家事や雑事は重要ではないのか?

以前からバキバキに割れていた、iPhoneの保護シールを張り替えた。今まで心のどこかで気にはなっていたんだけど、なんとなく面倒臭くて後回しにしていたことだ。

保護シールを張り替えてぴかぴかになったiPhoneの画面を見て、ここまで心境に変化があるとは思わなかった。ちりも積もれば山となるとはいうが、なんとなく嫌だなと思うようなことは早めに対処しておいたほうがいい。先延ばしにすればするほど、ストレスが少しずつ溜まっていく。

家事も同じ。食器洗いや部屋の掃除、後片付けなんかはこまめにやったほうがいい。溜めてからでいいや、と思っているとすぐに手に負えない量になる。食事を作るときや食べ終えた後すぐには流し台に親和性を感じるが、食べたものをそのまま放置して朝起きたときの流し台はゴミ箱同然に思える。だから、まったく手を付けたいと思わない。

私はこのことに気付いてから、食器は食べた後にすぐ洗うようにしている。最初は面倒臭かったが、まだ流し台に親近感を感じていることもありなんとか洗うことが出来た。それを続けていると、いつの間にか「作る➡食べる➡洗う」の行為までが自動化され、習慣になった。お風呂に入った後に髪を乾かし、肌の保湿を行い、歯磨きをするのと同じように。


緊急度と重要度の小話がある。

ある大学の教授が学生の前に壺を用意し、岩➡砂利➡砂➡水の順番で入れて満杯にする。教授は学生たちに尋ねる。「この一連の行為の教訓とは?」ある学生が手を挙げて「どんなときでもスキマがあるものだから、スケジュールは忙しくても詰められる」と答えた。教授は違うという。彼が言いたかったのは「重要なもの(ここでいう岩のようなサイズの大きいもの)は先に入れないと、後から入れることは出来ない」ということだった。

この話は人生を壺に見立てて、重要かつ緊急度の高いことからやろうと言っている。これらを図に表すと以下のようになる。

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多くの人は重要ではないが緊急の雑事や、重要ではなく緊急でもない無駄な事に時間を費やしている。本当はもっと若いうちに重要かつ緊急なことや、緊急ではないが重要な学習に時間を割くべきなのに。


家事は習慣化と将来受けるストレスの面から見ると、重要度も緊急度もかなり高い。細かい雑事というフレームだけで見ると、Cに分類されていて後回しにしてもいいように思えるが賢い選択だとは言えない。細かいことは細かい時間でやるべきだ。あとになってまとまった時間でやろうとすると、かえって面倒になる。

雑事も案外悪くない。気分転換にもなる。雑事のカテゴリは見直してみるべきじゃなかろうか。




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