背中を向き合うより、面と向き合おう
そのモノを知る。役割を知る。自由と倫理と法。
まあ、色々私を含めた皆さんにも、動作っていうのがあると思います。
自由にやってよし。といわれても、
幅が広すぎますよね。
しつこくしつこく執着しても、掴んだと思ったら、ただ思っただけ。
掴んでないんだもん。「あらぁ~??」っていう言葉が口から零れながら、
手の隙間隙間から、するする~っと、抜けていく。
……ところでなんですが、
みんなは「じゃんけん」ってしたことありますか?
じゃんけんでほいっ
「ぐー」は、握る。
「ちょき」は、握ると放すの間の良いとこどり。
「ぱー」は、放す。
「執着」を、自分の動きで、表現してみる。
その「ぐー」の状態で52mmx18mmの「消しゴム」をまずは持ってみて。
手のひらサイズであって、容易に握れるものであればなんでも構いません。
私はこれから、( ① ⇨ ② ⇨ ③ ⇨ ④ )の順でやってみます。
①とにかく、持ちましょう! 握りましょう!!(※それだけでいいです)
なんも難しい事は行ってませんよね。
その状態を維持してくださいね……
……
②その手で、握ったモノの一部分が観測できる、小さな穴はありませんか?
……見えたら次に行きましょう。
③今の動作で使用した物体を、スライム(粘弾性物質)に変えて、自分で握ってみて確認しましょう。【作り方は画像を Tap or Click⇩】
・全部を片手で握る、両手で握る。
自分の両手・素手という範囲であれば何をしてもかまいません。
一部分たりとも自分の両手から、
はみ出さないように握る事はできましたか?
④最後に!! そこら辺にある空気を掴みましょう!!
空気を掴む・握ることは……できたかな?
何をもって掴んだ。何をもって握った。なんていうのは、人それぞれの見方や捉え方もあるから、僕は「ほへぇ~」と頷くことしかできない。
ただ。掴んだんだ! 握ったんだ! と、いう人の前では、
「掴んだ・握った」という事に対して、
暫く時間が経ってから、私は、こうお尋ねします。
「もう一回、握りに行こう、掴みに行こうと思いますか?」
仮にその相手が私なら、私はその質問にこう答えます。
「もう一回と思った時点で、本質的なものを粗末にしてる感じがするから、握る事・掴む事より、掃除して、ゆっくりご飯を食べて、滝に打たれて、また掃除をして、日常から修練していく必要性がありますね。」
という文言を垂れて、
・1つずつ、少しずつ確実に取り組むという行為を取る。
・「けど」という言葉を、一日、一個ずつ減らしていく。
・他の人と触れ合う時間を、お茶をゆったりと啜るような心持ちで楽しむ。
この3つの選択肢のなかから、今確実にできる事を一つだけ選んで、
それを、時間を設けてやってみる。
周りから言われる地味という言葉・行動が、僕にとっては途轍もなく豊かな過ごしの形だと、どうしても思ってしまうから。
【✒〇】……今回のノートで言いたいのは、
先ず知っておくこと。
今回の記事は、言葉を使って、何かを表現する。事には焦点あててない。
問題点は、言葉に対して、どういう意味を与えるか。どう解釈を与えるか。
つまるところ。
「執着」。そして、「執着を放す」事に繋がる訳なんですね。
そんな私は、現在、物を放してみる修行中の身です。
なんていうんだろう。その瞬間その瞬間を充実して生きる……
楽しくして生きる工夫っていうのかな。
そういえば、人生って空白なんだなーって。
その上で、自分は今、何をするか。の自覚をする。
どうしても、何かが起これば行動が変わらざるを得ないからね。
そんでもって。自分の行動の選択をするのは自分自身。
軽く話すと、
・如何に、自分の課題に責任をもって、行動を伴うか。
・如何に、他者の課題に責任をもって、介入しないか。
・如何に、自分・他者を受容し、受け入れるのか。動を伴うのか。
その3つが、今これを書いてる時点で考える、僕の修行の流れかな。
……
ここで、僕が持つ、精神世界の哲学を一つだけ紹介するね。
あれやこれやなんて、詰め込めることはできるんだけど、
どこか思っちゃうこともあると思う。
「うんわー!これめっさ苦しいやんけー」
「おやおや。やりたい事山積みやんねー。ぱっと見、要らんもんもあるね」
「とりあえず、自分が今、重要視してるものは……これかな?」
そしたらさ、自然と優先順位ってできるやん?
突然なんだけど、僕の持ってる哲学の中に、
「精神上の中に、破壊の哲学と創造の哲学。そして、破壊と創造の哲学」があるのね。
順番的に話すと、
①に破壊。②に創造。③に破壊と創造。そして、新たな①の哲学。
これが、精神という世界の中で、どんどん繰り返されるだけ。
ちょっと深めにお話すると、
僕の精神の根底には、「虚実」っていう考え方があるのね。
虚ろな世界「虚」と、実像・現実の世界「実」。っていう2つを用いて。
より、
「理想と現実の境界線を薄めよう」っていう働きを、15歳か16歳の頃にまとめたものになるんだけど(だいたい13か14歳の頃に考え始めた哲学的な思想になるのかな)、この根底が、破壊と創造の哲学につながっているのね。
その上で話を進めていくね。
Q.破壊と創造を取り扱う必要性があるのか
A.結論ない。
めっちゃ簡単に言うと、どっちもどっち。
ただ、勿論なんだけど、お互い方向性は違うよ。
じゃあ、伝えたい事は何なのか。
それはねー…… じつは中身にあるんだよね。
めっちゃ基礎的な事を言うと、「1つの状態を受け止めろ」という事。
1つの状態というのは、
☆9割がた、分けられるのね。
どう分けられるのかというと、要素という一つの意味ある塊。チャンクとかタームとか、まあ色んな言葉はあるけど、
要は「区切る・まとめる・ひっつけるの繰り返し」を何回もやってれば、1つの状態に対しての理解は、素人なりにもできる訳なんですよ。
そして、無暗矢鱈に掴もう・握ろうなんて手足をバタバタして泳いでも、自分に意識が向きすぎて溺れるだけなんですね。心音バクバクしてる時こそ、自分、そして自分がいる環境を、そのまま受け止めるようになりましょう。
「受け止められるようになれれば、それが1つだという事が分かります」
……たぶんね。僕はその経験が過去に何度もあるから、今は再現性の確認を自室でやってます。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?