足で30秒立つと無心になり脳がすっきりする。 物を探すのを宝さがし、物を拾うのをスクワット、無為に見える単純作業もゲームと捉え、セカセカ時間に焦ることを止める。時間が迫る気が焦るは恐ろしい。

あらゆることは山行か?放物線カーブの放物線はまた円の見えるらしい。以上

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