肩の力を抜くということ
草書、行書体は楷書体がしっかり出来ているものが「崩しの美学」として挑戦するものである。
ドラゴン桜でもありましたな「破天荒」ってのはルール順守を誰よりも行っているものが、たまに魅せる変化球的な話。
奇を衒ったり、天邪鬼を装い粋がって魅せても結局は基本通りが美しく恰好良い。
リーマン予想とは、【ゼータ関数の非自明な零点の実部は1/2である】
リーマン予想が証明されると、素数の分布が均一であることも証明される。
素数って文字どおり質素な数。それ以上素因数分解されない数。
つまり余分な体脂肪のないダイエットに成功したボディ。
英文で言えば余計な修飾節(関係代名詞節、関係副詞節含む)など排除されたシンプルな短文。
素麺も素数だな。
いや素麺には実は油が塗ってあり見た目の予測よりは高カロリー。
蕎麦もルチンなど含まれるから健康なイメージあるが結構高血糖食物。
赤ちゃんは余計なものが付いてないからシンプルな素数。
難しいのは「捨の心」かもしれません。というのは「執着」があるからです。
欲をかなえたい、許したくない、相手に認めさせたい、勝ちたいというのは、
全部「執着」である。人間は執着してい思いを「相手のため」「世の中のため」「正義」や「愛」のため、
と屁理屈を作って正当化をしています。これは親子間でも国際関係でも同じです。
赤ちゃんにはまだ執着は少ない。それでもあるけど。母乳にとかに。
漱石のネコの最期も生への執着を無くしたらなんとも太平な心持ちになり、ありがたい、ありがたい、と。
山では雑念は消える。ただ目の前の自然への対峙があるのみである。
生まれたとき生命は素数、死にゆくときも素数、しかし素数は永遠に無限大に続く。
カオスは行書、秩序は楷書
今回のエッセイは極力楷書体で記述してみました。
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