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一人の人として向き合い、可能性を信じるために心がけたいこと。

突然ですが、僕が大好きな歴史上の人物で吉田松陰がいます。

彼は、当時の偉い人の暗殺企てるような過激な一面もあれば、黒船に乗り込んじゃうようなクレイジーとも言える行動力を見せる一面もありますが、僕が大好きなのは教育者としての一面です。
※当時は武家社会だから現代の価値観とは違うので一概に過激と言っていいかは一旦置いておます

彼がすごいのは、立場年齢関係なくどんな人にも一人の人として向き合い、その人の可能性を信じ抜けるところ

もともと意識高くない囚人と牢獄の中で人生や国家について語りあい、囚人たちの意識をあげちゃうんだからそりゃ本物です。

今日は、そんな彼からも学んだ、「一人の人として向き合い可能性を信じる」ことを実践するためのマインドセットをテーマに書かせていただきます。
教育に携わってる人のヒントになれば嬉しいです。

吉田松陰

まずは自分の中の偏見を見つけよう

僕が大切だな、と思っているのは自分の中の無意識な偏見を取っ払うこと。

「〇〇だからこれはできない」

年齢、障害、性別、経歴、人種など、あらゆるステータスがこの〇〇に入る思うのですが、この考えが生まれたら潰していくことが大事だと思っています。

ただいきなりこの考えを取っ払うことは難しいし、逆に自分の中で偏見は無いと思ってしまうのも逆に危険かなと感じます。
人は無意識に偏見を持ってしまうことは往々にあるから。

だから、「あ、自分は今偏見を持ってしまってるな」と気づけるようになることが大切なんじゃないでしょうか

そのためにも、誰かに対して「〇〇だからこれはできない」と思ったら、「今偏見を持ってしまっているかもしれない」というサインだと思い出せるといいんじゃないかなと思います。


いつからだって何者にもなれる、もちろん自分自身も

偏見に気づいたとして、それが偏見だと信じるためには、「人はいつからだって何者にもなれる」と確信できる必要があると思います。

これが人の可能性を信じる上で、一番大切な信条ではないでしょうか。

これを信条を邪魔してくるのが、「〇〇だからできない」という無意識な偏見です。だから、この無意識な偏見に気づき、気づいたらその偏見を取っ払おうと心がけることは先ほど書いた通りです。

そして、次に、自分はまだまだ何者にもなれて、変わっていけると自分自身を信じてあげることだと思います。

「君は変われるよ!」
「君ならできるよ!」
と言っても、その人が自分自身を信じてあげられてなければ、その言葉はとても空虚なものになってしまう。

そんなの無理だ、と思ってしまう場合は、「やってみなきゃ分からないじゃん」というチャレンジ精神にあふれたしなやかなマインドセットを身に付けられたら変われるきっかけになるかもしれません。

しなやかマインドセットについて詳しく知りたい方はこの『マインドセット』という本を読んでみてください!


人を変えることはできない、でも人は変われる

変わろうと決めるのは、結局自分自身だから人を変えることはできない

でも、相手が変わろうと決めるきっかけをつくることはできます。
変わりたいと思える環境をつくることはできる

だから、相手の可能性を信じてあげた上で、決して変えてあげようと奢ることなく、どうやったら変わろうと思えるか、という視点の考え方をできるといいのではないでしょうか。

その視点に立った時、こちらから一方的に何かを教えるのではなく、共に学び合い、共にチャレンジし、共に変わることを楽しむようなスタンスで接していけるといいのかなと思ったりします。

そのスタンスで生徒に接していたのがまさに冒頭で紹介した吉田松陰だと思います。
だから松陰先生のもとで学ぶことが楽しくて、色んな人たちが変わっていったんじゃないかなあなんて思ったりします。

まとめると、教育で一人の人として向き合い、可能性を信じるために心がけたいことは、

・自分の中の偏見に気づくこと
・自分自身がまずは変われると信じること
・そのためにもしなやかマインドセットを身につける
・変わろうと思うきっかけなら作れる
・共に学び、共にチャレンジし、共に変わることを楽しむ

という感じになるかな、と思います。

まだまだ抽象的な内容ではあるので、また別の機会により具体的な内容も書けたらなあと思います。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!



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