ムーンライトながら往復 多気北畠氏城館(三重県津市)
コロナ前までは春休み、夏休み、冬休みシーズンの臨時列車として、
東京〜大垣間に夜行快速ムーンライトながらが走っていた。
青春18きっぷ愛用者で知らない者はいない
18きっぷとはJRが日本全国乗り放題という激ヤバきっぷである。
11,850円で5回つづり、1日あたり2,370円でどこまでも行ける。
ただし条件として新幹線、特急には乗れない。
したがって快速、各駅停車のみでは1日に移動できる限界がある。
そんな18きっぱーにとって夜行列車は神なんてもんじゃない。
そして18きっぷは始発からでなく0時からスタートして良い条件がある。
日付をまたいで最初に止まる駅は東京発は小田原、大垣発は豊橋だった。
つまり小田原から先、豊橋から先は次の日の終電まで丸々24時間使える破格なのだ!
2019年、春分の日を狙って実質1日で東京と三重を往復する計画を立てた。
春分の日前日、18きっぷを使わず普通に小田原まで移動する。
0時になったら青春18きっぷで入場し小田原からムーンライトながらに乗って朝の名古屋へ。
名古屋乗り換えで三重まで18きっぷで移動し、また名古屋に戻りまたながらで東京へ帰る。
豊橋を超えたら2枚目の18きっぷを使用する。
これで東京〜小田原 1,490円
青春18きっぷ2回分 4,740円
指定券 520円×2 1,040円 計7,270円で済んだ。
仮に三重県・伊勢奥津までを東京から普通に買うと片道8,070円
往復16,140円−7,270円=8,870円もお得になる。
二晩連続の夜行で身体はバキバキ、財布はパンパンになった。
※価格は2019年当時消費税が8%時代のものです
乗換アプリにそんな昔の運賃計算は対応してなかったので
当時の時刻表を引っ張り出して計算しました。ヒマか!
ムーンライトながらは185系
トップ画像の185系は40年以上前、普通列車から特急列車まで使えるように開発された。
今はフリーストップのブラインドが特急でも主流になったが
国鉄時代の特急は冷房完備で騒音を抑える固定窓アピールのため
横引きカーテンが特急車両のステイタスだった。
しかし185系は普通と特急の二刀流のため窓は開き、
下げるブラインドと横引きカーテンと2種類ある。
現在の通勤電車はUVカットでカーテン省略したものが多いが、
当時は山手線ですら冷房車と非冷房車が混在していた。
入線してくる電車の屋根上を見てクーラー付きの車両に乗る、
平成生まれには???😳となる風習があった。
非冷房車は窓を閉め切っていると、
夏場の車のあのモワァッとした感じになってしまうので、
感染症ではなく暑さ対策で冬と雨の日以外は常に開けていた。
その際に日除けがカーテンであると走る時の風でバタバタしてしまうため、
通勤電車はブラインドが主流だった。
したがって特急車両なのにブラインドはいかがなものか…と
特急審議委員会から苦言を呈されていたらしい。
登場時は座席がリクライニングもしなかったことも
特急の品格に欠けると苦言を呈されていた。
しかし時代は流れJR東日本に残る国鉄特急車両は185系だけとなった。
すると手のひらを返したように、
「国鉄の生き残り!昭和レトロ!ずっと昔から応援してました!」
とイベント列車に引っ張りだこで撮り鉄が熱狂する対象になった。オタクってちょろいな
阿漕な朝食
ながらは5:20に名古屋へ着く。
早く着いて嬉しいがそんな時間に開いているのは牛丼屋くらいなので、
とりあえずはモーニングの時間になるまで三重へ移動する。
阿漕駅から徒歩10分にあるブリオカフェ津垂水店が朝7時半から空いているので朝食をとった。
何食べたっけなと写真とメニューを見比べると、
アメリカンブレックファーストモーニングと思う。
写真を見ると目玉焼きをポーチドエッグにしてもらったようだ。
ケチでズボラのため普段モーニングなんて食べないが
夜行列車明けの旅先なんて朝食がいちばんうまい状態になっている。
ブリオカフェは三重県だけで展開するローカルチェーンで、
県外、まして関東に暮らす私は全く知らなかった。
奈良のベビーフェイスのようなローカルチェーンは萌える。
名松線
松阪で乗り換えたJR東海ぶっちぎりの赤字路線。
2004年までトーマスみたいな腕木式信号機が残っていて、現在でもスタフ閉塞をしている。
スタフ閉塞をざっくり言うと、
単線区間で上り列車と下り列車がごっつんこしないために、
スタフを持ってる列車じゃないと走っちゃだめ!とします。
すれ違う駅を決めて、そこでお互いのスタフを交換すれば
衝突事故が起こらないというアナログなシステムです。
輪っかをつけて持ち運びやすいようにしている。
丸いところの中に△とか□の柄が入っている。
紅白の輪っかは珍しい。おめでたい気分になる。
自転車を借りて城へ
終点の伊勢奥津駅は太っ腹で、
無料で電動自転車を貸し出してくれる!
人生で初めて電動自転車に乗車した。
最初は阪神電車ばりの発進に感動したが、
山越えにはさすがの電動アシストありでもきちゅかった。
標高地図で見るとスタートの伊勢奥津駅は270m
道中の飼坂トンネルは500m、北畠氏館は320mと結構なアップダウン。
20分〜30分ほどかけて道の駅美杉に着いた。
向かいにある旬のお食事処 みすぎで伊勢うどん昼食
ここは調理水に湧き水を使用している。
お水を飲んだ時に違いは気づかなかったが、
コーヒーを飲んだ時に水が違う!!と衝撃を受けた。
普段お水をあまり飲まずお茶やコーヒーで水分を摂ることが多いため、
飲み慣れているコーヒーだからこそ違いを直に感じやすかった。
良い醤油と安い醤油を比べる際に、刺身につけると違いがくっきりするのに似ている。
駅から美杉までは国道368号線1本で来たが、
この道は奈良と伊勢をつなぐ最短ルート伊勢本街道の一部で、
鉄道が整備されるまでは往来が多かったとお店の人が話してくれた。
こんな山奥に館がある理由も、伊勢うどんを提供している理由も納得し
疑問もうどんも腑に落ちた。
霧山城へ40分登る
ここまで鉄道の話ばかり書いてきてしまったが目的は城だ。
入口の看板の数字に覚悟を決めて歩き始める。
美杉町というくらいで、マジ杉生え杉
杉林しかない山道を40分も歩いていると、
(この先に遺跡などあるのだろうか…?)
(ひょっとしたらただの登山をしているだけなのでは…?)
…と不安が襲う。その先にたどり着いた城跡は、
自分が進んできた道は間違いじゃなかったんだ!!と思う。
写真で見るとこれだけでそんなに感動?と思うかもしれないが
実際に登ると達成感効果で城跡の残り具合以上に感動する。
ベスコングルメやガマン飯に近いものがある。
多気北畠氏館の素晴らしいところ
この辺りはふもとの地割が室町時代からほぼそのまま残存している。
田舎で良かったと言うと失礼かもしれないが、
開発を逃れてくれてありがとうという意味で田舎で良かった。
簡単にアクセスできる町なら簡単に開発されてしまっただろう。
館跡のお庭も大変に美しい。
登山の後に鑑賞すると疲労感から足取りがゆるやかになり、
より優雅に見ることができる。
北畠神社境内には館跡時代の日本最古の石垣が埋まっている。
保存のため地中にありイマジンするしかないが、
石垣技術がない時代に、この三重の山奥で新技術に挑んだことを思い浮かべると想像がふくらむ。
…長文書いた割にはオチが特に思いつかなかったため
北畠神社のトイレピクトグラムで締める。
想像と膀胱がふくらんだらこちらでスッキリしてほしい。
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