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ぜんぶ、ウソだよ

「久々に来たか…」とベッドの上で呟いた。

眠剤の副作用なのかはわからないが、目覚めても全身が泥を被ったように重たく感じることがある。頭もボーッとして起き上がる気力がわかない。

枕元に置いたスマホを手に取ると時刻は6時37分。アラームは7時にセットしていた。

金曜日。今日を乗り越えれば2日の休み。しかし、定刻通りに出社するのは無理だと体が言っている。「午後出社にしてもらうか…」

ベッドから手を伸ばしてカーテンを少し開ける。自分の気分とは裏腹に、夏らしい暑さが伝わってくる陽気だった。

「もういいや、サボろう」

会社のチャットに体調不良で休む旨を送ってタオルケットを頭まで被る。月に1回はこうして仕事を休んでいる。有給休暇は残っているのだろうか。

再び目を覚ましたのは10時24分。正確に言えば目を覚ましたのではなく覚まされたのだが。

耳元でスマホが震え続けた。無視しようかと思ったがあまりに長いのでイライラしながら画面を見る。そこには女友だちの名前。横になったまま電話に出た。

「もしもし……」
「あ、出た」
「なに?」
「仕事じゃないの?」
「いや、仕事だと思ってるなら電話すんなよ」
「え、仕事中なのに出てくれたの?」
「いや……サボった」

二度寝のおかげか、少し楽になった気がした。ベッドから降りて冷蔵庫へ。飲みかけのお茶を飲みながら換気扇を回してタバコに火をつける。

「サボったってことは元気?」
「まぁ、元気になってきたって感じかな」
「じゃあ大丈夫だな」
「なにが?」
「暇でしょ?」
「まぁ……」

いつもこうだった。気づけばこいつのペースに呑まれている。そもそも連絡取るのも半年ぶりとか。気まぐれに連絡を寄越し、満足すれば去っていく。

「で、用件は?」
「海行こう」

てっきり昼飲みとかそっち方向の誘いだと思っていた。というか、そんなアクティブなキャラでしたか?

「海って、どこの?」
「江ノ島かなー」
「まじな海なのな」
「冗談な海ってどこだよ」

かくして、俺は仕事をサボった上に女と2人で海へ行くことになった。罪に罪を重ねていく。

ひとまず顔を洗って髭を剃る。髪をセットして寝巻きからTシャツとジーンズ姿へ。「海だからサンダルで良いか」と、いつ買ったのかもわからない白いサンダルを履いて外へ出る。

「クソ暑いな……」あとでネットニュースを見たら全国的に真夏日だったらしい。急に夏が本気を出してきたようだ。そろそろ地球は「徐々に」という調整力を身につけてほしい。

最寄駅に着いてホームへ上がるエスカレーターに乗っていると1枚のポスターが目に入った。それは明日行われる花火大会の告知だった。過去には当時付き合っていた彼女と行ったこともあるが、ここ数年は部屋から聞こえる花火の音を肴に、1人で酒を飲んでいる。

中途半端な時間だからか電車は空いていた。毎朝の満員電車も精神的に来るものがある。今日はそれから解放されたことが地味に嬉しい。江ノ島まで約2時間半。14時頃には着く予定とLINEを送ると「OK」というスタンプが送られてきた。

江ノ島は1年ぶりだった。「片瀬江ノ島駅」に着くと観光客の姿が目に入る。平日だろうと観光地は人が多いなと平凡な感想が頭に浮かぶ。とりあえず先に着いてるはずの友人に電話をする。

「もしもし、着いたけど」
「おー、今どこ?」
「駅。どこにいる?」
「え、海だよ」

なに当たり前のことを聞いてるんだ、とでも言いたいようなリアクションに少々イラついたが一呼吸して鎮める。

「海に向かえば良いの?」
「うん、そうしてー」

電話を切って海を目指す。雑な呼び出しだなとも思うが、いつものことである。慣れてしまった自分もどうかと思うが。

浜辺への入口に到着すると前方から手を振りながら近づいてくる女が1人。日傘にノースリーブの白T、マキシ丈の緑色のスカート。本日何度目かの夏を感じた。

「本当に来た。うける」

笑いながら肩を2発叩かれる。わりと痛かった。

「うける、じゃねーよ。誘ったのお前だろ」
「まぁ、そうなんだけど」
「今日そっちは休みなの?」
「シフト変わって金曜休みになったって連絡したじゃん」
「いや、そんなん覚えてないわ」

「覚えとけよ」と、また肩を叩かれながら浜辺へと足を運ぶ。

「よし、じゃあビール飲もう」

海の家を指差して友人は笑顔を見せる。

「酒飲みたかっただけなら江ノ島じゃなくてもよかったんじゃね?」
「バカか?海で飲むビールの美味さを知らんのか?」

めちゃくちゃムカつく顔をされたので軽く頭をはたく。「暴力ふるった!DVだ!」などと罵声を浴びたが、先に暴力をふるったのはお前の方だし、DVではない。俺とお前はずっと「ただの友だち」なのだから。

ビールを2杯注文して浜辺に腰をかけて乾杯した。空きっ腹にビールを入れるのは抵抗があったが乾いた喉を潤すそれは最高に美味かった。

「仕事サボって海に来てビール飲んでるって、すげークズ感あるな」
「たしかに。でもビール美味いでしょ?」
「めっちゃ美味い」
「じゃあいいじゃん」

悪戯っぽく笑う姿に胸が痛んだりもした。

「そういえば、お昼食べた?」
「まだ。今日はなんも食ってない」
「えーじゃあお昼食べよう」
「食べてないの?」
「一緒に食べるつもりだったし」

そう言って立ち上がると、スカートに付いた砂をはたき落としながら一気にビールを飲み干した。

橋を渡って江ノ島へ。弁財天仲見世通りに面した店に入ることにした。店外にディスプレイされていた海鮮丼が美味そうだったからだ。2人して同じものを注文し、ここでもビール(今回は瓶ビール)を頼む。

「なんで江ノ島?」

素朴な疑問だった。

「もともと行く予定だったから」

またそのパターンか、と思った。以前も一緒に行く相手が風邪を引いたとかで全く興味のない舞台に連れて行かれたことがあった。結果的には感動して泣いたが。

「彼氏?」
「まぁそう」

こいつ彼氏できてたのかよ。聞いてないんですけど。という気持ちは隠して会話を続ける。

「なんで来れなくなったの?仕事?」
「いや、なんか忘れてたらしくて、もう別の予定入れたから無理って言われた」
「そうだったのね」
「彼女との予定くらい把握しとけよって思わない?」
「んー、俺はアプリに予定入れとく派だからな。彼氏にもそうしてもらったら?」
「なんか、そこまで指示したら面倒に思われそうじゃん」
「ははは、可愛いとこあんじゃん」
「殺すぞ」
「こえーよ」

海鮮丼が運ばれてきた。腹ペコだったので余計に美味しく感じた。「めっちゃ美味い」という語彙力のない食リポをし合ってあっという間に食べ終わる。

「せっかく来たんだしガッツリ江ノ島を味わおう」という提案のもと、まずは江島神社を目指すことに。自販機でペットボトルの水を2本買って1本を差し出す。

「おーできる男感」
「前に熱中症で倒れられたことあるからな」
「ありましたっけ?」

とぼけた顔をされたが面倒なのでスルーした。

「互いに年取ったんだし体に気を使わないと壊れるからな」
「もう30歳だもんねー」
「やってることは学生の頃から変わんないけどな」

エスカーで江島神社まで行き、5円玉がないと喚くので俺の財布に入っていたのを渡す。賽銭箱に投げ入れて願いごとをする。「どうか、こいつがそろそろ俺の魅力に気づいてくれますように」

そこからは他愛のない会話をしつつ江ノ島を散策した。1年前に訪れた時は1人だった。その時も今日と同じように仕事をサボって来たことを思い出す。精神的に疲れていると海を見に行きたくなるのだ。

休みを入れつつ観光気分を味わっていると夕暮れ時になっていた。俺らは浜辺へと戻り、性懲りもなくビールを買った。

「やばい、夏感じまくってるわ」
「俺は若干、仕事サボった罪悪感もあるけどな」
「まぁそんな時もあるじゃん!今は今を楽しみたまえ」
「偉そうに」

ただ、心の中で感謝はしていた。こいつから誘われなければ憂鬱な気分を抱えたまま、部屋で1日を無下にしていだろうから。

「ありがとね」
「ん?」
「今日付き合ってくれて」
「毎度のことじゃん。まぁ、当日に誘われたのは久々な気もするけど」
「ダメ元で電話してよかったわ」
「俺がダメだったら他の奴誘ってたんだろ?」
「その時は1人で来てたよ」

本当かよ、と言いかけてやめた。いかんせんモテるのだ、こいつは。他にも候補はいただろう。だが、今は俺だけ誘おうと思ったと信じ込んで一夏の幸せを噛みしめることにした。

「晩飯どうする?ここで食べてく?」
「俺はどっちでも良いけど、お前は明日仕事だろ?あんま遅くなるとキツくない?」
「大丈夫!意外とタフだからね」
「まぁ、任せるよ」
「じゃあ晩飯も江ノ島ね。なんか良さげな居酒屋を探そう」

「なんか良さげな居酒屋」というフワッとした指針を元に駅周辺を歩いた。日が沈んできたがまだ暑さは厳しく、結局は昼と同じような海鮮系の居酒屋に入ることになった。

「今日何回目かわからないけど乾杯!」
「おつかれ」

互いにビールは飽きたのでハイボールを注文した。つまみに刺身やらなんやらを頼んで5杯ずつくらいは飲んだだろうか。気がつくと3時間経っていた。

「電車やばくない?」と俺はアプリで終電を検索する。しかし飲み始めたのが早かったのでまだ1時間はあった。

「酔い覚ましに浜辺を歩こう!」と友人は酔ったテンションで俺を先導する。夜の海も綺麗だなと思った。海の家もまだギリギリ営業しているようでその明かりが浜辺を少し照らしてくれる。

「あのさ」
「うん?」
「一緒に行くの彼氏だったって言ったじゃん?」
「ああ」
「実はさ、付き合ってはないんだよね」
「どういうこと?」
「あっちには彼女がいるのさ」
「……二股かけられてるってこと?」

友人は立ち止まって振り返る。

「んー、どうなんだろ。セフレくらいに思われてるのかもね」
「でも好きなんでしょ?」
「ははは、もうわかんないわ」
「お前さ、あんまこういうこと言いたくなかったけど」
「なに?」
「俺のこと振ったからにはまともな相手と付き合えよ」

そう。俺は過去、この女に告白したことがある。結果は今までのやり取りを見ていただければわかる通り、振られて「友だち」としての距離を保ってきた。

「そんなこと言われても仕方ないじゃん!もうそういう感じにしかならないんだから!ずっと!」

泣いていたのかもしれない。でも暗くてはっきりとはわからなかった。

「別に責めてるわけじゃないから。ただ、俺のこと振ったからには俺が諦め切れるような相手と付き合ってほしいんだよ。俺はお前のことセフレぐらいにしか思わない男よりも下だったの?」

正直な想いなど、この先も永遠に伝える気なんてなかった。しかし、堪えきれず言葉が口から溢れ出る。

「そうじゃない……私なんてもったいないと思ったから……」
「振られた時も同じこと言われたよ。でも、そんなんで納得するのは無理。お前が友だちの距離感を望むから頑張ってきたけど、そろそろ限界」

そういや今日は朝吸って以来、タバコを口にしていないとふと気づく。こんな時になにを考えてるんだ。

「じゃあ、もう友だちじゃいられないの?」
「うん。てかさ、お前は自分じゃもったいないとか言うけど、そんなの知らんから。お前は俺じゃ嫌なの?」
「嫌とか、そんなことは思ってない!だったら今日も誘ってないから!」
「んー、じゃあもう俺でよくないですか?そろそろ俺で妥協しとかない?」
「え?」
「ダメなの?」

もう伝えることは伝えきった。これでダメなら潔く去ろう。そういう気持ちだった。

「……本当にいいの?」

ずっと、聞きたかった言葉をようやく耳にした。少し、本当に少しだけど、泣きそうになった。

「いいに決まってんじゃん」

なるべく平静を保って右手でその子の左手を掴む。

「帰ろう。電車なくなっちゃうよ」
「うん」

長い付き合いになるのに、手をつなぐことさえ初めてだった。夏の暑さのせいなのか緊張のせいなのか繋いだ手はベタベタしていた。でも、その手を離すことなく、そして当然のように俺の家に2人で帰った。

気がついたら朝になっていた。そういえば眠剤を飲んでいなかったのにぐっすり眠れた。体のだるさもない。

しかし、隣には誰もいなかった。

「夢だったのか……?」と少し混乱した状態で体を起こすと後ろにあるソファーの方向から声がした。

「やっと起きた。寝すぎだよ」

振り返ると下着姿で寝転びながらスマホをいじっている。

「そんなに寝てた?」
「爆睡」
「まじか……てか、何時?お前仕事じゃないの?」

ベッドから飛び出して時計を見ると10時を回ったところだった。

「仕事はサボりましたー。とりあえずパンツくらい穿いて」

そう指摘されて自分が全裸なことを把握する。顔から火を噴く恥ずかしさに襲われながらベッド下に落ちていたパンツを急いで穿く。

「すみません、お見苦しいものを……」
「まぁ、今さらだけどね」
「クールだなお前……」
「あ、冷蔵庫から勝手にお茶出したから」
「全然いいよ……とりあえず一服したい」

俺はパンツ一丁の状態で換気扇の下へ向かう。24時間ぶりのタバコがこんな状況になるとは。感慨にふけっているとその子もやって来てタバコに火をつける。

「今日も天気いいらしいから昼間からビールでも飲んじゃう?」
「いや、ちょっと落ち着かせてほしいかな……まだ現実感がない」
「なによ、まさか後悔してるの?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、いいけどねー」

なんでこいつはこんなに冷静なんだと疑問に感じながらも、覚めてきた脳がじわじわと幸せを実感し始めていた。そしてふと思い出した。

「そうだ」
「どうしたの?」
「今日、花火大会あんだわ」
「え?どこで」
「いや、近所。こっから10分くらい歩いたとこに川あるじゃん?」
「知らんけど」
「あるんだよ。そこでやる」
「まじか!それはビールだな!」
「どんだけビール飲みたいんだよ」
「てか、花火と言ったら浴衣じゃない?浴衣買いに行こう!」
「はぁ?どこでだよ」
「ユニクロとかで売ってんじゃない?」
「そんな感じのでいいの?」
「気分を高めるためだからなんでもいいの!私の浴衣姿見たくないの?」
「見たいです」

タバコを灰皿に押し付けて、まずはシャワーを浴びることした。「替えの下着買ってきて」と先に風呂場へ入ったその子のために俺は早足でコンビニへと向かう。

海に花火に浴衣にビール。最高の夏ではないか。これから先もあいつとの予定で埋めていきたいな。初めて彼女ができたような気持ちでそんなことを思った。

「青春」の次は「朱夏」というらしい。なんだか素敵な字面である。青春は取り戻せないが、朱夏は今である。三十路を越えようと恋を、夏を楽しもうと思う。






そんな夏が来たら良いな……という長い妄想でした。

それでは最後にこの曲を。かせきさいだぁで「じゃっ夏なんで」


この文章をお読みになられているということは、最後まで投稿内容に目を通してくださったのですね。ありがとうございます。これからも頑張って投稿します。今後とも、あなたの心のヒモ「ファジーネーブル」をどうぞよろしくお願いします。