見出し画像

一気にやるか、こつこつやるか

試験前に徹夜で勉強をした人は多いと思う。もしくは試験前には部屋の掃除をしたりだとか、漫画を読破したりだとか、アニメの一気見をしたりだとか、はたまたゲームを徹夜でやったかもしれない。とにかく、試験前というのは「何かを片付けなければいけない!!」という本能的な欲求が強く働くようで、私もよく試験前には試験と関係のないことを一気に片付けていたものである。

先日、先輩に仕事の関係で手伝ってほしいと相談された。何やら新しい企画を考えているようで、そのプロモーションを手伝ってほしいとのことだった。先輩のその企画はよく練られたもので、これはどのくらいの時間をかけたのかと聞いたところ、たった1日で仕上げてしまったというから驚いた。ある漫画がきっかけでやる気がついたらしい、その日は一睡もせずに企画書を書き上げ、私に相談するときまで寝ていなかったにもかかわらず眠たい顔はしていなかった。

以前、雀鬼と呼ばれる桜井章一さんの書籍を読んだことがある。桜井さんは麻雀で大きな勝負に出るときには飲まず食わず寝ずで限界まで身体の感覚を研ぎ澄ましていたそうだ。それも意図してやったものではなく、自発的に体がそうなっていたという。人間には何か大きな物事を成し遂げる際には、自分を本能的に追い込むスイッチがあるようだ、と語っていらした。この辺りはバキにも出てくるピクルと被るものがある。

「一気」というのは大きなエネルギーに突き動かされるようなものであると感じることが多く、私自身も「一気に」何かを仕上げることが多かったように思う。そしてそれが唯一の手段であるかのように思っていた時期もあった。

その思いが一番大きかったのは学生時代の頃である。テストはやはり一気に勉強して高得点を狙うスタイルが多かったし、集中的にやることが好きだった。

だが、ひとたび学校の勉強を離れてみると真に勉強というものは、社会における学習というものは「一気」があまり通用しないことのほうが多いように感じる。

じわじわと石を火で温めるように、じっくり時間をかけて何か事を成すことはその後長くにわたって自分に恩恵をもたらしてくれる。先日、習慣の話を少し投稿したが、習慣というものは1日単位で見てみれば微々たる変化に過ぎない。だが、その効用はある点を境に指数関数的に増加し、また雪だるま式に大きくなることで自分では想像もつかない結果を生み出してくれる。

続けることの偉大さというものは続ける人にしか分からないものだと思う。私もとにかく考えたことをこのノートで書いてはいるが、書くことが苦にはならなくなってきた。文章としてはまだ未熟だが、少しずつ進歩しているのではないかと思う、22日目の連続投稿である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?