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「自己愛」①ー"ビジョナリーキャンバス"で気になったこと深堀りします。

今回は、ビジョナリーキャンバスのセッションでもテーマになることが多い「自己愛」についてお話してみようかと思います。 

現代社会では、「自己愛が大事」だとよく言われます。

ですが、自己愛ってそもそも何なのか? ということを、なかなか明確に示しているものは世の中に少ない気がします。
僕自身、セッション中に自己愛についてお伝えしようと思っても、伝えきれないことがよくあります。

そこで今日は、些細な日常の出来事から“自己愛とは結局どんなものなのか”を考えてみたいと思います。
お付き合いください。


自己愛って何?

よく耳にする概念として「"自分が自分にしてあげたいことをさせてあげる"のが自己愛だ」という話を聞きます。また「自分をよしよし、と撫でてあげることが自己愛だ」という話も耳にします。

よく聞くこの2つから考えると、「自分が自分にしてあげたいこと=自分を撫でてあげること」という方程式が成り立ちますが、僕自身いまいちピンときません。笑
また、自分自身の体験として、「自由に仕事をする人生を自分に許せている俺って、自己愛に溢れてるよな?」と自問自答する時があります。
が、これも実は「YES!」と腹落ちしにくい自分がいます。(単に僕が天邪鬼なのでは? という解釈もできますが……笑)

僕が思うに、この違和感は「愛情表現の違い」ではないかなと思います。
どういうことかと言うと、人ぞれぞれ愛情表現が全く違うからこそ、自分に向ける愛情表現である自己愛も1つに定義することが難しくなるということ。 

みなさんもここで少し、一緒に思い浮かべてみてください。 

誰かに撫でてもらうこと自体を、「愛情表現をしてもらった」という人もいれば、「そんなの欲しくない(自分を下に見られている気がする)」という人もいますよね。 

自己愛を誰かに定義される違和感

基本的に、「自分が思う愛情表現と人が求める愛情表現は違う」ことは往々にして起こりえますし、ビジョナリーキャンバスで様々な方のセッションをしていると「愛情表現ってこんなにも千差万別なのか」と感動することがあります。
そして同時に僕が感じるのは、"自分が自分にしてあげたいこと"も人それぞれ違うものがあるという感覚です。 

自分の中にある愛情表現に向き合う

僕の仮説ですが、自己愛は極めて主観的な、自分の中にある愛情表現を理解したときに確認できるものだと思います。
そしてそれは、決して誰かが教えてくれるものではないということです。
では、どのように僕たちは自分自身の愛情表現を理解していくのか。
 
次回は「自己愛」を更に深めるため、自分自身の愛情表現の理解についてお話していきたいと思います。
 
次回の投稿もお楽しみに。

※私が投稿する情報は、数多くの"ビジョナリーキャンバス"のセッションを経て洞察を深めた仮説ベースの情報です。
記事の内容を全面的にうのみにせず、自身の実体験をもって「確か」だと確信したものを自分の人生に採用してみてください

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