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43.インフルエンザ対策の落とし穴

はじめに

企業においてインフルエンザ対策を行うことはとても重要です。それは、感染による従業員の欠勤が出ることや、感染が企業内で拡大することで部門や事業所の機能が麻痺してしまうことがあるからです。また、顧客・取引先に感染を拡げてしまえば、企業の責任が追求されることや、評判・信頼(レピュテーション)の低下にもつながってしまいます。そのため、産業保健職は、企業のインフルエンザ対策が適切に行われるための助言を行う必要があります。しかし、ここにもいくつかの落とし穴が潜んでいますので、それをご紹介します。
※本記事のインフルエンザは季節性インフルエンザを指します。

総合感冒薬の落とし穴

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体調が悪いときに病院を受診する方も多いと思いますが、ほとんど全ての風邪は対症療法しか治療法がありません。そして巷でよく用いられる総合感冒薬もあくまで対症療法です。日本ではちょっとした体調不良でも、病院に行ってお薬をもらって症状を抑えて出社するという慣習が未だにあります。しかしこれは、感染症拡大防止の観点からは望ましいものではありません。もちろん体調不良や感冒症状には様々なグレーゾーンがありますので、ほんのわずかな体調不良まで全て休むべきというものではありませんが、原則は「体調が悪い時には休むこと」になります。場合によっては、企業内診療所で総合感冒薬を出すところもあるようですが、あくまで対症療法であり、本来は「体調が悪いんだったら帰りましょう」という説明が望ましいと言えます。総合感冒薬を飲んでがんばって働く、という考えに陥らせないように注意啓発が必要になります。

なお、余談ですが、最近ではコロナ禍の影響もあってか、総合感冒薬のCMも流れが変わりつつあり、「風邪ひいた時は薬を飲んでがんばろう」というものから「風邪のときはお家で休もう」というキャッチフレーズに変わってきています。このような流れがさらに広がるといいですよね。(まだ、エナジードリンクは、「疲れた時はエナジードリンクを飲んでがんばろう」と謳っているものもありますが、「疲れたら休もう」というのが本来あるべきメッセージだと思います。それだと売れなくなっちゃいますが。。。)

受診勧奨の落とし穴

「体調が悪ければ病院を受診しましょう」という言葉は、お題目のようによく言われることだと思います。しかし、インフルエンザにおいてそのような受診勧奨は必ずしも正解ではありません。まず、そのための前提となる知見として以下のようなものがあります。

①抗インフルエンザ薬は普段元気な労働者には積極的に勧められないこと*4
②普段元気な労働者は自然軽快する可能性が非常に高いこと
③抗インフルエンザ薬は症状発症から48時間以内の投与が基本であり、早い方が効果があること、有症状期間を1日程度短くする効果であること

このようなことからは、インフルエンザ様症状があった場合に病院を受診することのメリットは、
 A. 抗インフルエンザ薬の治療を受けられること
 B. インフルエンザの診断が得られること
という2点になると思います。

Aについては、確かに大事なメリットかもしれませんが、発症早期に高熱を有した辛い状態で受診しなければいけないこと、受診行動中に周囲(場合によっては同行する家族)にうつしてしまう可能性があること、逆に感染をもらってしまう可能性があることが注意点です。さらに、発症からある程度時間が経過して症状が落ち着いてきたタイミングで受診した場合には抗インフルエンザ薬の恩恵はほとんど得られないことも受診者は知っておくべきことです。受診コストもおよそ5000円前後はかかります。仮に抗インフルエンザ薬によって有症状期間を1日程度短くできたとしても、インフルエンザの出社に関する考え方は学校保健法に準じて5−2ルール(発熱後5日経過かつ、解熱後2日経過)となりますので、実際に出社できる日はそう早くはなりません。もちろん、抗インフルエンザ薬にも副作用のリスクがあることも大切な前提となります。

Bについては、よくインフルエンザ迅速抗原検査を受けたいと仰る方も多くいるのですが、インフルエンザ流行期は検査なしで臨床的に診断可能であり、インフルエンザ迅速抗原検査キットは陰性でもインフルエンザを除外できない(陰性証明にはならない)ということに注意が必要です(資料4,5)。また、後述のように、受診することで会社に説明できるというメリットもありますが、これは医療的な適応とは無関係であり、あくまで会社のルールの話です。発症して症状がおさまりかけている状態で、診断を受けて会社に報告するためだけに受診することはとてもナンセンスです。インフルエンザか風邪との区別をつけたいという方もいるようですが、基本的な対処法は同じですので、結局は診断をつける意義は大きくないと言えます。

あくまで個人の重症化リスクや医療のアクセスビリティ、企業の事情などでも受診するべきかどうかは変わってきますので、決して受療行動を妨げるものではありませんが、実際には抗インフルエンザ薬のメリットはほとんど得られず、放っておけば治るものを、会社のためだけに受診するというのはナンセンスと言えるでしょう。普段は元気な労働者に対して、通り一辺倒に「体調が悪ければ病院を受診しましょう」ということは、インフルエンザにおいて必ずしも正解ではないことを産業保健職としても知る必要があります。

また、これは産業保健領域としてはややおろそかになりがちですが、抗インフルエンザ薬に関する耐性の問題は決して無視できない問題です。抗インフルエンザが乱発されてしまうことは社会的にも看過できない問題であり、将来的に本来救えるはずの命を救えないことにもつながりかねません。不必要な受診勧奨は、不必要な抗インフルエンザ処方につながりうるということにも注意してください。さらに、話を広げると、コンビニ受診は社会医療費の問題や、医療従事者の疲弊にもつながりえます。

(参考)学校保健法
(出席停止の期間の基準)第十九条 令第六条第二項の出席停止の期間の基準は、前条の感染症の種類に従い、次のとおりとする。
二 第二種の感染症(結核及び髄膜炎菌性髄膜炎を除く。)にかかつた者については、次の期間。ただし、病状により学校医その他の医師において感染のおそれがないと認めたときは、この限りでない。
イ インフルエンザ(特定鳥インフルエンザ及び新型インフルエンザ等感染症を除く。)にあつては、発症した後五日を経過し、かつ、解熱した後二日(幼児にあつては、三日)を経過するまで。

学校保健法

(参照:「受診勧奨の落とし穴」)

診断書提出の落とし穴

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企業によっては、診断書提出についての規則が定められているケースがあります。例えば、「週4,5日以上休む場合は診断書提出が必須」といったケースです。この場合、インフルエンザのように5日以上休まなければいけない病態においては、診断書を提出しなければいけないことになります(企業によっては、診断書ではなくインフルエンザに関する受診証明・処方内容の提出を求める企業もあるようです)。つまり、労働者からすれば「企業ルールによる受診」というのが常態化しているのです。もちろん、個人によってリスクが違いますので、受診が必要な場合もあるでしょう。そして、企業側にとっても詐病や、メンタルヘルス不調による勤怠不良に早期対応するために診断書提出のルールが必要な場合もあるとも言えます。しかし、繰り返しになりますが、大事なことは体調が悪いときに休みやすい環境づくりです。社会もそのような流れになってきています。企業の診断書ルールの設定・運用については、このような流れも汲み取りながら柔軟に対応してもらいたいと思っています。

なお、欧米企業ではsick leaveという制度があり、これは有給休暇とは別に社員本人の病気・ケガを事由とした休暇を付与されるというものです。これもあくまで企業によりけりではありますが、有給休暇と同じく取得理由を問わないとすることもあり、当然ながら診断書は要求されません。休むことに寛容な企業こそ、感染症に対しても強い企業と言えるのではないでしょうか

「インフルエンザ 診断書 会社」というワードで検索すると、多くのサイトがインフルエンザの診断書が必要であるとしています。しかし、持続可能性(サスティナブル)な社会・医療のためには、「体調が悪いときには休むこと」が重要であり、「体調が悪いときは医師の診断証明が必要」という考えは極めてナンセンスだと個人的には考えます。『働き方改革』とは、つまりは『休み方改革』です。残業を減らすこと、有給を取らせることと併せて、休みやすい制度設計や、インフルエンザで休む際に診断書が必要ないようにしていただきたいものです。

あるサイトの例)
医学的な見地から「インフルエンザかどうか。」を証明するために、医師による診断書を取得し、会社に提出しなければなりません。冬場に高熱や激しい咳が続く場合には、「インフルエンザかも?」と疑い、医師に検査と診断書をお願いするようにしてください。インフルエンザ証明書の料金は、1000円~3000円程度が相場です。

治癒証明・陰性証明の落とし穴

厚生労働省のインフルエンザQ&Aには以下のような説明が示されています。

Q.18: インフルエンザにり患した従業員が復帰する際に、職場には治癒証明書や陰性証明書を提出させる必要がありますか?
<回答>
診断や治癒の判断は、診察に当たった医師が身体症状や検査結果等を総合して医学的知見に基づいて行うものです。インフルエンザの陰性を証明することが一般的に困難であることや、患者の治療にあたる医療機関に過剰な負担をかける可能性があることから、職場が従業員に対して、治癒証明書や陰性証明書の提出を求めることは望ましくありません。

実際には不要にも関わらず、治癒証明書や陰性証明書を求める企業(や学校・保育園)がいるのも悲しい実情です(いるからこその上記Q&Aなのでしょうが)。こうした証明書は必要ないことを産業保健職としても企業に説明する必要があるでしょう。

ワクチン忌避・誤解の落とし穴

インフルエンザワクチンが有効であることは論を俟たないことですが、職域では、ワクチンを打ちたくないという方、ワクチンの効果を十分に理解していない方、ワクチンそのものに対して忌避感がある方などが一定数いることを知っておく必要があります。ワクチンをうつかどうか個人の自由であり強制するようなものではありますせんが、企業として、インフルエンザ対策を進める際には、このような事情があることを理解した上で、毎シーズン丁寧な説明を行なっていく必要があります。

なお、ワクチン忌避についてはこちらのページが視覚的にも分かりやすいでのでご参照ください(下図でJAPANはどこにいるでしょう?)。

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また、インフルエンザワクチンの効果としては、単純に企業や労働者個人のみならず、社会全体にも影響が出うるということも知っておく必要があります。インフルエンザワクチンを接種することで集団免疫率を上げ、重症化しやすい乳幼児や高齢者を「繭」で包むようにみんなでワクチンを打って守るコクーン(眉)戦略という視点もとても大切だと思います。

リスクゼロの落とし穴

インフルエンザは症状が出現する1,2日前からウイルスの排出があるとされています。そして、症状はグレーゾーンが非常に多いため体調がやや悪いことで出社してしまい感染を拡げてしまうケースもあります。つまり、インフルエンザの感染症拡大のリスクはゼロにすることはできません。そのため、インフルエンザ対策は、ゼロにできないリスクをどこまで下げられるかということになります。そのためにインフルエンザワクチンや、手洗い、咳エチケットなどの対策をとるという位置付けになります。後述のように感染者バッシングや、過剰な対策を行ってしまうこともありますので、企業がゼロリスク信仰に陥らないように注意してください。
(参照:「労災ゼロの落とし穴」)

経営・人事マターの落とし穴

感染症対策は、診断書ルールや休業補償制度、有給制度などの人事マターになることも多いです。また、新型インフルエンザや新興・再興感染症について言えば、感染症が拡大しパンデミックの事態に至れば、サプライチェーンがグローバル化している現代では、国家間の問題にまで発展することがあり、感染症への対策は経営層レベルの意思決定が求められます(帰国させるか、海外派遣をやめるか、現地の稼働を止めるか、など)。産業保健職は、経営層・人事とも連携して感染症対策を推進していきましょう。

感染者バッシングの落とし穴

インフルエンザの流行シーズンになると、衛生委員会で感染者数が議題として挙げられることもあります。たしかに、社内の流行状況を把握することは重要ですし、対策のKPI(key peformance index:評価指標)にもなるでしょう。しかし、感染症は歴史的に見ても常に差別や誹謗中傷とのたたかいです(エイズやハンセン病など)。インフルエンザであっても、その流行状況を社内で共有する際には、感染した人(特に流行の発端となった人・スーパースプレッダー)に対してバッシングが起きないような配慮がとても大切です。当該者のメンタルヘルス不調や、社内での居場所がなくなってしまうことの懸念がありますし、さらには症状があったことを隠す風潮になってしまう懸念もあります。感染症対策においては感染した労働者を悪者にしないように注意してください。

効果不明な対策の落とし穴

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インフルエンザ対策では、さまざまな怪しい機器や物品が出回りがちです。例えば空間除菌や、携帯型空間除菌品、サプリ、消毒薬、除菌グッズなどです。このような対策を行なってしまうことは、本来行うべき有効な対策にお金が回らなくなる可能性や、本来行うべき手洗いやマスクといった行動がおざなりになってしまう可能性があります。気付いたら、怪しげな機器が設置されていたという話もよくありますので注意してください。

なお、コロナ禍では、消費者庁が予防効果のない商品についての注意喚起を出しています。こちらもご参照ください。

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対策徹底の落とし穴

人によって、衛生観念は異なります。それは手洗い・手指消毒の頻度や程度の話や、有症状時の行動(受療・出社)、マスク装着・咳エチケット、湿度要求度、ワクチン忌避などの様々な点で現れてきます。そのように衛生観念にばらつきがある中で、企業としてはインフルエンザを含む感染対策についてなんらかのルールやガイドラインを設定する必要があります。例えば手洗いであれば以下のような表現になります。
 ・手洗いをしなければなりません(しなければ入室禁止など)
 ・手洗いを積極的にしてください(励行)
 ・手洗いをなるべくしてください
 ・手洗いを勧めます
対策徹底の程度(本気度・温度感)によって、設備・物品への投資度合いも変わりますし、従業員に対する強制力も変わってきます。それは例えば手指消毒用アルコールを動線のどこに置くか、手洗い場にペーパータオルを置くか否か、加湿器のスペックをどこまで上げるかといったことになるでしょう。そして、衛生観念の差は従業員同士のイザコザにも発展しうるということにも注意が必要です。企業の対策の徹底度合いがどの程度なのかを把握しながら、対策の落とし所を設定しましょう。なお、これは前述のとおり、対策をどこまでやってもリスクはゼロになりませんし、リスクはトレードオフなので、対策を徹底し過ぎることは別のリスクを負うことになります。

補足:

抗インフルエンザ薬が勧められるのは重症化リスクの高い方になります。季節性インフルエンザや2009年のH1N1の疫学的研究に基づいて、インフルエンザの合併症のリスクが高い人は以下の通りです。(資料4)

・5歳未満の子供(特に2歳未満の子供)
・65歳以上の成人
・慢性肺疾患(喘息を含む)、心血管疾患(高血圧のみを除く)、腎疾患、肝疾患、血液疾患(鎌状赤血球症を含む)、代謝障害(糖尿病を含む)、または神経学的・神経発達疾患(脳の障害を含む)を有する者。脳性麻痺、てんかん(発作性障害)、脳卒中、知的障害(精神遅滞)、中等度から重度の発達遅滞、筋ジストロフィー、脊髄損傷等の脊髄、末梢神経、筋肉)(9)。
・薬物によるものやHIV感染によるものを含む、免疫抑制のある人
・妊娠中または産後(出産後2週間以内)の女性
・アスピリンの長期投与を受けている18歳以下の人
・病的な肥満(すなわちBMIが40以上)の人
・老人ホームなどの慢性期介護施設の入所者

参考資料

1.Antaa Slide インフルエンザUpDate -2019/2020シーズン-
2.亀田感染症ガイドライン 抗インフルエンザ薬の使い方
3.亀田感染症ガイドライン インフルエンザ流行期に致死的な疾患を見逃さないための手引き
4. Antiviral Agents for the Treatment and Chemoprophylaxis of Influenza: Recommendations of the Advisory Committee on Immunization Practices (ACIP)Recommendations and Reports January 21, 2011 / 60(RR01);1-24
5.Arch Intern Med. 2000 Nov 27;160(21):3243-7.
6.Clin Infect Dis. 2019 Mar 5;68(6):e1-e47.
7.Cochrane Database of Systematic Reviews 健康な成人に対するインフルエンザ予防のためのワクチン
8.日本感染症学会提言「~抗インフルエンザ薬の使用について~」
9.和田 耕治, 鈴木 英孝, 今井 鉄平, 相澤 好治. 新型インフルエンザ発生時に企業に必要な感染対策に関する意思決定とそのための情報ジャーナル フリー
2012;54(2):77-81

10. Wellcome Report summary Wellcome Global Monitor 2018
11.新型コロナウイルスに対する予防効果を標ぼうする商品の表示に関する改善要請等及び一般消費者への注意喚起について令和2年3月 10 日

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