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好奇心と善意をつなぐ

久しぶりに、本当に多くの人の目に触れてほしい文章に出会いましたので、ひとまずシェアしたいと思います。

好奇心を原動力とする研究の可能性を非常にクリアに論じている文章です。

https://jaas.group/%e5%a5%bd%e5%a5%87%e5%bf%83%e3%82%92%e5%8e%9f%e5%8b%95%e5%8a%9b%e3%81%a8%e3%81%99%e3%82%8b%e7%a0%94%e7%a9%b6/

ちょっとだけ引用しますね。

「次の科学的革命は何でしょうか?」

私はいつも同じように答えることにしています:私には見当もつきません。ただ知らないのです。私が本当に答えることができる唯一の質問は、「誰が次の科学革命を起こすか」ということです。これへの答えは、何百年も前から証明されていることなので、私はよく知っています。次の科学革命は、科学に対する学際的な視点を持ち、リスクを冒す機会を持ち、仕事をするためのインフラを持ち、考える自由を持った科学者たちによって進められるでしょう。


資源としての好奇心

「好奇心」というのは、社会全体にとって非常に価値ある資源であるにもかかわらず、環境を整えればどんどん増やせるという不思議なものです。


とはいえ、好奇心を強く持ってそれを職業にしていける人は、社会の中のごくわずかな人々です。特権とも言える立場です。

他の人々は、強い好奇心を持たずに普通の暮らしをしている人も多いかもしれないのですが、そんな人々にとっては好奇心は不要でしょうか?

私はその真逆だと思っています。

少なくとも、どんな学校にいる学生でも、好奇心はないよりもあった方が楽しいと思います。学習のスピードも上がるでしょう。

どんな仕事についている人でも、その仕事を深く理解したいという好奇心を持って仕事に取り組むのは、成果への近道だと思います。

(私は自分の仕事である「寄付募集」を理解することに強い好奇心を持っており、それは仕事上で非常にプラスに働いてきました。そちらに関心を持ってくださる方は下記をご覧ください)


資源としての善意

私は、好奇心だけでなく「善意」も同様に、「社会にとって非常に価値がある資源で、環境によって増やせるもの」だと考えています。

たとえば寄付は、善意によって生まれる部分が大きく(それが唯一の源泉とは思いませんが)、このひどい世の中を少しだけましなものにするために、非常に大きな力と、さらに大きな可能性を持っています。


しかし、逆に言いますと、好奇心も善意も、悪い環境のもとでは簡単に失われてしまう、はかないものだと言えます。

「そんな知識は、将来お金にならないよ。」

と声をかければ、あやふやだった興味が形をなしつつあった大学生の好奇心をつぶすのは、簡単かもしれません。

「そんなボランティアなんかやっている余裕はあるの?」

と問えば、ロウソクの炎のような善意を吹き消すのは、簡単かもしれません。


好奇心や善意というのは、貴重で、はかない、しかし社会全体にとって価値のある資源なのだと思います。


好奇心と善意は、強い

さて、この2つの資源が組み合わさると、大きな可能性が出てきます。

たとえば、研究者の好奇心が、寄付という善意のお金によって自由を得たり、インフラを得たり、チャンスを得たりすることができるのです。

これがイノベーションの発生確率を高めることは間違いないと考えています。

また、自分の善意に基づいて社会課題解決の分野で働いている人が、好奇心を基に自分の仕事や新しい技術を研究する、ということにも可能性があると思います。

(私が最近知ったこの会社などは、好奇心と善意の最強の組み合わせの一例に思えます)


COVID-19で、多くの人が苦境にあります。この日本で飢えに苦しんでいる人も多くいます。しかし、そんな中だからこそ、好奇心や善意といった、はかない資源を、大切に育てていく必要があると考えています。


ちなみに、科学研究への寄付を募るという仕事は、この好奇心と善意の両方に満ちたキャリアを歩むための最高の方法だと思います。

私のチームの、ファンドレイザー人材募集はまだまだ受付中です。おもしろそう、と思った方はぜひご応募ください。

https://www.wantedly.com/companies/company_9707322

それと、私はいま、大学院で寄付についての研究をしています。その情報はこちらで流していますので、よければご覧ください。


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