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『月と六ペンス』

「ストリックランドはじつにいやなやつだった。だがそれでも、価値ある男だったと思う。」

久々にゆっくり読書できる時間ができたので、私の溜めに溜めた"積ん読リスト"から選んだ一冊
歴史的大ベストセラーでもあり、多くの人々に愛され、語られてきた作品

今や誰もがその名を知る天才画家チャールズ・ストリックランドの人格は、語り手の「わたし」の言う通り人の優しさや尊厳を踏みにじる、決して近づきたくない人物 読みながらどれほどの嫌悪感をこの男に向けたかわからない

出会った当初は、夫人が愛していながらも「つまらない男」と称する程には印象の無い、ただの株式仲買人であった
それがどうだ、一瞬にして物語が急展開 次にストリックランドに会ったときは、見た目も、言動も、生き方も激変していた

彼が何もかもを捨てて、手に入れたかったものはなにか

本作はロンドン・パリ・タヒチが舞台でストリックランドの心境もそれに合わせて変化しているように思える
いや、根底では変わっていないのだろうが、ストリックランドの生きる環境やそこに住む人々に受け入れられたかどうかの違いは、少なくとも影響を与えたに違いない

特にタヒチの人々が語るストリックランド像に対して大変驚いた 
「この人たち嘘ついてる?」と思うくらいには別人のことが語られているかのように、全く異なる印象を受けたのだ

それもそのはず、ロンドン・パリでは「わたし」が実際に目の当たりにしてきた最悪の人物というフィルターを通して彼を体験しているため(決して感情的ではない「わたし」でさえが軽蔑の眼差しを向けている)、読者は共感できるポイントが微塵もない 共感されようとも思っていないだろうが

しかし、タヒチでは職にあぶれながら、借金をしながら、そして相変わらず
下手な絵を描く変わったやつだと思われながらも、ついには結婚までした

「生まれる場所をまちがえた人々がいる。彼らは生まれたところで暮らしてはいるが、いつも見たことのない故郷を懐かしむ。(中略)ときどき、わけもなく懐かしい場所に行き着く者がいる。やっと、故郷をみつけた、と彼は思う。そして、それまで知りもしなかった土地に落ち着き、それまで知りもしなかった人々と暮らしはじめる。まるで、生まれたときから知っていたかのように。その地で、彼はようやく安らぎを手に入れる。」

ストリックランドにとってはまさにタヒチが生まれながらに求めてきた本当の「故郷」だったのだろう
そしてその地で文字通り、生涯をかけて自分の渇望する「美」を描き遺していった

タイトルの「月と六ペンス」が表す意味 訳者あとがきにもあったが、個人としての推測をここに記しておく

月は「理想」や「夢」(人類初の月面着陸は1969年)を、六ペンスは当時(初版1919年出版)硬貨が流通していたことから「生活」を
つまり非現実と現実の比喩として表せるのではないか

手の届く現実で満足するか、自分の理想を追い求めるために生きるか
果たして我々はどちらを選ぶだろう
本文にもある通り、もちろん「成功の意味はひとつではない。」

自分が生きていく中でふとした瞬間に転機が訪れることもある

年齢もこれまでの暮らしも関係なく、人は自分にとって価値ある生き方を見つけていくことが人生の課題なのかもしれない



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