Track 05.『CD-MM』/オオヤケアキヒロ
行きては戻る旅、歩き続ける道中。
ここの所雨ばかり降るから、最近ずっとアノラックを着ている。傘を刺さないのは手が塞がるから。
白のシエラに乗る時でも、備えとしてバックパックに丸めて入れてある。気づけば同じような服が幾つかクローゼットに並んでいる。
ここの所、会う奴みんなが項垂れて座り込んでいる。雨宿りしようよと言って手を差し伸べても、握り返さずに濡れてしまったことを悲しんでいるか雨が降ることを呪っているばかりで埒が開かない。溺れてしまうんじゃないかと心配になる程ずぶ濡れの奴ですら、差し出した手を取ろうとしない。
無理矢理引きずり起こしても暴れてへばりついていたい奴だっているし、なんとか立ってすぐ近くに物影があるというのにふらふらと見当違いの方向へ行く奴も。何度か見兼ねて上着を貸してやることもある。
リアクションが無いならまだいい方で、貸したものを強請ったりしれっと自分の物のように着たまま去ろうとしたり、理解の及ばない例だとなんでお前ばかりがそんな気の利いたものを着ているのだ、卑怯だと罵られることだってある。
欲しいものを手にできない事情は胸が痛むし、誰しもが思う通りに生きることができる訳ではないという事は頭では分かっている。が、働いた金で必要を感じるままに買ったお気に入りだ、どうするかは俺が決める。
なんとかいうブランドの商品でどこで買えるよとか、お前が愚図ってる間に働いて買ったんだよ、とか舌尖の硬軟を臨機応変に使い分ける時は、必要以上の希望も絶望も与えず、それでいて躊躇しない事を心掛ける。時々体に教えてやる時もあるが、その時も同じだ。
俺もお前も神じゃないから、片手で肩を掴み、徒に甚振らず正確に警告を与える。最悪の時でも手心は加えるが、慈悲心は見せずに急所を殴る。
気持ちなんてわかって貰わなくていい、アリとナシとマジだけは明確にする、ただそれだけの事だ。それだけの事なのだが、業だけがずっと増えていく。
国道沿の畑に里芋の葉が列をなして揺れている。たまには傘でも刺してみようかと近寄ってみると、アマガエルがじっと座っていた。小さくて柔らかい、それでいて意外と太々しいくらいに芯のある顔をしているカエル共が俺は子供の頃から好きだ。せっかく素敵な合羽を着ているのにこいつの邪魔をするのも気が引けて、俺は歩道へと戻った。ターコイズの俺とライムグリーンのこいつは兄弟みたいなもんだ。
紫陽花の並木の前を通った時、だいぶ早い梅雨入りを思い出した。今年の夏はどうなるんだろうか、ずっと雨が降るのか、ずっと暑いのか、それともあっという間に寒くなるのか。そう言えば何日かは忘れてしまったが、六月はあいつの誕生日だ。七月生まれの俺もそうだが、夏生まれは凛としているようで起伏が激しい。空と同じだ。
空を覆う濁った雲の下で濡れた緑は美しい。青空の中でももちろん美しいが、ベストじゃない状態でも美しく在ると言うことは何と力強いことだろう。
美しい青が碌でもないのは、マトリックスのピルくらいのもんさ。
さて、青に身を包んだ俺は果たしてどっちだろうか?
隣にいた誰かにそれ、カッコいいなと言われたこのターコイズのアノラックは今でも俺のお気に入りだ。そいつの為にあげても良かったが受け取らなかった。
そいつは雨の日にはちゃんと傘を持っていたし、俺は自分の住んでいる所にも傘を置いてなかった。その時は少し歩く速さが合っていたのは、俺に誰かに合わせる余裕がまだ合ったからか、それともあいつが合わせてくれていたのに俺が気づいていなかっただけだろうか。無理にでも渡していたら、今でも一緒に歩いていただろうか?いいや、終わった事を逡巡しても無駄だ。あいつが居なくなった時、部屋に残していった傘を見てようやく歩幅の違いを理解した俺では何も変えられなかっただろう。
今なら何か変わるだろうか?いや、誰かに強請られたものを与えたところで何も良くならなかったし、その時点で約束なんかを忘れられる事だってザラだ。贈物は意思が宿っているものでなければ意味がないし、それを分かってもらえると思うとがっかりするよな。自分の血肉を分け与えるような行為だ、少しは何かの作用があって欲しいのは痛いほどわかる!だが、もう自分にとっては手放した物だ。
ただ今は、もっと良い傘を持っているか、雨に怯える事ない屋根の下で安らいでいてほしい。それこそ幸せの象徴である家庭の中で惨めな気持ちで過ごさねばならない事だってない訳じゃない。傘を拾っては捨て拾っては捨てするヤドカリみたいな生き方で幸せになれるわけ無いだろうという負け惜しみのような気持ちも隠さないが、何が合っても最後には必ず色褪せつつある愛を持って、俺は祈りを捧げながら旅を続ける。
防水加工がされた化学繊維のフードと中に被った野球帽の鍔を雨が打つ音が体に伝わるのと、右耳に挿したイヤホンから音楽を聞きながら、俺は歩き続ける。雨、風、雪、歩く道すがらいろんなものが降り注いでいく。
ガキの頃、風で傘に振り回された挙句、お気に入りだった濃紺の傘が死んだタコみたいに逆剥けになってから俺は傘を信じていない。時々SNSや着信が届くと、近況報告や他愛無い雑談をする。仕事の電話は適当な対処や平謝りでやり過ごす。傘を刺さない俺を、追い抜く車や家路に急ぐスーツや制服が怪訝な顔をして一瞥する。
片耳分の集中力を残しながら、俺は音楽と自分の中の言葉に鼻の下くらいまで埋没する。
こうやって歩いているだけでも、道は色んな情報で溢れている。項垂れて居るだけの奴ら、睡眠か昏倒かわからないアスファルトの上での横臥、痴話喧嘩、涙、流血、ベンチでの睦言、死骸や種を啄むカラス、ゲロに突っ伏すバカと摘むハト、睨む猫、飲食店のダクトから流れるうまそうな匂い。夜になれば建物から怒声や鳴き声、何かの割れる音、カップルとは違う変なムードで連れ立った男女のスレ違い様に威嚇するような気配、みっともない喜悦の声、まあ色々ある。
時々コーヒーや煙草の賑やかとして耳と目を澄ませてみるが、イケてる音やカットはそうそうない、うんざりする事の方が相当多い。しかし、俺だってその中で生きているわけだし、その音像の中から歩き出したから懐かしさすら感じる。
が、あまりいい気持ちはしない。
⁃ “幸せになりたいなぁ”
⁃ “幸せになれる筈だったのになぁ。まあ、こんなもんか”
⁃ “ほんとにこれで良いのかな?“
⁃ “こんな筈じゃなかったのに!”
⁃ “こうすれば上手く行くのに、なんで分からないの?“
⁃ “私は悪くない!悪いのはお前だ!全部台無しだ!“
⁃ “何がいけなかったんだろう?何で誰も教えてくれないの?”
⁃ “ああ、もういっか・・・“
⁃ “楽しけりゃ良いじゃん“
⁃ “今は幸せだよ、今は、ね”
どれもこれも俺には幸せになりたい!という叫びに聞こえる。雑居ビルからも団地からも心の底から幸せそうな声や音が聞こえて来ることは少ない。
耳を澄ますたびにうんざりもするが、どうしようもなく淋しい気持ちになる。同時にもっと真面目にやれよ、とムカつく気持ちもある。
俺たち皆が強さと癒しを、純潔と猥雑を、正義と悪を、どちらも等しく求めている。
分かち合い、奪い合う。敬い、蔑む。憎んで、愛する。そして、拾い集めた物に振り回されて、すり減って疲れる。堂々巡りだ。
俺達の生きているこの世界は美しく尊い物で溢れている天国であり、同時に罠のように醜悪な悪徳と快楽無しでは生きていけない地獄なのかもしれない。どっちになるかはきっと自分次第なのだろう。
そう、この世は愛で出来ている。素晴らしいものも醜いものも全て。水と空気と金が必要なように、それなしじゃ生きていけない。掴んではすり抜けるそれは澱粉でもあり、砂金でもあり、コカインのようなものでもある。が、誰もそれを言わない。焼き上がったパンのように最初からどうとでもなるものだと思っているんじゃないだろうか。
実際のところはそんな上等品が手に入ることは中々ない。盗んだり、偽物で誤魔化したり、ほんの少しだけ曖昧な値段を付けて売り買いしたりする。それすら出来ない奴は呪ったり、不当に誰かに押し付けたり奪ったりする。決して悪いものではない筈のものが、随分安っぽくて粗悪な物と出来損ないばかりに変わってしまう。
まるで最近の缶チューハイみたいだ、マジでくだらねえ。
自分の言葉で安酒を煽りたくなった。コンビニに足が勝手に向かったが、鳩尾に滲み上がってくる感情を良いに任せたくなかった。
コーヒーを買って外に出た。煙草に火を付けて落ちてくる雨を見つめた。最近何をしても遠くにいる誰かのことが気になるし、遠くで聴こえるカエルの鳴き声と耳元で流れるC.O.S.Aのリリシズムに心を委ねている。
疲れとカフェインの高揚と、ニコチンの鎮静が入り混じって、何だか言葉が腹の底で集まってくる、どれどれ。
アホなカエルの話
誰しもが愛に飢えている、それは時代のせいなのだろうか?
それもある、が、愛の質と量自体がだいぶ劣化と枯渇の傾向にあるのだろう。
愛に飢える感覚、力が入らない苛立ちや絶望、焦げつくような痛み、飢えにも似たそれは寂しさと言う名前が付いている。流れ出た体液で出来た屍泥のような所に愛は根付いて、そこに俺たちは集って生きている。巣を作る鳥も、隙間を縫う魚も、隙を突いてさらってしまう毒蛇も、斃れたものを啄む小魚や蟲や甲殻類もいて、まるで葦の群の中で役割が決まっている生態系だ。
少し違うのは、皆が種族が違ってもほんの少しは言葉が通じる事くらいか。
完璧とは言えないまでも、それが問題なのだが。
葦の島には一匹の太ったカエルがいた。
普段は押し黙っているが、一旦口を開くとでかい声で喚き、腹が満たされるまでがっつき、女のケツを追いかけて力の限り足掻いて跳ね回る、
気さくなのか気難しいのかよくわからない、歌を聴くのが好きな奴だ。
そんなカエルが面白いからだろうか、彼はより強い生き物とも顔を合わせる事もあった。
立派な立髪と派手な毛並みを持つライオンの背中を追いかけたこともあるし、 小柄だが美しい、気高さと狡猾さを併せ持つ、人懐っこくて可愛いお尻の
完璧な狐に恋をした事も。
強い奴らと一緒にカエルは鍋を囲んだりして大きな声で笑う一方で、
いつもみたいに押し黙って話を聞いていた。
強い奴は戦いと奪い合いに疲れてみんな傷ついて疲れていた。
守るものに裏切られる事だってある、そんな悲しみに満ちた生だ。
が、時に残虐に奪い取り、狡猾に掠め取った勝利で生き抜いてきた。
その事実を特段誇ってはいないが、それが生きる術であるという
事実も彼らは手放せない。
カエルにはライオンの戦い方はどうやっても出来ないし、
歌だけでは狐の心の中で生存本能に結びついている寂しさや
不安を取り除く事もできなかった。
カエルはカエルなりにしか彼らの気持ちを汲めない事に虚しさと苛立ちを
感じていたが、どうしようもなかった。
真似をして噛み付いてみたりでかい声で吠えてみたが、
それはカエルの跳ねっ返りでしかなかった。
誰も交わる事ができない悲しさが残った。
ライオンも狐も居なくなったし、カエルもどこかで交わる事ができない寂しさにうんざりして葦から離れ、あまり鳴かなくなった。
多分みんなどこかで思っていた。
「あいつ、まあまあいい奴だっだけどな」
もしかしら、もうそれも忘れているかもしれない。
唯一、カエルを除いて。
カエルはあまり笑う事もできなくなった。
両親や友達の気持ちまで分からなくなったし、
どうせこいつらも居なくなるんだろ、と思うと何だか虚しくて、
穴蔵に引き篭もり勝ちになった。
出稼ぎに葦の島へ戻るようになっても、遊び上手なテナガザルや
年取ったイグアナと打ち解けたり、
意地の悪いチンパンジーやアホなリトルグレイと
歪みあったりしてすり減った。
そのうち歌うことも忘れそうになったが、
たまに顔を合わせる友達とは随分顔を合わせる頻度が減ったがまだ話していた。義に厚いがどこかで義憤を捨てられない柴犬がたまに抜け出して遊びにきたり、泳ぐ事を強要され続けた陸亀と悪巧みしたり。
葦の中で居場所探しに、皆どこか疲れている。正しいやり方がわからないのだ。それがカエルを苛立たせたが、身に覚えのある虚しさだった。
どうにかしないとと思ってカエルは自分の穴蔵の前に出たものの、
何も術がなかった。
穴の前に、葦が一束生えていた。
狐やライオンと遊んでいた時にくっついてきたのだろうか。
すっかり衰えてしまった足腰を使って、カエルは一先ずその葦を耕す事にした。その時、体を使う事と歌うことしかできない事を思い出したので、
歌いながら土を掘り返したり水を運ぶ事にした。
いつかこの葦が広がった時、そこでまた柴犬や陸亀と腹一杯飯を食ったり、
大声で笑ったり、カッコいい背中や可愛いケツを追いかけて跳ね回ろう。
どこかでまた、アイツらと会えたらいいな、
その時はぶっ殺されるかもしれないけど。
そう願って歌い続ける。
(了)
・・・まとまりの無い安い寓話だが、今俺が出来る事、これからカマそうとしている事ってのは、こうやって物語を紡ぐことだ。
もう知っているかもしれないけど、俺がカエルさ。今は誰にも寄り添えないが、俺が感じた事や言いたいことは全部端折らずに歌い続ける。
だから俺は鮮やかに着飾って、貪欲に飯を食い、かわい子ちゃんのケツを追いかけて俺の言葉で自分自身をプレゼンする。
そんな時はどれだけ着飾っても、中に着ているのは真っ白なシャツだ。まん丸でも痩せていても、カエルの腹は白くなきゃいけないから。
その辺でウシガエルがひっくり返ったり、アマガエルがグシャグシャに潰れている。いい気持ちではないが、こいつらは脇目も振らずに生を貪っているはずだ。そう思えば、天晴れな死に様だ。
全盛期を過ぎつつある肉体が痛む時、絶望に襲われた時、誰かが死んだなんて話を聞く時、死が俺達の鼻腔を突く。生まれた理由なんて判りはしないし、意味なんてあるかどうかもわからない俺たちは、時々それに救いを見出したりする。俺はそこから降りた。
愛っていうのは素晴らしい、そしてロクでもない。生まれた時点で、みんなそうだと思うが俺は誰かの愛に満ちた祈りを受け取っている。そして俺と言う物語の上で素晴らしいものを貰ったし、クソな事も押し付けられた。俺は上手く愛を伝えられないけど、それでも貰ったら渡すか、それができないなら受け取らずに返すしかない。
だから俺はベストなやり方で受け取ったそれら全てを、より良いものに変えたい。
ここからは戦いなんだ、死のベールをうっすらと纏いながら、生を肯定し、負の連鎖を断つ、その為の俺なりのやり方が試され続ける。
だから俺はしばらく誰とも寄り添えない。だから、代わりに癒しも求めない。それでは何も解決しない。業ばかりが増えているが、それでも少しはこの詩が届いているだろうか?
こんな俺で良ければ、話くらいは声でも掛けてみてよ。
もし気が向いたら、一緒に戦ってくれよ。案外楽しいぜ。
友達も、かつて心を通わせた人も、口を揃えて言う。
「ねえ、毎日が地獄だよ」
だけど、あんまり有り難くない噂をを俺はどこかで聞いてしまったんだけど、地獄も天国もお沙汰の後に行くところらしいよ。何か後ろめたいことを隠していないかい?
俺?俺はいっぱいあるよ。俺が怒りや憐憫や侮蔑を純粋にぶつけられないのは、俺自身がそんな沙汰の後の世界から来た身だし、まだ未練もあるから、そしてまだそう言うところで生きているからに他ならない。他人事なのは、そこに背を向けてでも行きたい所があるからだ、それは例え友や古き良き思い出を向こうに回してでも。
何度でも繰り返し口に出す。俺は歩いている。逃走であり、闘争だ。探しているものの名前は知っているが、形も在り処も在り処も知らない。何もかもが皆と一緒だ。
それでも、俺のやり方が一番マシだと思っている。
でも、正しい道に行けなくても、みんな戦っているのは知っているし、俺には真似出来ないほどよくやっていると思うよ。
だから、顔を上げてくれ。
そして、自分で自分を汚したり殺したりしないでくれ。
俺は今、誰かに寄り添うのを止めている。
もう俺は俺の戦いで手一杯だから、人の痛みなんてわからないし、正直なところそんな事は分かりたくもない。
けど、皆から受け取った物があるから俺は歌っている。いつかはまた、向き合う時が来るだろう。
探してる物が見つかったら、みんなに真っ先に伝えにいくよ。
その時は一緒に、心から笑いながら乾杯しよう。
いらないなら、全部独り占めするぜ!
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