ばあちゃんに渡した1万円札が忘れられない
高校を卒業後、大学に入ったがうまくなじめず、勉強をもつまらなくなり半年でやめることになった。
その後、とりあえず働こうと思って祖父のつてをたどってガスや水回りの設備会社にはいった。中途採用ということもあり3か月間は試用期間だった。ここからが地獄の始まりだった。
入ったときは、正直高校生の気分がまだ残っており、自分ならなんとかなると思っていた。
だが、現実の社会は違った。学生の時のような受動的な態度で挑むものではなく、常に積極性と責任責務が問われる。また、会社のルールでほんのちょっとしたことでも、気を遣って作業を手伝ったり声をかけたりしないといけなかった。
今ならわかるが、協調性の低い自分からしたら気を遣って動くなどストレスでしかなったと思う。別に仕事において気を遣って誰かを助けることは業務を円滑に進めていくうえで大切なことだと思うが、この会社の気遣いの仕方は異常だと感じた。
はじめのうちは普通にやれていたと思う。高校時代は陸上競技をやっていたため、体力には自信があった。そのため重いものを運ぶのは平気だった。
だが、自分は社会人として大切なわからないことがあったら「聞く」ということができなかった。昔からそうなのだが自分は人見知りで「聞く」ことに抵抗があった。
そんな抵抗を感じつつも自分を押し殺して1回1回考えて、考えて先輩にわからないことを「聞く」ことをしていた。
でも、次第に上手くいかなくなってきた。
当たり前のことだが、仕事を取り組んでいくうえで1回1回ゆっくり考えて聞いていたら作業に支障が出てしまう。またそれにプラスして気も遣って仕事をしないといけない。そんなこともあり作業が遅れ、ミスをして怒られる。
怒られ、
無視され、
自分だけ疎外感を感じて、
どんどん先輩とのコミュニケーションをとることが怖くなり、わからないことがあってもただただその場に立ち尽くすことしかできなった。
ただ見ているだけということや先輩からも仕事に着いてきてほしくないような顔をされる、そこには苦痛しかなかった。
毎朝6時に起きて、「今日も仕事かぁー」と朝から絶望する。
会社に「行きたくない、行きたくない」
と心で叫びつつ、すぐさまトイレにかけこみ、毎日朝から吐いていた。
そんな日々が続き、3か月がたった。結果は見なくてもわかっていた。明らかにその日の朝礼で先輩たちの自分に対する眼差しは暗かったからだ。
その日の仕事が終わり、専務から「君はここでやっていくのは厳しいといわれた」。実質的に社会でいう「クビ」だ。
もちろん悲しみや自分が至らなかったことに対する悔しさはあったが、それ以上に開放されてすこし心が楽になった。
「はあー」とため息をつきつつ祖父と祖母の家に帰った。
家に着いたら、「どうだった?」と祖母にいわれた。
正直に「ダメだった」と声を震わせて伝えた。
お金のことや心配をかけたことに対し少しでもと思い、祖母にそっと1万円札を渡した。
「ありがとう、よく頑張った。」
「辛かったね」と言われた。
急に顔が熱くなって気づいたら祖母と一緒に泣いていた。
また、一から頑張ろうと思った。
でも、ここからが本当の戦いだった。
今現在22歳になった。すでに5社目になった。
何があったと思われるかもしれない。
でも、安心してほしい今は楽しく目標に向かって取り組めている。
苦しく辛く、たくさん失敗した過去があるからこそ今自分はこうしてnoteを書いている。
YouTubeのほうで1社目の後の話はしているのでよかったら見てください。
たぶん始めたで口下手な自分がいると思う。はっきり言って面白くないと思う。これから少しでも笑顔になってもらえる動画をこれから作っていきたい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
https://www.youtube.com/channel/UC8doUcM230yPK9OqV3LQp6Q/videos
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