見出し画像

父といっしょに歩く道

判で押したように毎朝同じ時間に同じ場所を通ると、やはり同じひとに会うことが多くなる。しかし、知り合いではないし、あちらは通行人でこちらは車の中だ。だから、「わたしが」彼らを知っているだけであって、彼らはわたしが見ていることさえ知らない。

通勤に使う道沿いには、古いカソリック系の学校がある。幼稚園から高校三年生まで一貫して通えるが、学校自体はそれほど大きくない。

その学校の制服を着る少女とその父親を見かけるようになってから、もう1年ほどになる。

アジア系の丸い顔をした小柄な少女は、いつもそっくりな顔をした中年男性と連れ立って横断歩道を渡る。
少女は制服姿だが、父親はスーツにネクタイをしめたビジネスマン風。しかし足元を見ると、サンダル履きだ。ということは、自宅にオフィスがあるか、それともまだ早い時間だから娘を送ってから出勤なのか。

しかし、わたしの目を引いたのは彼のちぐはぐな格好ではなく、その羨ましいほどの仲のよさだった。いつも何かを熱心に話し、ほがらかに笑い、肩をつっつき、眼を見合わせて微笑む。雨の日は、相合傘で少女が父親の大きなこうもり傘に入り、手に赤い傘を握る。風が強い日には、スカートを押さえる少女の花柄の手提げを父が持つ。

彼らの姿を見かけると、寝不足で機嫌の悪い朝でも爽やかな気分になれるのだった。

下校時間にその道を通ることはあまりないが、それでも早い時間に帰ることがあるとたまにその少女に会う。同じ横断歩道を逆方向に渡るのだが、彼女の姿は朝とは全く違う。眉は寄せられ、目は進行方向をまっすぐに見つめ、口は一文字に引き締められている。背に重いバッグを背負った肩はこころもち上がり、足は速い。

横断歩道で止まった姿はたったひとりで世界に立ち向かっているようで、見ているほうが切なくなるほどだ。

この少女も成長するにしたがって反抗的な言葉を口にするようになり、父と一緒に歩くことを拒み、「ひとりで帰宅するときの顔」をすることが多くなるのだろうか、とふと思った。

少女の顔に、中学生になったばかりの幼いわたしの顔が重なる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?