鬱になった受験生の話 〜心時代の生き方
「令和ってこころと精神の時代だよなぁ…」と思ったら書きたくなったエピソード。今でこそ多くの方に認知されるようになったとされる、こころの話。
【突然の相談】
今からもう13〜14年前くらいでしょうか。まだまだ世の中的には「うつ」というものが正しく病気として理解されていない頃だったと思います。
やっと日本の企業でも「心の病について学んだ方が良いのでは?」と囁かれ始めたかな?というくらいの時期でした。その年の10月くらいに、僕自身はほとんど関わりがなかった、中学3年生の娘さんがいらっしゃるお母様から「相談したい」という連絡をいただきました。
「はて・・・?受験の相談かな?志望校で迷っている??」
僕はほとんど接点がなかったので(ほかのスタッフが通常の相談窓口になっていた)、何を話して良いやら・・・取り敢えず電話でご用件を伺うこととしました。電話は夜が良い、ということでまあまあ夜遅くに電話をしたと思います。電話に出たお母様の声は、相当に暗く沈んでいました。何事かと恐る恐るご用件を伺ってみました。ポツリとお母様が言います。
「先生…。鬱病ってご存知ですか?うちの子が重度の鬱と診断されたんです。」
当時の僕はやっと会社の現場管理職向け勉強会で心療内科や精神病理の考え方の基本を学んだくらいでした。ただ、僕の兄も父親がいなくなってから自閉症気味だったので興味はずっと持っていました。自分で本を買って読んでいたこともあり、感覚的に事態の深刻さは理解できました。お母様曰く、お医者様の診断によると「年単位の治療・療養が必要」とのことでした。でもお母様は治療に踏み切れず相談したかった…ということだったのです。
【愛ゆえの困難と決断】
お母様は電話越しにすすり泣くように声を絞り出します。
「せっかくここまで受験勉強頑張ってきたのに・・・。ここで勉強やめて高校行けなかったら、この子の人生どうなっちゃうのか・・・」
娘さんご本人も「受験はなんとか頑張りたい」と言っているし…とも仰るのです。ただ、鬱の怖いところは、本人がやる気がなくなってイヤイヤ状態になることではありません。本人がどんなにやりたくても、体ができなくなってしまうこと。体とこころのバランスが崩れてしまうことが、何とも難しい。お母様も親であるがゆえに、我が子を愛するがゆえに辛そうな我が子と、ここまで勉強を頑張ってきた我が子を無意識に天秤にかけてしまっているのが、嫌という程伝わってきました。
よく「鬱になった人に頑張って!などの声をかけてはいけない」と言いますが、娘さんは中3で受験生でもあります。普通に考えれば中3の秋も深まる頃に
「あともう少しだね、頑張ってね!」
そんなエールの一つも贈りたくなるのは、ごく自然なことです。でも、それをしてはいけない、できない。お母様はこの状態をうまく受け止めきれずに困惑していました。 僕も当時は詳しい知識もなく、このような生徒さんをお預かりした経験もなかったので、わずか数十分の電話での判断はとてもできない…と、そんなことも思いました。でも、迷ってもいけない。彼女のこの先の人生も・今を生きることもこの判断にかかっているのかも・・・。僕は思い切って提案しました。
「塾を今すぐ辞めてください。勉強も一切辞めましょう。」
お母様は、相談を持ちかけたとはいえ僕の提案に驚いていました。
「え・・・?先生、それは大丈夫なのですか?だってもう半年も経たずに受験ありますよ?勉強はどうしたら良いのですか?そうでなくでも成績振るわないのに…」
お母様としては現実的な我が子の将来を案じることもとてもよくわかります。でも、騙し騙しでもうまく勉強を続けるという選択肢はどうしても浮かびませんでした。何のための勉強なのか?本人は勉強が嫌と言っているわけではない分、余計に辛い。でも・・・
ソガ氏「お母様のお気持ちもわかります。でも、今私たちの都合や想いだけで無理をさせて良い受験体験になるようには思えません。もし無理をさせて本当に戻れないくらい心が壊れてしまったら、その方が後悔しませんか?」
お母様「はい。・・・でも。中学卒業してどこに行けないのも・・・」
当時は今以上に学歴や勉強というバイアスは強かったです。ましてや僕たちのような民間教育の人間が勉強について消極的とも取れるような発言をするのは勇気がいることでした。でも、どう考えても良いイメージが浮かばないものを勧めることは、プロの自覚と誇りがあればこそできるわけもありません。
ソガ氏「お母様のご心配はわかります。私も不安です。まだまだわからないことも多いですが、今万が一のことがあって、一生心が病んだままになったら勉強とか学校とか、そういう問題ではなくなると思います。ここを離れても不安ならばまたご相談にいらっしゃってくださって結構です。ご本人も買い物ついで寄っておしゃべりしたいならばいつで来ていいよ、と伝えてあげてください。先のことはわかりませんが、今できることをしてあげましょう。先を考えすぎずに。」
こうして彼女は中3の秋にして勉強を辞め、治療に専念することにしたのです。当然のことながら、次の日から彼女は勉強に来ることはなくなったのです。
【してあげられることはありふれた日常の中に】
その後、彼女が通う中学校の友達づてに彼女の様子を時折聞くことができました。休んだり、遅刻したりはあるけれど学校で見かけることはあるような…とのこと。正確なことはさっぱりわからない状態でしたが。
冬になり、年が明けて受験を迎え、そして受験が終わって春になりました。春と言っても、梅が咲いて、桜はもうちょい先かな・・・くらいの、肌寒さも少し感じるある日。彼女が突然教室を訪れたのです。
あの頃より幾分痩せていたけれど、ニコニコと笑顔で、ちょっと照れ臭そうにして。彼女曰く、勉強を全くやめて本読んだり散歩をしたり、友達と取り留めの無い話をしたり、お母さんと買い物に行ったり…。そんな日々を、ありふれた時間をゆっくりと過ごしていたそうです。
年を越して、もうすぐ冬が終わるのかなぁ・・・と思った時に「まだ今からでも受験間に合うかな」と思い立ったそうで、慌ただしく勉強再開やら書類の確認やらをしたそうで、二次募集でギリギリ引っかかって、晴れて高校生になれます!とのことで・・・!
僕は驚きました。当時は鬱をはじめとした心療内科系の理解や知識も、お医者様も浅かったのかもしれません。でも、「年単位の治療がいる」と言われた彼女が、約4ヶ月の休養で驚くほどの回復をしたのです。そして希望通りでは無いにせよ受験にこぎつけられたて高校生になったという経験は僕にとっても貴重なものとなりました。ありふれた日常を噛み締めることで、彼女は長い長いくらいトンネルを抜けたみたいです。
【心の時代に生きるスタンス】
令和ってとっても「心が大切な時代」っていうのはなんとなく感じている方々が多いのだと思います。なぜか?それは目で見てわかる・耳で聞いてわかる変化がとてつもなく早くなったから。僕はそんな風に思います。五感だけでは追いつくことができずに、なんだか息切れしちゃうのです。
政治も宗教も、人が人を好きになる機会も経済も
産業社会も信頼の築き方も、自然環境も流行り廃りも
そして学ぶことも学び方も。
とにかく移り変わりが早くて、体よりも心が追いつかなくなっちゃうのです。
こういう時、どんな風に選ぶのが生き方として良いのか?答えは人それぞれでしょうけれども、僕は3つかな、と感じています。その三つとは・・・
①直感的にワクワクや面白さを感じるか?
②だとしたら大変でも没頭できるか?
③おすそ分けができそうか?
この①〜③を満たせるものと出会えたら素敵なことです。逆にどれも満たせないものに無理をすれば、心が軋み始めます。イメージは「補助輪のない自転車に初めて乗ろうとチャレンジした時」に近い感じ?(笑)
「おすそ分け」もかなり僕的にはエモいのです。本当に素敵なものは、思わず他の人にも知ってほしい・体感してほしいって、なりません?
心の時代は、心の養分の匂いを探しつつ、心が動く方向に。ちびっ子から大人まで、そんな羅針盤を持って進む時代をスリリングに楽しめたら素敵ですね✨
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