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2022年ゆえ「これからの金融教育」を思う話

2021年秋に転職をしてから、まあまあ言われること。それは

「教育から離れるのですか?」

的なことでした。嫌いになって辞めた訳じゃない…と80回くらいは言った気がします(笑)むしろこれからの教育を考えたら、切り口を変えていかないとちびっ子たちにとって良いことないな・・・と思った故の転職なのですよ。今回はその辺についてもう少し、思うことを綴ってみます。


【2022年≒新指導要領集大成の年だが…】

2022年、教育的に大きなトピックは2つあると思っています。一つは18歳成人。そしてもう一つが高校生の指導要領改訂ですね。

教育関係者の方々は、学習指導要領の改定について様々なご意見をお持ちではないかと思います。その中でも最たるものは

「現状の学校組織の延長線上に、この改定の成功はあるのか?」

という類のもの。そもそも過去40年、10年単位で変わってきた教育改革で上手くいったものは無い、という意見は少なくありません。2020年の小学英語やプログラミング思考教育、2021年の中学英語などを考えると…という見方は多いです。

ましてや金融教育?18歳成人?!若くして消費者被害が増える!まだ若い人たちにお金のような生々しい話はしなくても…という声もそれなりに多い。でも、日本て遅れているのですよね。金融教育も。


【社会インフラとしての会計を学ぶ国】

比較そのものの価値や意味合いはさておいて、例えばマレーシアで大学入試をする場合は結構な仕組みの違いがあります。マレーシアでは、まずMMPというプログラムで1〜2年、大学進学のための準備期間を設けられるのだそうです。

で、この中をよく読むとですね、こんなのが出てきます。

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簡単にいってしまうと、このMMPというプログラムでの主な科目は

科学・工学・会計学

この3つなのでここから選んでね、みたいな感じなのです。しかもアカウンティングは2種類ありますね…。マレーシアとしてはアカウンティングという科目を、サイエンスやエンジニアリングを同じくらい重要な科目に位置付けているのでしょうね。

そう考えると、日本ではサイエンスの重要性が語られる、あるいはちびっ子のうちからエンジニアリングに興味を持つことは評価されることが多いのに、アカウンティングになると「?」となるのは不思議です。

英語教育やプログラミングの「これから」は何と無く方向性が見えてきた一方で、金融教育やらアカウンティングの「これから」は、今の僕はあまり視界良好ではありません。でも、大人になってどんな仕事についても、どんな生活をしても、起業をしても、個人事業主になってもある程度の金融リテラシーは必須です。まして会計は電気・水道・ガスと同じように、社会インフラの一つとも言えるわけで、誰にとっても関わりが深いものだと思うのです。


【そして間も無く入試も変わる?】

もう一つ考えていること。それは、もう何年後かには入試で家計管理や会計の出題があっても不思議はないということです。小学英語は教科化されたことにより、公立中学校の試験科目でも普通に出題して良いことになったわけです。実際、各都道府県の公立中高一貫校は英語の出題がじわじわ増え続けています。プログラミング入試もまだまだ少数ですが導入され、おそらく来年再来年あたりには公立高校入試でもオールイングリッシュの面接やらディスカッションやらが登場しても不思議はありません。事実、東京都立入試は英語のスピーキングテストを入れてきますからね。

この中にある添付資料を読むと詳細がわかります。

こうした傾向を踏まえてこれからを想像すると、おそらく4〜6年後くらいには大学入試やら高等教育における評価項目やらがガラッと変わっている可能性は否定できません。遅かれ早かれ皆が影響を受けるアカウンティングやら投資やら価値についての考察は、いま考えて設計しておくことの意義や価値は大きいと考えています。


【金融教育が目指すものは?】

まだまだ僕も詳しいわけではないですが、金融教育のプログラムには興味がります。2007年作成のプログラムが2016年に全面改訂され、このままではないにせよこれをベースに2022年からの金融教育プログラムが実行されていく、ということでしょう。(現場がカリキュラム、プログラムをどう使うか不確実性が高くて予測できない部分は多いのですが…)

そもそもなぜ金融教育なのか?それは以下のように書かれています。

わが国経済は、少子・高齢化や人口減少という成長制約要因を抱えながら、キャッチアップ型ではなく、自らの力で新しい発展の道を切り開かねばならない時代に移行している。
(中略)
次の時代を担う若者には、第一に、ひとりひとりがそのもてる力を最大限発揮して、経済社会の活力向上に寄与することが求められる。第二には、自由度や選択肢が広がる一方で、生活(職業)、財産、人生経路等に関する不確実性が高まっているため、これまで以上に、個々人がリスクをしっかり認識し、判断に必要な情報を収集して、自己の責任で的確に意思決定していくことが求められる。第三には、個人が自己の利益のみを追求するのではなく、ルール・法律を守る意識や倫理観の再構築、社会(国際社会を含む)への貢献、伝統や文化の再認識、地域コミュニティの再興、自然環境の保全など、いろいろなかたちでよりよい社会づくりにすすんで寄与することが求められている。

そしてその中身は、いろいろな世代や属性に向けて、様々なトピックからその時期時期に学んで欲しいこと、ゴールのイメージが記載されています。各トピックは細分化すると・・・

1.資金管理と意思決定
2.貯蓄の意義と資産運用
3.生活設計
4.事故・災害・病気などへの備え
5.お金や金融の働き
6.経済把握
7.経済変動と経済政策
8.経済社会の諸問題
9.自立した消費者
10.金融トラブル・多重債務
11.働く意義と職業選択
12.生きる意欲と活力
13.社会への感謝と貢献

多いですねぇ…。
もちろんこれらを1〜2年で学ぶわけではないのですが、教育関連のプログラムあるあるは「詰め込み過ぎ」もあるよなぁ…と、これまでの経験から思うこともあるわけです。これらを全て理想通りに習得する、させようとするのは流石に無理がありますね。


【我思う素朴なギモン】

そして僕は素人なりに?沢山のちびっ子達と接して話してきたなりに?素朴な疑問や「もっとこういうプログラムにならないかなー」はあるわけです。

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例えばキャリア教育に関する部分。
言わんとすることは分からなくもないのですが・・・

「働くことの喜びと大変さ、お金の価値の重さを理解する」
「働くことの大切さと金銭を得ることの苦労が分かる」

ここ、授業において先生方はどのようなことを言うのでしょうね?お金を軽く見ても良いとかそういうことではなく、なんだか清貧とか昭和文脈を感じてしまうのは気のせいかなぁ…と。

ちなみこの表の下段に「生きる意欲と活力」て言う項目があり、そこで付加価値について触れているのですが、記載が少なくて「価値とは何か?」について細かい考察や達成イメージは意外と無いのかな?とも思ってしまうのです。

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いや、流石にざっくりしすぎでは?(笑)
ここでいう「価値」というのは、ある製品やプロダクトの付加価値を指していて、価値の本質を考え議論するには至っていません。起業についても1行で済ませているけれども、一体全体何を授業で扱うのやら・・・。

投資に関する記載も、どちらかというと貯蓄の大切さや投資リスク&リターンについての記載が多く(その割には複利の説明とかは少ない)、投資の本質的理解をどう導いていくのか、などは今一つ見えにくく感じてしまいます。

金融教育、会計学のゴールを考えればこそ、入口はもっと具体的な事例から、あるいはうんと抽象的で普遍的な問いから入っても良いと思うのですよね。例えば…

①自分が「価値がある」と思うもの10個書き出す
②なぜそれに価値があると考えたか説明してみる
③他人と共有した上で、どうやって価値を測ることが最適か議論

こういうのでも引き出し方によっては十分授業は成立する気がします。おそらく先生側には高度なファシリテーションスキルが求められますが(笑)


【世界の金融教育から考える】

そういえば世界の金融教育ってどんな感じなのでしょうね?

教育改革のアイディアは欧米を意識して作り、結果的にうまくフィットしなかったもの結構あるよね…と思ったりもします。では金融教育は?

米国はまず第1にパーソナルファイナンスを大切にする思想のようですが、日本も上述の目指す姿に、

・一人一人が活力向上に寄与する
・自己の責任で的確に意思決定していく

こういう表現がありますよね。これが違った方に働いてしまうと、なんともきな臭くなる訳です。個人的にはイギリスって面白いなぁ…と思っています。金融教育に批判的思考を織り交ぜている点とか素敵ですよね。元来イギリスは教育の根っこに「citizenship」というマインドがありますからね。金融を通じて社会の仕組みを知り、コミュニティのあり方を考える(しかも3歳から!)。良きですねぇ✨

じゃあ日本はどうしよう?

日本はもともと「融けさせるのが上手い文化」って思いませんか?ここでもそういう文化的長所を活かしつつ、実践的な学びができたら良いなぁと思う訳です。金融教育こそアクティブラーニングが重要ですからね。手を動かしてみる。数字を触ってみる。街に出てみる。どんな社会が日本的に良いのかを考えてみる。そこから生まれる新たな好奇心や活動こそが金融教育の価値なのだと思いますし、願っています。

その上で僕がやってみて欲しい!やってみたい!なことって、例えば以下のようなものなんですよ。

・2000万円あったら何する?
・「安心」「安全」「安定」はいくらで買える?
・街や村を作るにはいくらかかるんだろう?
・応援したいヒト、時間がかかってもやりたいこと、どうしても手に入れたいモノ、将来のために今体験したいことは?

・株式会社を作ってみよう(これは既にあるカリキュラムを借りたい)
・「やりたいこと」は一人でやる?会社でやる?
・メルカリで売ってみる、バザーで売ってみる。違いは何だった?
・手作りと工場生産品はどちらに価値があって、どちらが儲かるのか?
・お金は「貝殻→金銀→紙やコイン→QRコード(データ)」へ。どうして形のないものに価値が宿るのか?

他にも色々あるんですが、パッと浮かんだのはこういうものですかね。

で、金融教育には上述の大きな3つの目標があるらしいので、その目標をきちんと達成させようと思ったら、ゴールからの逆算≒3つ目の目標から考えて行く方が本質的には良いはずなんですよね。つまり、自己の利益のみを追求しないマインド、社会への貢献、伝統や文化の再認識、地域コミュニティの再興、自然環境の保全などなど。おそらく一見すると金融教育っぽくなさそうに見えるこの部分。

でも、これらを本当に実現するならば、正しく価値とか投資とか、社会を動かす仕組みとか、感情と向き合うメカニズムとか、そういったものを金融文脈から学ぶことが大切ってことなんだと思います。

ここまで書いて、昔の記事で江戸に興味を持って書いた奴を思い出しました。結構ゴールイメージに近いよな、と。

この手の話、最後は「お金の存在が世界から消えることが理想」となりがちですが、まだまだ僕はその境地ではありません。というより、現実的か?と思ってしまう自分がいます。

江戸っぽい文化が作られると面白そうよね…ということと共に、「これからの金融教育」によって得られると面白そうと思うこと。それはお金って変幻自在のエネルギーを持っているんだな…ってことかと。言い方を変えると、大人やら上司やらが言っていることも結構断片的よ?結構まだまだ色んな顔を持っているよ?と。そして豊かさとか投資とか価値について考えるクセがつくだけでも、多様な豊かさを享受できる社会になるのでは…と妄想しています。


答えあわせは次の次の、そのまた次の冬季五輪が行われるあたりで✨

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