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ネットニットネット

日々の変わり映えしない景色の中で、ある一部分が急に目に飛び込んでくることがある。パンとズームでギュンと視界が持っていかれるような感覚に、もしかするとほんの少しだけ変化しているなにかを、カクテルパーティー効果みたいなもので脳みそが的確に選び取ってくれているのかもしれないとも思う。会社があるのは東京の中でも吸殻がたくさん浮いている方の街で、下を向いて歩くには余りにもカラスの好物が多過ぎる。仕事帰り、駅まではふわふわと視線を適当に漂わせ、ピンクい香りのする看板とは焦点を合わせずにすれ違う。これが随分と上手になってきた。

特にご機嫌で退勤したある日、歩幅のリズムでふわふわと上下する視線にまさしくパンとズームが訪れる。目ん玉のF値がぐっと小さくなったように感じた。ピントの先では、何度も前を通っているのに、何が入っていたのか全く分からないビルが建築用の養生ネットに覆われていて、その色があまりにも美しいブルーだったのだ。街中で素敵な服装の人を見つけたときと同じように、顔を前に向けたまま黒目だけをそっちに向けてビルの前を通り過ぎた。ビルを覆っているそのネットは、間違いなく自己表現のためではなく安全という実利のために着せられているのだろうが、その洒脱さを含めてとてもとてもいい。

今思えばその日を境にだったのだと思う。このところは素敵な色のニットセーターを探すことに夢中になっていて、古着やらお気に入りのブランドのインスタやらを見つめていた。お財布に相談したり古着のくたびれ具合に嘆いたり、あっちにしようかこっちにしようかと頭を悩ませる時間が寝不足を招いても、これというニット、あのブルーのニットに出逢えさえすればきっとすぐに決まるはずだと、目まぐるしく更新されるネットの中で泳ぐことを止められないでいた。そしてそういう日々が積み重なるうちに、好みの色の組み合わせに心が動かされているようでは、あのビルのお洒落さには到底追いつけないことを思い知らされた。裸では歩けないから服を着て、足が傷だらけにならないように靴を履き、大切な神経が集まる頭を守るために帽子を被るなんて、実益だけを真ん中に置いて何かを決めることが出来るのだろうか。灰色に見える繁華街の中で他のビルとは一線を画していたあのビルが、ネジの一本でも落として誰かに危害を加えないようにと身に纏うあのネットのようなニットが欲しかった。

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