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難聴の天才児 〜成功って何だろう?の話

皆さんは何を手にしたら「成功した!」と胸を張って言えますか?

巷では相変わらず「人生の勝ち組・負け組」みたいな言葉が踊っていますが…。勝ち組・負け組って何で決まるのでしょう?もしこれを読んでいる方がお子様を持つ親御さんであるならば・・・「我が子の成功」って何でしょうか?ありがちなトピックですが、あえてこのテーマで書きたくなる夏の終わりの深夜。

今回は僕と教え子「のり君(仮名)」の、ある意味での失敗を綴ったお話です。

【難聴の小学生のり君がやって来た】

まだ僕が社会人になって間もない頃でした。社会人になって半年ほどたった夏の終わり、僕は人生で初めての上司に、季節の変わり目とともに小学2年生のちびっ子達を新しく迎え入れるコースの立ち上げを任されていました。正確にいうと初夏の声が聞こえ出す頃から「秋になったら新しく小学2年生の子供達にも来てもらえるコースを立ち上げようね」と言われていて、その最終仕上げの段階でした。気合いを入れて・愛情を込めて準備していたからか、幸運にも上司が想定していた倍以上のメンバーで、大盛況の開講が無事に決まったのです。いやー頑張った、自分。それに結構面白いちびっこ達が集結したな!これは楽しみだ・・・。などと思い耽っていました。

もう間も無く開講する、本当に前日・前々日くらいに1件の電話が鳴ります。6月くらいにちびっこ向け体験イベントに参加してくれていた、のり君のお母様でした。

のり君は初めて会った時から補聴器をつけていました。生まれた時から難聴で、日常生活にさほどに支障はないけれどとにかく聞き取りづらい。それが原因で興味を持ちたくてもうまく参加できなくて飽きちゃうことが多かったみたい。初めてイベントに来た時、僕は補聴器が気になって座席とか声かけの仕方に工夫をしていました。当時の僕は若僧で経験もなかったですが、小さい頃に父親を無くした経験から、すごく人の空気感や感情の変化に敏感になっていたのです(詳しくは自己紹介noteを読んでくださいw!)

お母様からすると、難聴ゆえになかなか普通のコミュニティに飽きずに参加させられる自信が持てない…。が、この6月のイベントは本人もとても気に入ったらしいのです。それで秋からレギュラーでみんなで学べる環境があって、同じように気を配ってもらえるなら…。そんな思いもあって「うちの子も先生のところで一緒にお願いできますか?」という相談をいただいたのです。今の日本も・当時の日本も、いわゆる「大多数向けの設計」が多いのですが、僕が好奇心旺盛なちびっ子を断る理由はありません。少人数で、のり君に合うクラスに少し設計をいじりました。

こうしてのり君と共に学ぶ日々が始まったのです。

【難聴の天才児】

本格的に毎週1回、授業で一緒になったのり君の才能に気付くまで時間はかかりませんでした。好奇心が旺盛すぎるくらいに溢れ出ている!そしてとにかく感情が豊か!そして言葉や知識への意欲や好奇心がハンパなかった。補聴器をつけていましたが、好奇心旺盛なのり君はうまく聞き取れないとすぐに首を傾げて「?」みたいな合図を送ってくれるのです。

早く聞きたくてしょうがないのです。それが可愛らしくて…。

のり君の合図や、彼から感じ取れる空気感の変化(あ、今聞き取りにくくて集中力切れかかってるかも・・・みたいな信号)への対処や連携も日々精度が上がっていきます。僕がのり君に聞こえるように説明をすると、本当に満面の笑みでリアクションしてくれて、問題を解いたり発言したりしてくれるのでした。特にのり君は音読が大好きで、そしてとても上手でした。音読をみんなで順番にしよう!という時は、いつものり君は「目がなくなっちゃうのでは?」というくらいニッコリと笑って「先生、ボク上手に読めるよ!」と言って、真っ先に読みたいアピールをしてくるのです。そしていざ音読をしてもらうと、本当に感情を込めて、1文字1文字を噛みしめるように音読をしてくれるのでした。また興味深いことに、書かれている内容に興味を持つと格段に好奇心と集中力が鋭くなるのも、見ていてすぐにわかる子でした。

のり君が小学4年生になる頃、お試しでテストを受けてみよう、という話になりました。のり君のことは何かと心配なお母様。「テスト」と聞いただけで不安顔…。

お母様「この子がテストなんて集中力が持たないのでは・・・」

のり君「うーん・・・。でも受けてみるよ。面白そう!」

のり君はいつもの笑顔でお母様の不安を鎮めます。そしていざ、初めての模擬試験なるものを受けたのですが・・・これが抜群に成績が良い。学年でもトップクラスの点数を取り、いわゆる偏差値でも70を超える成績。当の本人のリアクションは…

のり君「なんか面白い問題いっぱい出てたよ☆先生と一緒にやったようなヤツも出てた!楽しかった〜!」

とか言ってるわけです…。すんごい天才児がここにいた・・・。事も無げにものすごい成績を取ってキャッキャしているのり君を見て、率直に思ったことでした。ただ同時に、「本当に興味があるものは別にあるな」と感じることも。のり君は本当に興味と好奇心が解放されると「楽しそう」では済みません。彼の集中力は並大抵ではありませんでした。ピクリとも動かなくなり、本や算数の式を食い入るように見つめるのです。その瞬間に出会うと、彼の天才児っぷりをビリビリと感じることができました。

のり君にとって模擬試験はお遊びのようなものか、大人の期待に上手に応える道具だったのかもしれません。なぜそう思ったか?時折彼は模擬試験の案内を持って僕に訪ねて来たのです。

のり君「ねぇ先生、これ、ボクも受けたほうが良い?先生どう思う?」

ソガ氏「うーん…。受けられるなら受けてもいいかも。もうちょっと大きくなった時、のり君が受験したいってなったら役にたつしね。」

のり君「ふん・・・。(笑顔で)じゃあ先生がそう言うなら受けよっと!」

ちびっ子達は勉強や習い事を頑張りたい理由の1つとして「お母さんに褒められたい」「親を安心させてあげたい」などといったことが良く登場します。それこそアンケートなどでランキングを作ると上位にランクインする。ひょっとすると、のり君はのり君なりに僕とお母様を安心させたかったのかな…とも思い返しました。

のり君の圧倒的才能をテスト以外の部分でなんとなく感じていた僕は、彼にどんな未来を歩いてもらったほうが良いかを色々考えるようになっていました。溢れる才能と圧倒的成績をとるのり君ですが、難聴というハンデもあります。しかし当時の僕は様々な学校の特色も・入試の仕組みに関する知識も・受験経験もありません。

そこで僕は暇な時間を見つけて本を読んだり、実際に学校まで見学に行ったりして、拙くとも知識をつけてちびっ子達の将来に合いそうな道を探したのです。僕はのり君に合いそうなとある私立の進学校を見つけました。マニアックなことも平然と受け入れてくれる、学者肌なちびっ子にウェルカムな感じがする学校を。「ここが良いなぁ…」直感的に思いました。のり君は研究者とか先生が向いていると思っていた僕にはその学校がぴったりに映りました。いつか彼が大きくなって、本当に受験をしよう、となったら言ってあげよう…。

【突然のお別れと受験の成功】

のり君がいよいよ小学6年生になり、本格的に受験をしようかどうしようか・・・というある日のこと。突然お母様が僕を訪ねてやってきました。何だろう?いつもはこんな風に突然来ることはなかったのに…。とりあえず話を聴こうと思い面談室にいきました。そこでお母様は開口一番、僕にこう言いました。

お母様「先生、うちの子受験をしようと思います。ので、ここを辞めます。」

ソガ氏「え・・・?辞める・・・のですか?」

僕は初めての体験でうまく言葉が出てきません。何かまずいことがあったのか?怒らせるような失礼なことしたのかな?自分ではわかりません。心臓がバクバクいっていたのを覚えています。色々聞きたいけど、何から聞いていいかわからない。お母様はうつむいたまま話し続けます。

お母様「別に不満はないんです。このままお世話になってもいいんだと思います。でも、親が不安になっちゃって。この間別の大手塾に話を聞きに行ったら、この子は間違いなく良い学校に合格するから是非ウチに来てくださいって。」

ソガ氏「・・・確かにのり君はどこでも合格はできると思いますが・・・」

お母様「完全に親の決定なんです。・・・すみません。先生を疑っているわけではないけど、漠然とした不安で。向こうの大手塾、実績も良いんですよ。」

まだ経験もない、20代の僕はそれを聞いて何も言えなくなってしまったのです。彼の為に1年半以上前から考えていた学校のこと、彼の将来に合うかもしれないお仕事のこと…。

お母様「本人を連れてくると、名残惜しくなるから連れて来ませんでした。親のわがままで本当にごめんなさい。彼にはよく伝えておきますので。」

こうして僕は、のり君になんの挨拶もできないまま彼とお別れすることとなったのです。それから1年後、彼が都内でも名門中の名門の学校に合格したという知らせが届きました。のり君なりの、お母様なりのお気遣いであったのかもしれません。残念な気持ちもありましたが、彼が無事に合格したのなら良いか…。そんな風に自分を納得させるしかない。のり君との時間は、そんなほろ苦い思い出に変わってしまったのです。

【突然の再訪と叶わない再会】

それからさらに1年と数ヶ月が経った後。ある日の休日明け勤務早々、職員からの報告が入ります。

「ソガさん、ちょっといいですか?のり君覚えています?昨日、お母様が突然いらっしゃったんです」

ソガ氏「え?・・・なんでまた?何があったの?」

のり君が合格し通っている学校は、電車でゆうに1時間以上かかります。楽に通えるとは言い難い。でも誰もが羨む「超」がつくほどの進学校でしたから、なんとか頑張って電車通学をさせていたようです。最初こそのり君は電車通学をしていたのですが、ある時期からどうも様子がおかしい。どうやら彼は学校に行くことが嫌になって、何か糸がぷっつりと切れた状態になり、電車を途中下車して遊び歩くようになってしまっていたらしいのです。頼るところもなく、どうしていいかわからず、また僕たちのところに相談に来た、というのです。お母様は困り果てて泣いていたようです。当時のこともすごく気にしていたようで、僕が話に出ていかないほうが良いとのことでした。

しばらく彼の様子を見てカウンセリング的に授業をしましょう、と別の担当が提案をしたようで、プライベートレッスンの形で再び彼が僕たちの元へやってくるようになりました。ところがお母様の後ろめたさもあるのか、たまたまの偶然なのか…。僕の定休日に合わせて授業を組んだようで、彼とは会えません。別の担当から話を聞いても、特に不満や文句があるわけではなく、お母様はただただ申し訳なさそうにうつむいているばかりだったそう。

半年くらい勉強のリハビリということで通った後、「取り敢えず大丈夫そうになったので…」ということで再び僕たちの元を去って行きました。

【成功とは何か?を決める難しさ】

その後、彼がどうなったのかはさっぱりわかりません。無事に高校に進学できたのか?大学受験はしたのか?今はもう立派な青年と呼べるくらいの年齢になっているはずですが・・・。名誉のために書いておくと、のり君のお母様はとても優しくてお子様思いで素敵な方でした。控えめで謙虚な発言が多く、愛情に溢れていてのり君の未来を一生懸命に考えていらっしゃいました。

僕自身、あの時のり君の将来を夢中で考えたことをなぜ力強く言えなかったのか?冷静に考えて、それは経験も無く確信を持って力強くいうには至らない自分がいたから。それは明白です。でも、もしあの時本気で力強くのり君の将来やビジョンを伝えることができたならば・・・。僕は大きな失敗をしたような後悔の念がずっと拭えずにいました。そして、これはもはや憶測でしかありませんが、のり君もまた結果的に自分でうまく選べなかったことで中学生活に幾らかの失敗感情を持ってしまったのかも知れません。お母様の心模様も如何様であったのか…。

今、実感と確信に満ちて言えること。それは「成功の価値=自分で選びとってやってみて、振り返った時に本人がそう感じるか否か」ということです。では、親をはじめとする周りの大人たちが成功支援のためにできることは?それは例えば

◆ある物事ができる環境を用意してあげる

◆「やらせてあげる」ところまで補助してあげる

◆「いうことを聞かせる」のではなく意見交換をしてみる

◆大人の側は正解を持たずに、感じたこと(嬉しい・悲しいなど)を伝える

こういうことなのだと思います。上にあげた4つの中で、僕の経験上親御さんの実践が難しいのは3番目と4番目だと思います。どうしても大人になると、子供に「言うことを聞かせる」「正しいことを言ってあげる」というプレッシャーもかかるのかも知れません。でも、ただでさえ変化も激しく、今手にしたはずの素晴らしい成果が5年後も人が羨むものかはわかりません。そもそも他人が羨むものが自分にとって本当に価値があるかどうかだって怪しいものです。

本当に難しいのは、周りの人が見たら誰もが羨むような物や状態を、自分が選んだわけでもなく不意に手に入れてしまった時なのかもしれません。世間一般でいう成功を、勝ち組の証を手に入れることで価値観がゆがんだり「あれ?これって僕が欲しかったものだっけ?」と迷い出したり…。そして「こんなはずじゃなかった…」と悩み苦しむことも多いのかもしれません。

自己責任とかそういうことじゃ無く、自分で考えて選べた未来が価値。だからこそ苦しい時に「苦しい」って弱音も吐ける。楽しい時に「楽しい!」って素直に言える。だから何度転んで怪我しても、がんばってまた歩こうとも思える。そうやって過ごせた時間を振り返ると、大なり小なり成功は転がっています。僕はたくさんのちびっ子達の学びや成長・親御さんとの関係性を見てきてそう思うのです。

秋はおよそ100日後に受験を迎える生徒達を思う季節。さて、ダルマとお守りをゲットにしに出かけようかな…。ちびっ子達の成長と成功をお祈りするために。

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