ドン・ガ馬超

1993年光栄(コーエーテクモ)から刊行の『光栄ゲームパラダイス』。読者投稿作品主体の…

ドン・ガ馬超

1993年光栄(コーエーテクモ)から刊行の『光栄ゲームパラダイス』。読者投稿作品主体の誌面は、好事家達の貴重な交流&発表の場でした。以降『歴史パラダイス』『月刊DaGama』『歴史ファンワールド』と変遷しつつ6年に渡り読者に愛された時代の徒花について、元読者の目線で綴ります。

最近の記事

私と光栄ゲームパラダイス(外伝③)

『光栄ゲームパラダイス』創刊30周年記念イヤーも、残す所1週間と少し。 元読者の皆様も、たまたまお立ち寄りいただいた方も、良い年末をお過ごしくださいませね。 メリークリスマス(^o^)

    • 私と光栄ゲームパラダイス(番外編②)

      本編で紹介できなかった過去絵を、備忘録的に追加アップします。 素人絵ご容赦。 大体が15〜20年前の作品です。

      • 私と光栄ゲームパラダイス(番外編)

        全20回に渡りお送りした『私と光栄ゲームパラダイス』。 もっと誌面について根掘り葉掘りしたかったのですが、それをやってしまうと投稿本という性質上、他の投稿者の皆様の作品について触れざるを得ませんし、著作権的な意味でも、私の立ち位置的な意味でも、我が身の役不足感は否めず、結局単なる四十路の自分語りになってしまいました。 期待された方がいらっしゃいましたら申し訳ありませんでした。 そんな独り語りにどれだけの需要があるかは分かりませんでしたが、今年(2023年)で『ゲーパラ』

        • 私と光栄ゲームパラダイス(20)最終回

          1993年に創刊された、歴史とゲームの投稿本『光栄ゲームパラダイス』。その意思を継いだ『歴史パラダイス』、ステップアップして月刊誌になった『月刊DaGama』、そして『歴史ファンワールド』。 6年続いたシリーズも、1999年3月に発売の『歴史ファンワールド』6巻を最期に、その役目を終え、永き眠りにつくのだった。 ありがとう、ありがとう、僕らはあなたの事をきっと忘れない。 …って、いや、ちょっと待てい。 あまりに急すぎるやないかい! なんなら、創刊6周年をお祝いする投

        私と光栄ゲームパラダイス(外伝③)

          私と光栄ゲームパラダイス(19)

          年は変わって、1998年。 毎日コツコツ、地道な投稿生活は続いていた。 この頃、節目となる友の会会員になった事で、ひとつの欲が出て来た。 皆さんに覚えてもらったペンネームをあえて捨てて、作品のクオリティで勝負を挑みたい。 勇気ある挑戦か、自惚れによる勘違いか。 以前、誌面に顔写真が掲載された事を発端とする、誌上でのフィーバー(という名のネタ扱い)は依然と続いていたので、その事を受けて雲隠れする、という流れなら、後々バレた時に再度ネタになるので一石二鳥かもしれない。←

          私と光栄ゲームパラダイス(19)

          私と光栄ゲームパラダイス(18)

          『光栄ゲームパラダイス』創刊から4年経った1997年。『歴史パラダイス』、そして『月刊DaGama』へと誌面も変遷して行く中、ついに念願の通算100ポイントに到達、限られた投稿者だけに与えられる称号「月刊DaGama友の会会員」に名を連ねる事になった。 素人に毛が生えるどころか、ぺんぺん草すらも生える事を拒否する不毛な世界に、ようやく一輪の花が咲いた気がした。 そんな矢先、寝耳に水な報せが誌面に掲載される。 『月刊DaGama』休刊…。 次号から偶数月発行の『歴史ファ

          私と光栄ゲームパラダイス(18)

          私と光栄ゲームパラダイス(17)

          1997年も半分が終わった頃。 相変わらず実力は冴えないが、弱者の戦略と、謎のバズりを経て、毎号数通は必ず採用されるようになり、気付けば『光栄ゲームパラダイス』のVOL.8から26号連続で没なし街道を爆進、ランキングも常に1桁をキープして、「常連」を名乗るのにも我ながら抵抗は少なくなっていた。 それでも、前述の通り実力には折り紙が付かず、そして同等のランクの御歴々を眺めれば、真に実力で上がって来た投稿者ばかり。 いつ落ちるかわからないヒヤヒヤ感と、ど素人がここまで続けて

          私と光栄ゲームパラダイス(17)

          私と光栄ゲームパラダイス(16)

          時は1997年、ひょんな事から月刊DaGamaに顔写真が載ってしまい、それがバズってしまう。 概ねお褒めの言葉が多かったが、本人は馴れない事態にどうして良いかわからず右往左往。とはいえ、順次ネタ的に消化され、じわじわと鎮静化、次第に平穏な投稿生活の日々が戻って来た。 ただ、今後私の作品が採用されて誌面に掲載される度に、一部の方々は私の顔をそこに重ねるのではないかと思うと、適当な数合わせ作品は迂闊に送れなくなってしまった。 だが逆に、これだけ話題になりインパクトを残せたの

          私と光栄ゲームパラダイス(16)

          私と光栄ゲームパラダイス(15)

          1997年3月20日。神奈川県日吉の株式会社光栄(現コーエーテクモ)内、月刊DaGama編集部にて行われた「編集部見学ツアー」。 同時に行われた「三國無双大会」で見事に優勝した私は、しおざきのぼる先生のイラスト入りの賞状や、同ゲームの非売品公式グッズを手に、ニコニコで記念写真に収まった。この様子は、次号の『月刊DaGama7月号』に掲載されるのだという。 え?顔写真が載るの? ただ、過去の編集部主催イベントを振り返っても、イベントについての掲載は多くて半ページ、プライバ

          私と光栄ゲームパラダイス(15)

          私と光栄ゲームパラダイス(14)

          1996年に創刊された、歴史とゲームの投稿誌『月刊DaGama』。 積極的に読者と編集部の交流イベントを企画していた同誌が、ついにその総本山である編集部を見学できるという企画を打ち出した。 同時企画として、当時発売されたての格闘ゲーム『三國無双』の大会も行われるのだという。 もちろん応募して、抽選の結果見事当選。 なけなしの貯金をはたき、新幹線で神奈川県は日吉に向かう。自身初めての関東入りにドキドキしながら、待ち合わせ場所に到着すると、旗を持った編集部の方が待っていて

          私と光栄ゲームパラダイス(14)

          私と光栄ゲームパラダイス(13)

          1993年光栄ゲームパラダイス創刊の時から続く、4年ちょっとの素人作品投稿の日々。 門外漢からスタートしたが、ちりも積もればなんとやらか、作品の採用率も徐々に上り、ついには交流会(今でいうオフ会)というリアルな場で「ファンです」と告白されたりしまったり。 いやた、嬉しいのなんの、天にも昇る気持ちになった。 幸い、我が身の丈は把握してたつもりなので、それらをさっ引いて、世の中がそんなに簡単なわけはないと、話半分の受け止めに努めた。 それでも残りの半量を受け止めただけで、

          私と光栄ゲームパラダイス(13)

          私と光栄ゲームパラダイス(12)

          編集部主催の交流会(今で言うオフ会)に参加する事で、編集部の方や自分以外の投稿者、そして読者の皆様と接する事ができ、自分が各位にどう認知されているかなど、投稿生活だけでは知れなかった刺激を得る事ができた。 このことを受け、投稿の戦略についても、自分の描きたい物から相手にインパクトを与える作品へと、より一層シフトする事となる。 自分の描きたい物が載った喜びも捨てがたいのだけど、認知される喜びの方が一歩リードした形だった。 当時プレイステーションで発売されたシューティングゲ

          私と光栄ゲームパラダイス(12)

          私と光栄ゲームパラダイス(11)

          1996年に創刊された『月刊DaGama』は、ゲーム会社光栄(現コーエーテクモ)が刊行する、歴史とゲームをテーマにした投稿雑誌だった。 前身となる光栄ゲームパラダイス(1993年創刊)から足掛け3年と半年、門外漢ながらも謎のモチベーションと勢いで作品の投稿を繰り返し、膨大な量の作品のしかばねを乗り越えて、ようやく「常連」を名乗れる一歩手前までたどり着いた。 もうひと押し。さらなる高みを目撃すべく用意した投稿のネタは『封神演義』の「宝貝(パオペイ)辞典」。 後に週刊少年ジ

          私と光栄ゲームパラダイス(11)

          私と光栄ゲームパラダイス(10)

          1996年に創刊された『月刊DaGama』。 その創刊号の特集記事に、私の作成したリストが一部採用された。 中国の歴史小説『三国志演義』に登場する、戦場での武将同士の一騎討ちを、抜き出して国別にリスト化したもの。時間さえあれば誰でもできる事だけど、普通はめんどくさくて手を出さない案件。 文才も絵心もない身としては、この辺りを攻めないと、インパクトは残せまい。 その戦略がうまくいったのか、それとも気づかない内に実力が上がっていたのか(後者ではないと思うのだが)この創刊号

          私と光栄ゲームパラダイス(10)

          私と光栄ゲームパラダイス⑨

          1993年創刊の、ゲームと歴史の投稿本『光栄ゲームパラダイス』。3年の歳月を経て、とうとう月刊誌の『月刊DaGama』へとリニューアル。 記念すべき創刊号を、勿論書店に予約して、発売日に即ゲット。 書籍から雑誌になったため、中〜大型書店の歴史系雑誌コーナーにも定番的に置かれ始め、大手スポンサーの広告も誌面に登場するようになった。 予期してなかったメジャー化に戸惑いつつ、ページをペラペラ。 まず初っ端は、光栄(現コーエーテクモ)初の対戦格闘ゲーム『三國無双』のスクープ記

          私と光栄ゲームパラダイス⑨

          私と光栄ゲームパラダイス⑧

          1993年に光栄(現コーエーテクモス)から創刊された『光栄ゲームパラダイス』は、ゲームと歴史をテーマにした、読者作品主体の投稿誌だった。 ネットの普及前夜において、好事家達の交流&憩いの場として実績を重ね、隔月刊化の後、歴史寄りの『歴史パラダイス』としてリニューアル。 毎号、数百のアマチュア投稿作品が掲載され、令和の現在には誰もが知っているあの漫画家さんの無名時代の作品が載ってたり、逆に私のような門外漢による質より(熱)量的な作品も掲載されるなど、多様性に過ぎた構成が魅力

          私と光栄ゲームパラダイス⑧