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情報過多

スマホ、ネット、SNSが定着して情報に溺れそうになる。
我ながら「溺れる」とは面白い言葉を使ったと思う。

そもそもスマホもSNSもネットの中のサービスで、ネット(インターネット)はWWWのことでWorld Wide Webの略で、WebがWave(波)に発音に似ているから、インターネットを見て回ることをネットサーフィン(波乗り)と言われるようになった。

だからネットの情報が溢れて「溺れ」てしまうのは何だか表現が合っていると思う。

と、言うような酒の席でしか使えない雑学も、溢れる情報の一つだ。

1日の情報量

現代人の情報量ってどのくらいなのだろうかと考えてみた。

「現代人が1日に触れる情報量は、江戸時代の1年分。平安時代の人の一生分」なんて記事があった。でも、その根拠はどこにも出ていなかった。

単純に東京から京都まで移動中の情報量を考えてみる。
距離500km。
江戸時代、徒歩で移動したことを考えると、
 500km÷(徒歩の分速80m×60分)≒104時間
現代。新幹線だと2時間40分

移動のスピードは34.6倍になっている。

見える景色も情報の一つだと考えれば、歩きながら見ていた景色が高速で目の前を通り過ぎていくので、情報量も34.6倍になったといえる。

これは見える景色の情報だけなので、景色に加え新幹線内の車内放送やドアの上にある掲示板のニュースを含めるとさらに多くなる。

「浦賀に大きな船が来たらしいぞ!」
という話題があれば、江戸時代にはその話題で数日(もっと?)持ちきりだろうが、現代なら1時間後には「ペリーさんという人」。3時間後には「開国のため」などの情報が入ってくる。
黒船は7日くらい停泊していたらしいが、現代なら翌日には出港してもおかしくない。
事前にアポが取れていれば、来日から対談を終えて出国するまで滞在時間3~4時間というものある。

江戸時代。地方の農家さんなら、
数日後    「あんた。江戸に天狗が出たらしいよ」
その翌日   「昨日の天狗は、異人さんだったらしいよ」
さらに数か月後「なんでも、開国だってさ」
と、情報はもっと遅いだろうから、情報量の差は100倍と言われても納得できる。

つまり情報が多い

日経新聞の1日の記事数は毎日1,000本以上もあるらしい。日経以外の芸能ニュースやいろんな業界のニュースもあるだろうから、重複する内容を減らしても数千本の記事が毎日発信されている。さらに、その記事を読んだ人のコメントもSNSで発信されているので、膨大な情報となるが、上記の江戸時代の一節のように目を汚すだけの書き込みもある。

そのようにあふれた情報を集めて、有用な情報だけにすることをキュレーションという。(本来は美術館などの学芸員の「キュレーター」が語源)

自ら数千本の記事に目を通して、自分に必要な情報を集めるのは不可能だと言える。だから「お気に入り情報キュレーター」が必要だと思う。

FacebookやTwitterで、次々に流れていくどうでもいい書き込みも、無視しようとしても目に入ってつい読んでしまう。
だから、この人(企業)の情報は不要だと思ったら、すぐに「受信拒否」、「表示しない」にしないと、無用な情報に時間を割くことになってしまう。

情報発信者が価値のある情報を発信しているかを見極める
「お気に入り情報キュレーターのキュレーション」
をしなければならないと思う。

人に価値があると思われる情報かどうかを見極めながら、記事発信しなければ「自分もゴミ箱に入る対象」になってしまうと思った。

最後に

在宅ワークでラジオをつけて作業しているが、

この曲が流れてきた。
今年公開されるアニメ映画の曲らしい。いい曲。

これもどうでもいい情報かな?

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