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なかったことになりそうなゴーストバスターズ2016についての話

 この間、2016年に公開された映画「ゴーストバスターズ」を観た。オリジナルでは全員男性だったバスターズのメンバーを女性に変えたり、うまく時流を読んだ作品だったといえるだろう。いい出来だったと思う。しかし、である。悲しいことに、この作品は「なかったこと」にされそうなのだ。

 主人公、その旧知の友人、科学者、新メンバー兼白人以外の人種枠、全員が女性である。女性のエンパワメントが叫ばれる今、こういう変更はとても面白い試みだ。

しかし、それについて物言いがついた。YouTubeにアップされた予告編にはは多くの低評価が付き、Twitterでは「フェミナチ」向けに作られた映画だと批判を受けたという。

「フェミナチ」とはアメリカで使われるフェミニストの蔑称らしいが、なるほど日本でもフェミニストというだけで理屈の通らない暴言を吐かれることも多い。石川優美さんのTwitterなどを見ていても、この様子はおぞましいほど伝わってくる。

そのような女性の権利を「正当に」主張することは一部の(そしてそんなに少なくはない)人々の脊髄反射的な反感を呼ぶ。恥ずかしながら、自分にもそんな時期があったことを認める。だからこそわかる。「女性の台頭が怖い男性」とか、そういった理屈を超えてなぜか不快になる、そんな人々が一定数いるのだ。

そんなミソジニーにあふれた人々にこの映画はロックオンされた。その結果、炎上が起こったのだ。

そして、この映画はめちゃくちゃ面白いのに、続編が作られない。なぜなら新しいリブートが制作されるからだ。

制作人が続編を作る気が満々だったのは明らかである。エンドロールのあとのおまけとして、新たなゴーストの存在が示唆されている。これで続編を考えていないという方がおかしい。

新作はジュブナイルものとなるらしい。NETFLIXで「ストレンジャー・シングス」が流行っているので、2016年のリメイクと同じく時流を読んだ作品になるのは間違いない。

ただ、この2016年リブート版ゴーストバスターズをなかったことにしていいのか、それはとてつもなく惜しいことなんじゃないのか、と強く思う。

女性が軽視される社会の中で、女性が主要な映画を作ることは意味がある。全員が女性なんて男性への逆差別だという批判もありそうだが、そもそも女性はアクション映画で主役を張る機会が少ないので、雇用の均等という意味でこれでよい。また、本作の根底に女性への讃歌がある。その映画で男性の出番が少ないのは仕方がないといえる。求められてないのだ。

それにだ。そんなことを抜きにして、この映画はとてつもなくおもしろかったじゃないか。

(!!!!!!!!!!以下ネタバレあり!!!!!!!!!!!!!!)

例えば最初の幽霊屋敷で、仲間の科学者がポテチをむしゃむしゃする場面。そしてなぜかビンタで悪霊が退散する場面。危機を市長に知らせに来た主人公がテーブルごと引きずられる場面・・・。どれもめちゃくちゃセンスのあるギャグだ。

極めつけは雷神ソー役で有名なクリス・ヘムワーズのあほさ加減だろう。大きな音がして目をふさいだりと、登場から一貫しておもしろい。「かっこいいのに残念な受付」であり、主人公たちが顔で選んで事務所のマスコットにする。これは男性社会へのいい皮肉にもなっている。

ひとつ、この映画で気になる点を挙げるとしたら、いわゆる「オカマ」キャラの劇場支配人である。

「オカマ」キャラをオーバーに演じて笑いを取ろうとしていたが、それは果たして許されることなのか。差別的な笑いも、当事者同士であったり狭い枠組みの中だったら許される事例もあるだろう。

しかし、みんなが見るこの映画で、そこまでのリテラシーが観客にあるかどうか、不安になってしまった。注釈でもあればいいが・・・。

最後に苦言を呈したが、この映画の面白さ、少しは伝わっただろうか。ぜひTSUTAYAでレンタルして、この映画を忘れないようにしてくれたら幸いである。

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