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正解が無い時代に、「覚悟」を決め、「夢中」になる。

気づけば大晦日となり、2020年も最後の1日。

今、2020年の元旦に放送された「芸能人格付けチェック」の再放送をテレビで見ながらこのnoteを書いているのですが、約1年前に収録されたであろうこの番組には元気な志村けんさんが出演されていて、短いようで長い、色んなことがあった1年だったんだな、と改めて感じています。

年の瀬ということで、振り返りも兼ねて、この1年で生まれてきた自分の考えをまとめてみようかなと思います。

めちゃくちゃ抽象的な話に仕上がっていますが、よかったら目を通してやってくれると嬉しいです。


正解がない時代と向き合う

21世紀になり、インターネットを見れば答えがすぐに分かるようになった僕らは、正解があるのが当たり前という感覚に慣れてしまった。

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そしてここ数年、「気候変動など予測不能なことが世界を襲うようになるとともに、正解が分かることはAIが代替し、正解が分かることは価値が薄れていくだろう」という背景のもと、経済界や教育界で「VUCAな時代」がくるということが頻繁に言われるようになりました。

正解が分からない時代がもうそこまで迫ってきている、そんな不透明かつ変動し続ける未来に対応し価値を創造していくことが大切だと考える人が増えてきました。

VUCAとは、
V:Volatility(変動性)
U:Uncertainty(不確実性)
C:Complexity(複雑性)
A:Ambiguity(曖昧性)
の頭文字をとった造語で、変化が激しく不確実な社会情勢を指してVUCAという言葉が使われるようになりました。元々は冷戦終結により戦略が不確実になった軍事用語として使われていたらしいです。

しかし2020年、コロナという未曾有のウイルスが世界中を襲い、様々なことが失われていくようになり、僕たち人類は正解が無いなか人々は多くの困難や理不尽と向き合うことになりました

思った以上に早く、思ってた形とは別のやり方で、コロナはVUCAな時代を連れてきてしまったようです。
VUCAだから、思ってた形とは別のやり方で当たり前なんですけどね。

そんなわけで、今、全ての人たちが、正解が分からなくなった時代と向き合わなければいけなくなりました。


他者との比較に生きる社会

少し話はそれますが、日本人は受けてきた教育や社会風潮もあり、一つの正解を探すことに心が慣れ過ぎてしまったように思います。

きっと僕もそんな一人でしょう。

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だからなのか、これが答えだとマジョリティが言えば、マイノリティの人たちとの間に分断が生まれる。

マイノリティの人たちの考え方や生き方は、マジョリティの人にとって正解じゃなくなるからです。

そうじゃないと都合が悪くなるからです。

「自分の信じたい正解」と違うものを見出した人に距離を置いたり、場合によっては誹謗中傷を飛ばしてしまう。その「正解」がマジョリティから支持されればされるほどこの傾向は強くなる。

そんな光景が現代社会で見られるようになったのは皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。

映画「えんとつ町のプペル」を公開したキングコングの西野さんも、映画の舞台挨拶でそんなことを話していて、共感の嵐でめちゃくちゃ感動しました。

そうして他人からどう見られるかを人々は気にするようになり、いつの間にか自分の考えや個性を押し殺すようになってしまった。

他人との比較によって作られたただ一つの架空の物差しが、いつの間にか人々の心に入り込み、あたかも絶対的な基準であるかのように人々は思うようになってしまった。

日本は息が詰まるような社会だと言われるのは、こういうことなんじゃないかと、この1年で思うようになりました。


僕たちはどう生きるか

正解がない世界と向き合うことを余儀なくされている一方で、社会は「こうあるべきだ」という正解を求め続ける。

こんな時代を、僕たちは生きています。

こんなことを書くと、僕も脳裏に、
「どうやって生きるのがいいんだろうか?」
なんて言葉が浮かんできます。

でも、実はそれも正解探しを無意識にしてしまっているということ。

だから、そういう考えが出るたびに、「正解探しはもうやめよう」と考えるようになりました。

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本当は何が正解かなんて誰も分からない、自分が選んだことを正解にすることが大切なんだ、とう考えるようになりました。
(って進撃の巨人のリヴァイ兵長も言っています)

実は社会はもっと自由で、やりたいことをやっていいし、誰にもそれを批判する権利なんてない。


自分の人生にワクワクしよう

ここから個人的な話になりますが、今年起業をして、子どもの教育に携わるようになりました。

▼詳しくはこのnoteを読んでみてください▼

この事業を始めた大きな背景は、他者との比較に生きる社会を終わらせたかったからです。
社会が生み出す架空の物差しに自分の個性を押し殺され、生きづらさを子どもたちに感じて欲しくなかったからです。

だから、学校という子どものとっての社会が生み出す架空の物差しに苦しんでしまう子どもたちのための事業を始めました。

わかりやすく言えば、学校が合わず、不登校になった子どもたちが、自分の人生にワクワクできるような授業を届ける事業をしています。
こんな世界があったんだ、こんな人がいるんだ、と自分の物差しを見つけられる授業です。

正解を探して他者との比較に生きてしまう人が少しでも減ったら嬉しいです。
自分の人生にワクワクできる人が一人でも増えたら嬉しいです。

そのために、来年もガンガン頑張ります。


「覚悟」をもつということ

この事業をはじめてみて、不登校という社会システムの問題を深く知るようになったし、そのシステムの溝に苦しむ子どもや保護者の方々に出会うようになりました。

▼「不登校って子どもの問題?」と思った方はコチラも▼

その中で、不登校の親の会をされている方の言葉が心に残っています。

「不登校の家庭に関わることは、その人たちの人生を左右すること。
だから覚悟を持って関わってほしい」

そう、僕が今年はじめた夢中教室という事業は、「うまくいかなかったんですみません」ではダメなんです。

いくらいいことを言っていても、中途半端なことをしてしまってはそれは綺麗事どころか、期待を裏切り、より大きな苦しさを叩きつけてしまうことになる。

だから絶対に後悔するようなやり方だけは絶対せず、「覚悟」を持ってこの事業に取り組もうと決めました。

不都合なことから目を背けるのでなく、そういったものも背負った上で、「自分の人生にワクワクしていいんだよ」と寄り添う覚悟です。

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でも実は、これって不登校の子どもに関わる自分の話だけはないんじゃないかなとも思います。

正解がない時代に、新しい価値を生み出そうとチャレンジをし、他者にその価値を提示しようとする人みんなに当てはまるんじゃないでしょうか。

なぜなら、何か価値を提示するということは、「こういうのもありだよ」という選択肢を提示するということであり、その人の人生を変える可能性もあるから。

そこを理解した上で、そんな可能性を背負い込んだ上で、それでも進むべき道を切り開く、そんな覚悟が大切なんだろうなと思います。
(ジョジョは5部が大好きです)


誰よりも夢中であれ

気づけばこのnoteも3000字になっていました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

最後に、正解が分からなくなり、他者との比較に縛られないように、自分の人生にワクワクできるように、「誰よりも夢中であれ」という言葉を残しておきます。

これは子どもたち伝えたいことであり、こんな現代社会を生きる大人たちにも伝えたいことでもあり、2021年の自分に向けた言葉でもあります。

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夢中になれることを見つけること。

そんな色んな夢中を認め、応援しあえる社会であること。

そんな人が増えれば、正解が分からなくなったこの社会でも、きっと架空の物差しと他者の比較に縛られず、自分が自分らしく生きていける社会になっていくんじゃないかな、と思います。

そう信じているからこそ、まず自分が誰よりも今年はじめた夢中教室という事業に誰よりも夢中になっていこうと思います。

そんな2021年にしていけたらと思います。

今年は本当にたくさんの人に支えられた1年でした。
この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。

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