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「これからの教育」から「これからの学び」へ変わる話

超AI時代に本当に必要な教育とか学び方について考える機会が増えています。これ、急激に重要なテーマになってきたと思うのですよ。

敬愛する落合さんと学友との月1の会合でも、これに関するトピックで話すことが多くなっており。

今日はそのことについて綴りたいのですが、その前に…。僕は自分の人生のミッションステートメントがあります。

確か2017年くらいに作って以来、変わることなくずっと考えているなぁ・・・と、改めて思うのです。

「これからの教育」って、もう受験とか就職のための勉強じゃなくて、自分にとって娯楽であって労働であることがとても大切。そしてそれらが学びと循環している形が理想だな・・・と、ある時からぼんやりと考えるようになりました。

そしてこの世界観が、超AI時代の到来に伴っていよいよ実現に向かいそう。

そんな風に考え、ワクワクし始めているのです。

これからの世界で、娯楽と労働と教育の壁が溶け合う世界はどう実現するのか?そこにはどんな学び方が現れるのか、どんな風にその方向に変化していくのか?そこに今めっちゃ興味があるわけです。

【人生は富を増やすのではなく、豊かさを考える旅へ】

自分の好きなことを追求しながら、それが自然と働くことや学びにつながるっていうのは、超理想的ですよね?
そのためにも個々の興味や能力に合わせてカスタマイズされた学びは欠かせないのかもしれないです。

が、ここで問題になるのは、そもそも個々の興味や能力に合わせてカスタマイズされた教育や学びの前に、自分の興味がどこにあるのかとか、自分にはどんな能力があるのかをよくわからないという人がめっちゃ多い。自分の能力や興味を見過ごしちゃってるって人、かなりの数いる気がします。

自分の能力や興味に向き合うとか、キチンと引き出していく・引き上げていくことってすごく大事なはず。だけど、今の教育システムやプログラムでは、その実現にはまだ十分ではありません。

自分の興味や能力に意識が向かないが為に、多くの人は「豊かさ」に目がいかなくなっているのでは?とも思っています。「多くの富を持つ≒お金持ちになる」ことだけを目指してしまう人は、相変わらず多いのです。

なぜか?

富は資本主義の中で人間が作り出したわかりやすい指標です。だからこそ、未来も富の定義が変わることはないでしょう。あまり考えなくてもよい、わかりやすい物差しなわけですから。

でも「豊かさ」は違います。

人間が作り出した一義的な指標ではなく、人それぞれ感じ方によって定義が全く異なります。自分にとっての「豊かさ」をキチンと定義することが、人生を彩りに満ちたものにするためには欠かせないのだと思うのです。

かつて豊かさについて綴った記事がこちら。

自分にとっての豊かさ再定義するには、その前に自分のことをよく知らなければいけません。「豊かさの再定義」は、自分を知る旅の中に答えがあり、その過程の中に新しい学びは宿るのだと思います。

【自己探求・自己理解はなぜ難しい?】

自分の興味や能力を見つけるのって、実はすごく難しいこと。思っている以上に「自分のことを知る」って難しいですよね…。

自分のことを深く知るためには、色んな経験をすることが大切。新しい趣味にチャレンジしたり、いろんな人と話してみたり、異なる文化に触れたりすることで、自分の興味や才能が見えてくることもある。

でもやはり、学校教育で自己探究や自己理解はとっても難しいでしょう。ベースが工業社会型軍隊教育では…。

自己理解の手段としてもう一つ、メンターやコーチのような、自分を客観的に見てくれる人のサポートも大事。そういう人たちは、自分では気づかない才能や可能性を指摘してくれることもあるし、自分を理解するのに役立つことは十分にあり得ます。

「自分を客観視」という点ではAIの活用もこれからの教育では重要になるという論調も多いですね。AIは僕たちの行動パターンや興味を分析して、個々に合ったアドバイスを提供することができます。例えば、どんな本を読むべきか、どんな活動が自分に合っているかなどを、データをもとに教えてくれるかも。

でも・・・これって自己理解や自己探求に繋がりそうでしょうか?

僕たち人間って、とりあえずやってみるまでのハードルがめっちゃ高い。
やってみないから、結局自分のやりたいこととか可能性にも気づかずに、周りの人がやってるからっていう空気感だけで、いやいや渋々受験勉強しちゃうとか、 合っているかどうか吟味もしていない(そもそも吟味する基準もわからない)企業に就職しちゃうとかって全然なくならないわけです。

色々やってみてからのAIコーチやレコメンドは大事かもですが、やってみるまでのハードルをどう越えるか?「とりあえずやる」をライトにできるまでの道のりをどうするか?

これこそが分断されつつある世界を繋ぐ「橋」のような役割だろうな・・・と思えてならないのです。


【共感の価値は変わるのか?】

あともう一つ気になっているのは、自己探求をしていった結果自分の興味があるものが、今の社会でいうところの「あんまり仕事にならない」とか「お金を稼げない」ってなると大人の側がブロックする現象。

さらにもう一つ、自分は好きだと思っているけど、周りの人にはウケが良くなくて、それを認めてくれないから自分の中で好きって気持ちを抑えちゃうってこと。これもまだ多いな…と感じます。

この辺は遊びでも学びでも働くことでも、昔ながらの日本社会の良くない側面というか、資本主義社会が生み出したよろしくない部分かなーと思うわけですが、未来にはどんな風にこの壁を超えていけるか?

思うに、共感されること自体は悪いことではないですし、共感する仲間ができることは素敵なことですが、順番が大事なのでしょうね。

❌ 共感を獲りにいく→そのために得意なことを披露する
⭕️ 好きなことに夢中になる→その姿や考えに共感する人が自然と集まる


【これからの学びとは・・・?】

ここまでの話をまとめるとですね・・・

①超AI時代は「富」よりも「豊かさ」を増やしていこう!
②でも「豊かさ」って何?この再定義が必要よね・・・
③豊かさの再定義は人それぞれ。だから「自己探求」「自己理解」が大切!
④じゃあ自己理解のために必要なことは?「とりまやる」→「体験から感じる」
⑤自己理解に共感や他者承認は、最初は不要。自分が没入できて第1歩!

敬愛する落合陽一さんが「遊ぼう!」と言っているのは、僕的にはまさに「これからの学びの価値を最大化するためのプロセスを辿った先にあるもの」といった感じでした。

で、この「遊び」の影に潜む注意点。
それは、今世の中にある遊びの多くが「誰かが共感を求めて作った、消費型の遊び」っていうこと。

・ただただ世間話と愚痴に花を咲かせる飲み会
・ただただ昔話や思い出を語る飲み会
・NetflixとかYouTubeをひたすらみている時間
・パチンコ、パチスロに勤しむ時間

ただただ消費する遊びの多くは、誰かが「狙って作っている」もの。自己理解のためには効果が薄いのです。豊かになるべく自己理解を支度始めたと思ったら、自分ではない誰かのレールで消費消耗・・・これだと切ないですよね(笑)

まあ、ぶっちゃけこれらも「とりあえずやってみないと気付けない」ていう節もあるんですけどね😅

じゃあ一体どうすれば良いのか?
これに明確なHow toとかは無いです。

が、僕はこれまでの自分のお仕事で、たくさんの教え子と接してきました。たくさんの保護者の方々の生き方に学ぶことがありました。その10,000件くらいの体験から感じる大切なことは・・・

・「憧れ」から真似事で始めるのは素晴らしい
・だって「学ぶ」は「真似ぶ」だから
・そのうち真似ではうまくいかない壁に当たる
・でも、それがオリジナルの種になる
・共感も他者承認も不要のものは、うまくいかなくても没頭する
・ちっちゃい頃の竹馬とか補助輪のない自転車に乗る感覚かな?
・常に自分の心に聴く習慣が「豊かさの再定義」に繋がる。

こんなところでしょうか?
まあ、そう簡単にはいかないですよね😂

自分の没入感も時と共に変わるでしょうし。
いくらラーメン好きでも毎日ラーメンは飽きるよね・・・みたいなw

多分、本当に大切なことは、常に自分に対して問いを持ち続けることなのだと思います。答えのない問いを悶々と考えるのは苦痛・・・と思いきや、常に問いを立てる行為は自分を客観視する作業にも繋がります。客観視できるからこそ、自己理解と「自分にとっての豊かさ」が見えてくる。

めっちゃ没入する。
そして自分に問いを立てる。
それらが出来るだけの時間と環境を作る。
我が子にしてあげることも、上に書いたことが出来るように応援することなのでしょう✨

少しずつ、「これからの学び」が顔を出してきた感じです✨

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