主人公はもはや誰「鬼滅の刃無限列車編」

空前のブームを起こしている鬼滅の刃。その内容について今更説明も必要ないだろう。「千と千尋の神隠し」の興行収入を超えるといわれている今作は、コロナ渦でありながら、数多くの観客を劇場に呼び戻した。その功績は「TENET」とともに称えられるべきであろう。
 さて、この「鬼滅の刃」であるが、去年はTV版が深夜に放送されていた。なぜかそれが国民的大ヒットとなったわけである。この記事では劇場版、「無限列車編」について書きたい。

「鬼滅の刃」のヒットの理由

「アニメの作画がきれい」「主人公が優しい」などなど、ヒットした理由の有力な説はたくさんある。そのどれか一つだけが理由ではないだろうし、きっとヒットは複合的な理由によるものだろう。(話はずれるが、コロナ渦での不安がヒットに結び付いた、というのは間違いであるとはっきり言えるだろう。なぜならヒットしたのはコロナの直前だからだ)

製作者たちの意図を妄想

TV版は那田蜘蛛山編でいったん終了し、無限列車編へと引き継がれる。きっと製作者たちもここまでのヒットは見込んでいなかったのだろう。「名探偵コナン」や「ドラゴンボール」、「ドラえもん」など、人気漫画はTVの流れとは外れたエピソードを映画にするのが主流である。
 (※重要!ここからはアニメに疎い筆者が、自分なりに映画の狙いを考えて妄想してみたものである。頓珍漢なことを言っていたら本当申し訳ない)
 そんな中「鬼滅の刃」が重要なエピソードを映画にしたのは、この作品のカルト性を意識していたからだろう。アニメ好きの人たちが見て、鬼滅いいなと思いファンとなる。おそらく深夜にやっている(配信で見た人も多いとは思うが)アニメだし、ここまでヒットするとはだれも思っていなかったわけである。だから狭く深くファンを獲得し、ファンのほぼ全員が劇場にやって来る、という戦略だったのではないか。コアなファンを獲得し、一般層は狙わない。その思惑は思わぬ形で実現する。ファンは劇場に詰めかけた。そして親子もやってきた。国を挙げての大ヒット。これが「鬼滅の刃ムーブメント」である。

作品レビュー 

さて、製作者の心境の妄想はここまでにして、作品の内容に入っていこう。まず、この作品がどうだったか、そして「千と千尋」を超えた作品として日本映画の代表作となるであろうことについてを述べていこう。

 無限列車。なんとも心どるのは筆者だけだろうか。子供っぽいといえばそれまでなのだろうが、本作はサブタイトルの「無限列車編」が素晴らしくいいタイトルだ。かっこいい。
 「無限」とは「夢限」の意であり、鬼が夢を操ることを暗示している。 
 「鬼滅の刃」は真面目な戦いのシーンでも高い頻度でふざける。例えば序盤に炎柱、煉獄杏寿郎が炎の呼吸を大見えを張って披露する。そのすぐ直後にギャグシーンである。この行ったり来たりが緩急となり観客を飽きさせない。
 そして敵役の鬼、厭夢の恐怖演出もいい。ハイトーンボイスでのびやかなセリフ回しは聴くものを不安にさせる効果がある。戦いの最中で見せる七変化もデヴィット・クローネンバーグの映画のように奇妙である。
 もちろんおなじみの面々の活躍もいい。竈門炭次郎は優しく、我妻善逸はかわいらしい。嘴平伊之助は元気だし、禰豆子は体のサイズを自由に変えてかわいらしい。彼らにも相応の活躍の場面が用意され、特に善逸の覚醒場面は心が震える(そして案の定、ギャグが挟み込まれる!)
 だが、本作最も重要な人物は煉獄杏寿郎であろう。予告編では鬼滅を観たことのない人が「この人が主人公か!」と見まごうほどフューチャーされていた煉獄杏寿郎。彼のクライマックスでの戦いぶり、そして戦い終わって炭次郎にかける言葉は胸に響く。

主人公は、誰? 

先ほど製作者の意図を妄想したが、この主人公出ない煉獄杏寿郎の異様なまでの活躍ぶりも根拠の一つである。
 普通、アニメの映画化は主人公の活躍を描くはずである。しかし本作の半分以上は炎柱の話と言っていい。しかも炎柱はTV版では一瞬しか出ていない、ほぼはじめましてのキャラクターなのだ。
 そんな彼の話を映画化できたのは、やはりカルト映画にしたかった(実際そうなっているという見方もできるが)製作者の意図があったのではないか。

千と千尋を超えるとき

 以上が筆者の鬼滅の刃の感想である。ネタバレをしない記事なので深いところまでは語れなかったが、おおむねこんな感じで楽しめた。
 筆者は漫画をほとんど読まず、漫画独特の構文なども苦手だったのであるが、これを見て少しは漫画も見てみようかなと感じた次第だ。
 さて、最後にこの映画の歴史的価値を考えて終わろう。この映画は、コロナ渦でありながら歴史的ヒットを飛ばしている。おそらく「千と千尋の神隠し」の興行収入を超えるだろう。しかもコロナ禍だ。平時ならどれだけのヒットになったか予想がつかない。その意味では仕方のないことだがポテンシャルを活かしきれなかった作品ともいえる。
 さて、このヒットに微妙な感情を抱く人もいるようだ。
鬼滅の刃、300億円も間近に「すごいけど複雑…」 | Lmaga.jp https://www.lmaga.jp/news/2020/11/186990/

 こちらの記事では、「千と千尋」を抜いて「鬼滅」が一位になるのを悲しむ声が聞こえてくる。なるほど、確かに宮崎駿の映画と比べると流行りものという印象はぬぐえないだろう。また、「鬼滅」は娯楽に特化した作品であるため、その芸術性やメッセージ性、社会性を疑問視しているのであろう。
 先ほども言った通り煉獄杏寿郎の言葉は胸に響くし、社会性はともかく「作画がきれい」というのは芸術の範疇に入るかもしれない。「鬼滅の刃」と「千と千尋の神隠し」、何がどう違うのだろう。

ジブリと「推し」 

 「鬼滅の刃」のファンが作品の魅力を開設するときに「推し」などのワードが使われることがある。「伊之助推しなんだよねー」などである。ジブリ好きが「千と千尋の神隠し」のハク推しなんだよねーと言うと若干違和感がある。ジブリに「推し」という言葉はあまりマッチしない。
 最近のアニメ全般に言えるが、アニメキャラクターはもはや現実のアイドルのように応援し、ファンになる対象である。ジブリはそこからやや距離を取っているように感じる。
 そしてそのアニメの「推し」的な応援の仕方が軽薄に見え、ジブリ越えが悲しいという意見が出てくるのかもしれない。また本作が「泣ける」という声もあるが、それは「鬼滅の刃」ファンが過剰に感情を載せているからということもあるだろう。それも楽しみ方の一つであり、一切否定の気持ちはない。が、ファンが泣けるということを、一般的な評価にしてしまっていいのかは疑問が残る。

鬼滅の刃のこれから 

「鬼滅の刃」は終了した漫画である。これから評価はどうなっていくのであろうか。
 筆者は漫画に疎いが、疎い視点から見た日本の漫画界で、「鬼滅の刃」の前の一大ブームと言ったら「進撃の巨人」である。しかし進撃の巨人のイメージは国民に広く知れ渡ったものの、その映画がこんなにも話題になることはなかった。そういう意味でも、この先「鬼滅の刃」がどのようにブームを終了させるのかが気になるところである。
 ブームが去ったものは手のひらを返されたように表舞台から消えるが、「鬼滅」の場合、偉大過ぎる記録を残してしまっている。消えるに消えられないだろう。
 おそらく「鬼滅の刃」が忘れ去られることはない。しかし、ブームの過ぎた後、どのような形で愛される作品になるのか、全く想像がつかない。一体、この作品は日本にとってどのような位置づけになるのであろうか。見ものである。

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