いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか〜ルカの福音書9章~ゆっくり通読しよう

1.五つのパンと二匹の魚

イエス様は、後を追ってきた五千人を超す群衆を喜んで迎えられたように、どんな時でも私たちが御前に行くとき、喜んで迎えてくださるんだと思うとうれしくなる。そして、癒やし満たしてくださる。 

2.悪霊に取りつかれた子

“すべての悪霊を制して病気を癒す力と権威”が与えられているのに、弟子たちは子どもに取りついた悪霊を追い出すことができなかった。

「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか」

とイエス様が嘆かれているから、不信仰のせいだったんだろう。弟子たちが怯んでしまった光景、その子の取りつかれ方は恐ろしく凄まじいものだったのだろうか。いつぞやの映画のように。
そして「必ずや治してもらえる」という父親の信仰のなさ、群衆の心も嘆かれた。

3.人の子は、人の手に渡されようとしています

弟子たちは『神のキリスト』であるイエス様が殺されよみがえることを語られていたし、栄光の姿のイエス様とモーセとエリヤとの話し合いの時に雲の中から父なる神様の言葉を聞いた。
でも、「人の子は、人の手に渡されようとしています」とイエス様が言った時、弟子たちはその意味を理解できず、恐れて尋ねようとしなかった。イエス様はひとりでその事実に向き合われた。

📖偉いのはだれか
始めは神の国を伝える使命に燃え、何も持たず力強く進んだ弟子たちだけど、後半では、すべてが神様から与えられた力で、なぜ与えられているかを忘れてしまって自分たちの中で誰が一番偉いかを議論して、諭され、
イエス様を受け入れないサマリヤの町に対しては、『ちりを払い落として出て行く』のではなく「私たちが天から火を下して焼き滅ぼしましょうか」と言い、イエス様に叱られました。

何かよい事をしたり物事がうまくいくと、お礼を言われたいとか賞賛されたいとか何か見返りを望んでしまう時があります。必要以上に思い上がることのないように気をつけたい思いました。

📖従うということ
安易に、従うと言う人。
今でなく、まだ生きてる...と思われる父親を葬ってから従うと言う人。
家族への別れの挨拶のため、一旦戻りたいという人。
イエス様の天に上げられる日が近づいているというのに。。。

そして、エルサレムへ毅然として進んでおられるイエス様はかっこいいと思いました。

4.心に残ったことば

「だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分の父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます。」

再び来られる日に、恥じられる者になりたくないと思いました。

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参考---ルカの福音書9章(新改訳2017)---


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