授業中に砂をぶちまけた話 〜体験は面白い
ここ数年注目されつつあるアクティブラーニング&ラーニングピラミッド。
みなさんご存知ですか?
実際にやってみるとわかりますが、確かに定着率というか、熱中度がピラミッドの下に行けば行くほど上がっていく感じは確かにあります。
僕は今でこそこうしたことを理論理屈で語れますが、教育の仕事に関わり始めた頃はよくわかっていませんでした。というよりも感覚的に「もっとちびっ子達に楽しんでもらうためには?」を探求していたと思います。結果、このラーニングピラミッドの下に位置するようなことをやっていたこともチラホラ・・・。
結果、20代の頃にやらかした(?)懺悔的なお話を綴ります。
【竹富島のビーチに行って考えたこと】
僕は沖縄が大好きです。
学生の頃は「形の残らないものにお金なんてかけられない!」くらいに思っていました。とにかく貧乏でしたし。でも社会人になって、金銭的に余裕が出てきて、そして初めて沖縄に行った時にその美しさ、非日常感にすっかりと魅了されました。
で、それからしばらくの間、ほぼ毎年沖縄に旅行に行くようになったんですね。沖縄のこともわかってきて、いろんな島が制覇したくなって、竹富島に行ったのですよ。竹富島のとあるビーチでの出来事。(写真は宮古の浜です。竹富写真がない…)
「おぉ!星の砂って本当にまんま砂浜にあるんだ!」僕はしゃがみ込んで砂浜を舐めるように見つめました。普通の砂に紛れて、確かにポツポツと星の砂が混じっているのです。普通に感動しましたね。
が、当時から教育について…というか、ちびっ子のリアクションを考える癖がついていた僕は、次の瞬間授業のことを考えていました。
「この砂、ちびっ子達に見せたいなぁ・・・」
そう思うと僕はスタスタと海の家的なところに行き、ペットボトルのさんぴん茶を1つ買い、フタを開けるなり一気にさんぴん茶を飲み干しました。僕は素早くペットボトルをカラにして、それを海水でゆすいだ後に、そこに砂浜の砂をいっぱいに詰め込んだのです。
「これを持って帰って、授業の時にちびっ子達に見せてあげよーっと!」
【そして床に砂をぶちまける】
沖縄から帰ってきて、夏が終わり9月になりました。その当時は、火曜日に小学4年生のちびっ子達と授業を共にしていました。その日に合わせて、仕事用のカバンの中に竹富島から空輸した(笑)、ペットボトルいっぱいの砂を忍ばせます。
出社して、何食わぬ顔をしてデスクに座り、上司の目を盗むようにデスクの下にペットボトルを隠します。夕方になり、授業の時間が近づきます。
デスク下のペットボトルを手に取り、後ろ手で持って教室へと向かいます。こういう時ってどんな風な演出をするのか?普通は多分・・・
「ジャジャーン!ほら、これが星の砂だよ!」
とか言って見せますよね?(普通じゃないか…)でも僕は何と無く「ただ見せて説明をするだけじゃつまらないし、ちびっ子達の思い出にも記憶にも残らない。当然学びたい欲なんか今ひとつ刺激されないよなぁ・・・」と思っていたのです。
頭と心のどこかで「対話や体感・体験から得られる学びは、普通にやるより効果が高いんじゃないか?」当時は単なる遊び感覚ですが、そんなことを考えていました。やっている方もワクワクするとちびっ子達にもそのワクワクが伝播する感覚も、何と無く知っていたのかもしれません。
僕は事前にちびっ子達とそのお母様方にこっそりと電話を入れていたのです。「次の授業では新聞紙を持ってきてください。何に使うかは秘密です!」と。(まずもって新聞紙など使う必要もない授業なのに・・・)
教室に入った時のちびっ子達は、もう楽しそうです。突然訪れる非日常的感覚って楽しくないですか?ちびっ子達は何が始まるのかとウズウズしています。
ちびっ子「先生!新聞紙持ってきていますよ!」
ソガ氏「おう!いいねぇ。ではみんな。床一面に新聞紙を敷いてくれ!」
なるほどそうきたか!みたいなちびっ子達の反応。僕は人差し指を口元に当てて
「しぃっ!!」
と、静かにやれよ!のサインを送ります。たまたまその教室が建物の一番奥だったので、まず他の人にいきなり見られることがなかったのですが、まだまだ入社2〜3年目とかの頃でしたから、僕はそれなりにドキドキしていたわけです。
机と椅子を後ろにどけて、床には新聞紙が敷き詰められました。少人数のクラスにしていましたから、ちびっ子達は6人だけ。今思えばこれくらいの人数だったのもちょうど良かったのかもしれません。僕は子供達の前にペットボトルを出します。
ちびっ子「え・・・砂??何これ、どうするの?」
ソガ氏「今からさ、この砂の中から探して欲しいものがあるんだよね」
そういうと僕は新聞紙の上でペットボトルを逆さまにして振り始めます。この日のために水分を飛ばしていたので、心地よい音ともに新聞紙に砂が飛び散ります。ちびっ子達も日常では明らかに見られない、部屋の中を舞う砂に興奮気味です。
ソガ氏「はいっ、どーぞ!それじゃあ後はよろしく!」
僕の掛け声とともにちびっ子たちは一斉にしゃがみこみます。そして砂を一心不乱にかき分け、一粒一粒を眺めています。一体何を探し出せばよいのやら…やがて一人の男の子が気がつきます。
ちびっ子少年「あ!これ変わった砂が入ってる!綺麗な形してる!」
ちびっ子少女「それ知ってる!星の砂っていうんだよ!!」
こうなるとほぼ自動的に、ちびっ子たちのミッションは砂の中から星の砂のツブツブを探して集めることに変わっていきます。皆が夢中になって星の砂コレクターになるわけです。あるちびっ子が興奮気味に語ります。
ちびっ子「俺、星の砂ってお土産で売ってるビンのやつしか見たことなかったよ!こんな風に本当に砂の中に入っているんだね!」
ソガ氏「そうなんだよ!先生も驚いた!普通に砂浜の砂に混じって星の砂があるんだもんね!なんかメチャ得した気分にならん?」
ちびっ子「あー、わかる!(笑)」
ソガ氏「でもさ、めっちゃ変じゃない?なんで普通の砂浜なのに、沖縄のとあるビーチにだけ星の砂があるんだろう?」
【好奇心の先にあったもの】
ちびっ子たちは家に帰ってから、まずは各々が集めた星の砂を自慢げにお母様やお父様に見せてくれたみたいでした。
で、面白かったのはここから後です。(僕はリアルタイムで見れてませんが)
ちびっ子達は気になって仕方ないのです。砂浜の砂の中に混じっていた星の砂の正体が。ちびっ子達の物心ついた記憶で行ったことのあるビーチに、星の砂などあったことは一度も無いのです。なぜ?ちびっ子達は調べます。あるちびっ子は家にあった理科の図鑑を引っ張り出して片っ端から読み始めたり、あるちびっ子はお母様にストレートに「なんで星の砂って沖縄にしかないの?」と聞いてみたり。
またあるちびっ子は、お父様と一緒にインターネットを使って調べてみてくれたり。そして各々が少しずつ、その正体と真実にたどり着くわけです。ちなみにみなさんは星の砂の正体をご存知ですか?
こういうものを調べた後にちびっ子達に会うと、待ってましたとばかりに調査結果を教えてくれます。中には「本当に子供が調べたの?」というところまで深掘りしていたり、そこから派生した内容に発展していることもあったりして、とても驚かされることがあります。その内容を見て、率直に驚き、感心した様子をみんなの前で見せると、他のちびっ子達が大変なことになります。
「あ、あの子がめっちゃ褒められてる・・・自分も褒められたい!」
動機はあまり素敵では無いかもしれませんが(笑)、それはそれでちびっ子達のモチベーションになり、さらに驚くような調査や考えを持ってくるツワモノも現れたりするのです。恐るべきちびっ子達・・・。
【学び=最適化されたノウハウ<1点集中の強烈な刺激】
今、生活の様々な部分はすごいスピードで最適化されています。Amazonをポチれば世界のどこにいても大抵のものは手に入ります。ネットで何かを買ったり、動画を見たりすれば、すぐにあなたに最適化されたレコメンド(オススメ)が届きます。外食したければ食べログがお店の評価をすぐに教えてくれて、恋人と遠距離恋愛になってもSkypeやLINEで、世界のどこからでもすぐに繋がることが可能です。
少し怖い言い方をすれば、思考停止でも生きることに事欠かない時代です。
そんな時代に学ぶ意味とはなんでしょうか?学歴?「食っていく」ため?偏差値を高めたいから?メガバンクへの就職が安定だから、その準備として?公務員になれば倒産は無いから、さらなる安定のため?
受験だって、するかしないかは自由ですし、するとなったら受験突破に最適な学びはあちこちに転がっています。
「〇〇に必要なたった5つのこと」みたいなノウハウは、既に溢れているのです。何を・いつまでに・どれくらいやれば良いのか?情報には困りません。そんな時代に僕は2つの問いを投げかけます。
①最適化した方法論はあるのに、なぜそれで学べる人は少ないのか?
②受験などしなくてもなんとかなる時代に学ぶ意味とは?
そして、この2つの問いの共通点は何か?僕はそれが「感動体験・モチベーション・好奇心」だと思っています。最適化されていても、いかにそれが最適であるか?いかにそれが正しいのか?そんなことを論じて説得することは、もはやあまり意味のない時代になりつつあると思います。
では、こんな時代にちびっ子と向き合う時、何を意識した方が良いのか?僕なりに心がけていることを書き出してみますね。
①教えるというよりたくさん問いかけてみる
②いろんな角度から取り敢えず沢山の数と種類を与えてみる
③興味の瞬間は目と手に現れる。そこをじっと見る
④躾や美意識はお互い気をつける(ここは怒らずに叱る唯一のポイント)
⑤疑問質問主義主張・異論反論オブジェクションは全てOK
④⑤はみんなでシェアして、①〜③は僕が気にしていること。そして、いつか出会うであろう、本人とって1点集中の強烈な好奇心や感動の刺激が結局学びのコアになるわけです。これに出会うと、無理して沢山与えなくても必要なことはどんどん学んだり、やってみたりするようになります。(勿論飽きる・弛むはありますが、それは大人も同じですよね?)
授業で、室内で砂をぶちまけるという、ある意味強烈な体験が楽しくて沢山学んでくれたちびっ子と、その学びっぷりに驚いたお話でした。たった1つ、ビビッとくればしめたもの。完璧を求めず、でも1つ1つの実りを大きなものにするために体験・体感の機会を増やすのは、実は効率的なのかもしれません。
・・・全然懺悔で無くなりましたが、砂をぶちまけて楽しかったということで…。
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