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あなたの学校観を教えてくださいと聞かれたら?(OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来)

少し感覚が空いてしまいましたが、是非お読みいただければ幸いです。

 「教育によって世の中はよくできるし、教育によって世の中をよくしたい」。そう信じ、願う人にとって是非読むべき1冊。教育は「1億総評論家」とも言える中、OECDでの議論の経緯やエビデンスを多く掲載し、誰もが期待したり疑問に思うことを端的に説明していく。大変ロジカルにまとめられており、内容の質・量に対して極めて読みやすい点もありがたかった。

変えるべきもの - 教育観・学習観・学校観・授業観・生徒観・教師観

 本書では、「社会変化はどうなるか」「求められるコンピテンシーは何か」「コンピテンシーを発揮するためのスキルや価値観は何か」「それらを育成するカリキュラムはどうあるべきか」等、体型的にまとめられている。だからこそ、参考にする上でまず変えなければいけないのは、既存の教育に対する認識と感じた。すなわち、教育観・学習観・学校観・授業観・生徒観・教師観を変えるところから行わなければ、何に取り組んでも表面的なものになってしまうと思うのだ。

 実際に、教育のニュー・ノーマルとして、下記の記載がある。①は政策的な話としても、それ以外は現場ですぐに変革することができる内容に思う。学校経営に関する②③⑦、授業に関する④⑧、評価に関する⑥。⑤はその前提だ。

①教育制度自体を、エコシステムの一要素と考える
②開かれた意思決定を行う
③責任を共有する(生徒自身も含めて)
④インプット→アウトカムから、インプット→プロセス→アウトカムへ転換
⑤発達は非線形と考える
⑥学習の評価から、学習のための評価・学習としての評価へ転換する
⑦システム改善のためのフィードバックを活かす
⑧生徒は、聞き手から参加者になる


学校はしがらみにまみれているからこそ…

 とはいえ、そう簡単に変えられるものでもないだろう。それは、学校が多様なステークホルダーとの関係の中で運営されているからだ。文科省,教育委員会といった行政の方針の元運営されているし、保護者の意向も無視できない。保護者と言っても、十人十色なことがまたことを複雑にしているように思う。当然、校内の教員間での認識不一致も日常茶飯事。時に地域の関係者も出てくる。踏まえて、各校を取り巻くステークホルダーが、同時的に教育観転換が起こるとも思えないし、そもそも「私はこう思うんだけど」と価値観を一致させること自体が難しいはずだ。結果、教員が授業を変えようにも、なかなか変える空気にならない=それを良しとしない、なんとなくの空気感が蔓延する。こんなことが多々あるのではないか。

 著者はこの点に対して「関係者の巻き込み」をもっとすべきと説く。これには全くもって同意だ。そして「分権化」。現場への意思決定権の譲渡も、すべきだろう(実際はかなりされているのかもしれないが…そう感じられない空気感があるように思う。どうなのか?)。現場の管理職・ミドルリーダーを中心に生徒・保護者・同僚の教員・地域を巻き込みながら、より良い意思決定を進めていく。それこそが、学校が自校のエコシステムを豊かに広げていくためのプロセスではないか。

カリキュラム自体の評価はどう行う?

 教育実践に向けての、カリキュラムの考え方も興味深かった。日本では、学習指導要領や教育課程という言葉がよく使われるが、OECDではカリキュラムを下記と定義している。

「なぜ、何を、どのように、いつ、どこで教え、あるいは学ぶかについて、
 教育制度の内外からの様々な組織や関係者の間での、
 政治的・政策的・技術的な合意であって、
 社会が追及する教育目標の実現のためのキー・エージェントであり、
 連続的な指導経験と学習経験を含むもの」

 その上で、カリキュラムは3つあるそうだ。1.意図されたカリキュラム、2.実施されたカリキュラム、3.達成されたカリキュラムである。1は計画、2は実践、3は評価とも言えるだろう。これらにギャップが生じることを前提に、カリキュラムは検討すべきという指摘は重たい。例としてアクティブ・ラーニングが挙げられていたが、練り上げた計画としてアクティブ・ラーニングが示されても(1.意図されたカリキュラム)、現場での認識不一致・認識齟齬が起きた(2.実施されたカリキュラム)。意図した教育実践を行い、生徒の成長を手助けすることがいかに難しいかを感じてしまう。

 だからこそ、今一度考えてみたいことは「"カリキュラム自体”の評価」だ。年度単位の教科・分掌総括や、授業評価アンケート等は多くの学校が取り組んでいるが、「カリキュラム全体をどう評価するか?」「どう次の改善に活かすか?」「授業評価アンケートは意図されたカリキュラムに基づいているか?」など、まだまだよくできる点がありそうだ。


本書は、多くの人がちょっとは思うけど、感覚的なものに留まってしまう教育に関する見解が、体型的に整理されています。また、よくある反論を想定したような一文が随所に含まれているのも爽快です。そして何より、これだけ整理して議論されていることに脱帽です。やはり1億総評論家は良くないですね。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
是非ご感想など伺えれば幸いです。

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