「田舎」とは何か#001

「田舎」とは何でしょう。

これから田舎の話をする前提条件として、言葉の意味をきちんと把握する必要があると思いました。とりあえず現時点で思うことを書いて行きたいと思います。この考えは今後更新されることが予想されますので、#001と題しました。

単純に「田舎」というキーワードで検索してみます。検索結果は実に様々なジャンルです。「田舎の魅力」「田舎に泊まる」「田舎に住む」「田舎のメリット」「田舎の恐怖」「田舎の仕事」「田舎の収入」「田舎の体験談」「田舎の人口」etc。

Wikipediaには「田舎とは都会の対義語の概念である」と書かれていました。ただ私は概念とも少し違うような気がしています。概念とは様々な要素から共通事項を取捨選択した結果です。清濁併せ持つような、人によって時代によって切り取り方によって見え方が変わるようなものから共通事項を抽出した結果は正しいのでしょうか。

私は、田舎とは「あり方」である、と現時点では考えています。

英語にすると「パラダイム」でしょうか。スティーブン・コヴィー氏の「7つの習慣」にも多く書かれていることです。

田舎とはあり方である。つまり、ものごとの見え方や考え方などの認識の枠組が田舎というものを形成している、ということです。あり方とは定義することが出来ません。見え方や考え方によって変わるからです。またあり方とは概念とも少し違います。田舎における共通事項というものが存在しないからです。

「新潟は東京に比べて田舎である」「市町村面積に対して人口が◯人なので田舎である」「緑豊かで空気が美味しい田舎である」「電車が1時間に1本しか来ないので田舎である」「近所付き合いが濃いので田舎である」我々が普段話していることは全て定義されたものでも概念でもありません。そういうあり方の地域だ、ということでしかないのです。

ある地域における様々な要素のあり方が積み重なった結果、田舎というものが出来上がる、とも言えるかもしれません。上に挙げた様々なあり方が重なると、いかにもその地域に共通事項があるように見え、田舎の概念っぽいものが生まれます。

今、様々な地方で問題となっていることは全てこれを原点に考えなければならないと考えています。ちまたでは「少子高齢化はどうやったら止まるか」や「雇用はどうしたら創出できるか」、もっとざっくりした「田舎はどうやったら活性化するか」というような議論や関連書籍が多いような気がします。それらの大前提として「田舎はどうあるべきか」に十分な議論を重ねなければならないのではないでしょうか。

そしてこの田舎のあり方とは、繰り返しますが定義でも概念でもありません。「田舎」という言葉自体が課題解決のアンカーになってしまっているような印象も受けます。もはやこの言葉は使わずに「◯◯はどうあるべきか」(◯◯には固有地名が入ります)という風に考えた方が良いと思うのです。

逆に言えば、「どうあるべきか」の純度を高めていくことで、その地域の目指す方針が見えてくるのではないかと思っています。

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