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日本と言えば「SUSHI!」なイタリアの高校生たちと


「来週、近くの農業高校でトークイベントすることになったよ。準備しといてね」

イタリアの中西部、海に面したヴェルナッツァというまちに着いた翌々日くらいのこと。棚田・神山つながりで数年前に出会ったマルゲリータの故郷に今回滞在させてもらうことになった。
その彼女からの突然のフリに慌てる私。
スローフード協会協賛のイベントとして、日本や神山町、そして高校プロジェクトについて話してほしいとのこと。最終的に、高校生向け3本と社会人学生向け1本のトークをした。日本大好きで神山の状況もよく知っているマルゲリータによる事前のサポートと華麗な通訳のおかげで、準備段階から当日まで得るものが多かった。貴重な機会をありがとう。

トップ画はスローフード協会にあったカタツムリのオブジェ。

共有できるんだという実感

神山町の話をしてほしいとざっくりしたオーダーをもらったものの、正直イタリアの人たちに対して、遠く離れた日本の片田舎での取り組みの集積をどう伝えていいかピンと来ない・・・。
けれどもマルゲリータと事前の打ち合わせをする中で、彼女自身が特に共有したい内容やメッセージが見えてきて、なんとか流れを組み立てることができた。

私がこのまちでの経験を通して実感として得たのは、その土地に暮らす人々の願いや行動の積み重ねが景観となって現れるということ。自分の消費行動が町並みと密接にリンクしているということ。
でも、「スローフード」の発祥地であるイタリアではそんなことは当たり前の感覚として人々に備わっていて、わざわざ言うほどのことでもないんじゃないか、と気兼ねしていた。けれども実際に出会ってみると、農業を学ぶ高校では座学が中心で実践機会はほとんどないらしく、食を学ぶ高校でも「スローフード」という言葉を初めて聞いた生徒が大半だった。

日本と聞いて思い浮かぶものは?の質問に「BONSAI(盆栽)」と答える農業高校生もいた


景勝地として毎年多くの観光客が押し寄せるも着実に地元の若者が流出している地域の状況を危惧するマルゲリータ。彼女が強調して伝えたがっていたのは、地元の人たちが長い時間を重ねてまちの寛容性を育んできたこと、飲食店が地元の農家と連携を図りながら旬の素材を生かしたメニューを提供していること、雇用主と労働者に分けないフラットな組織づくりを実践している飲食店があること…。
私の説明を訳すというよりも、彼女自身の視点でイタリアの状況や気候変動など社会的な課題を踏まえながら、これからを生きる若者たちへのメッセージを力強く伝えていた。

トークの後で、社会人学生の人が「私の生まれ故郷も、若い人が都市に流れて帰ってこない状況にある。今日の話はとても興味深かった」と感想を伝えてくれたり、「できるだけ自給自足を目指そうと、2年前に郊外に引っ越して畑づくりに取り組んでいるんだ」と聞かせてくれた50代らしき先生もいた。
日本は世界の中でも先駆けて人口減少社会に突入していて、いわゆる過疎地とされる中山間地域に人が集まっている事例は、確かに今後注目されていくだろう。でもそれはもう少し先の話かなと勝手に思っていた。どうやらそうでもないらしい。


どう食べるか、から見える文化の違い

トーク内容を相談していた時、「東京で1年だけ暮らしていた時、満員電車が嫌でここには暮らせないなと思ったんだよね」とふと漏らしたら、マルゲリータが「それ動画で見せよう!」と提案。
Youtubeで検索すると、海外旅行客がアップしたであろう東京の満員電車の動画が結構出てくる。電車からはみ出している乗客を車掌が押し込んでいく様子は、どうやら衝撃映像らしい。

YouTubeより

この動画はネタ的に使って毎回ウケた。「マジで…?」と引いてる人もいた。
そうよねぇ。当の本人たちは一生懸命なんだろうけど、冷静に見るとやっぱり異常だよ。

もう一つネタ的に、一蘭ラーメンの注文から食べるまでの動画も紹介した。数年前、マルゲリータが日本で一蘭に行った時に色々衝撃を受けたらしい。
まず券売機に写真も英語表記もないので何を食べたらいいかわからない。友達と行っても板で仕切られていて会話ができない。極め付けは、ラーメンが出てきたら店員さんが暖簾を下げて離れていく。独りにしないで!と、初めての一蘭体験をおもしろおかしく聞かせてくれた。
誤解なきように言うと、私自身は一蘭が大好きで。味もさることながら、女性1人でも入りやすいラーメン屋というニーズにも応えてるし。しかしながら、イタリアでは食事は誰かと話しながら楽しむものという意識が根強いようで、誰とも話せない環境だなんて!という感じらしい。なるほどねぇ。
今回のトークは飲食・接遇を学んでいる生徒たちも対象だったので、「国籍が異なれば慣習やニーズが違う。お客さんが何を求めているのか考えることが大事」というメッセージにもなった模様。なるほどねぇ。
動画を見た高校生はびっくりして、「ガールフレンドと行っても話せないの?」と。うん、デートでは別のラーメン屋に行くのがいいと思う。

食事に関する慣習は他にも違うことが多くて面白い。
今回初めて知ったのが、「アペリティーボ」という文化。これは夕食前の時間帯にドリンク一杯とおつまみを楽しむものらしい。仕事仲間や友人と会話を楽しむ社交的な時間だけど、一杯だけなので結構すぐ終わる。そして「じゃあね」と別れてそれぞれの家路につく。日本で言う「サク飲み」に近いかな。
この一杯だけ、というのがポイント。仕事の話やネットワーキングをすることもあるけれど、長々としない。暮らしを大切にしているから、本格的な食事は家でとるのが基本なのだとか。

そしてイタリアといえばエスプレッソ。カウンターに立ってサクッと飲んでいく光景がどこかしこで見られる。
これも今回初めて知ったのだけど、カウンターで飲むのとテイクアウトでは値段が違った。カウンターで飲むのが一番安くて、エスプレッソ一杯1.2〜1.5ユーロくらい。これがテイクアウトだと1.5〜2ユーロくらいになる。カップ代ということみたいなのだけど、日本だと逆で店内飲食の方が税率分だけ高くなるので新鮮だった。
マルゲリータも「テイクアウトだとゴミが増えるし、店員とのコミュニケーションも生まれにくいじゃん」と、俄然店内派だった。
(カウンターだと安くて、座席につくとサービス代が付加される店もある)

ちなみに、トークの冒頭で「日本と聞いて思い浮かぶ食べ物は?」と尋ねると、高校生たちから元気よく「SUSHI!!」と返ってきた。あとラーメンも。

「気候変動について取り扱っていますか?」のむずむず感

農業高校ではトークの後に2人の生徒が出てきて、代表質問というかクロストークみたいな感じの時間になった。学校側との打ち合わせは皆無で終了時間すらよく分からない状況だったので流れに身を委ねるしかない。

なかでも「気候変動について授業で取り扱っていますか?取り扱っているとしたらどのような?」という女子高校生からの質問にはドキリとした。
針葉樹が増えすぎた日本の森林の現状は土砂災害や水源の話とつながっているし、棚田の景観保全は食糧危機やエネルギー問題などと密接に関わっている。大量生産・大量消費社会からに疑問を感じて里山に居を移して自分たちにできる営みを模索している人たちとの出会いも多い。
けれどもそれが「気候変動」という枠組みに当てはめて説明しようとすると、ややちぐはぐな感じがしてしまう。私がこのまちで見てきた物事や高校で試みてきた事ごとは、社会正義のための行動というよりも、もう少し根源的で本能的なもののような気がする…。
そんな日本語ですらうまく言葉にならない逡巡をしつつ、それをさらに英語にする能力は残念ながら持ち合わせておらず、モゴモゴ。ああ、情けない。ここの説明のもどかしさは、日本人の宗教観についての話しにくさに似ている。咀嚼しきれていない自分に気づく。説明可能な言葉を探したい。


別の機会で、滞在している地域の幼稚園児&小学生と交流した。私たちが訪問する前に先生が「崖の上のポニョ」を観せていたらしく、一緒にポニョのお絵描きをして遊んだ。
後から聞いた話だと、その先生は気候変動や環境問題を軸に、子どもたちが環境や生き物の大切さを考えられるように日々の活動を組み立てているのだとか。だから「崖の上のポニョ」なのだと納得。(本作品は海洋ゴミや環境問題を題材として扱っている)
ほかにも農家をゲストに野菜を植えたり、木を題材にした図画工作をしていたり。低年齢の子どもにとって親しみやすい形で展開しているのがさすが。先生自身に軸が一本通っている感じをバシバシ受け取った。

みんなでお絵描き。大人はちょっとカンニングした


国会議員から教員というキャリア

今回訪問した農業高校の先生は、市長と上院議員を歴任したのちに高校教員として故郷に戻ってきた超強者。農業委員会のメンバーとしてCOP21〜23に出席していたらしい。そんなキャリアを持つ人が、学校現場に戻ってくるという衝撃。しかも校長とか管理職でなくて教員というのがこれまた熱い。

調理・ホテル系の学校では16歳の高校生たちが対象だった。その2日後には同学校で18時からナイトスクールに通う生徒に向けて話をすることに。日本で言う全日制の生徒なのかな?と思ったけど、どうやらそうでもないらしい。実際に行くまでどんな人たちがいるのか全然検討もつかなかった。
行ってみると、全体的に年齢層高め。高校を中退した人が学び直しに来ていたり、移民の人がイタリア国内での就労のために通っていたり、大学も卒業しているけどキャリアチェンジのために来ていたりしているらしい。年齢も国籍も事情も多様だった。

ある分野で名声をあげた人が異なる分野にキャリアチェンジすると、当然ビギナーからのスタートになる。
ビギナーなので環境によっては発言権がなかったり、経験の少なさから軽視されることもある。そうした時、チヤホヤされていた過去の自己イメージに捉われると苦しくなってしまう。
自分を保っていられるかどうかはどこにコアを持つかで変わる。外部からの承認で自分を形成していると、立場が変わったときにぐらつく。上に書いた権力のある立場から一教員という大きなキャリアチェンジをしたけれど、自分の中にコアがあればぐらつくことはないんだろう。
連日いろんな人たちと出会う中で、帰り道にふとこんな話を交わした。


そんなこんなで無事に終わってホッとしている。ガンバッタヨー。

次回は待ってましたの石積みについて。

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