キモチと気持ち
「もうっ! あー言えば、こう言う」
頬をふくらませた彼女が、台所で木べらを片手に振り向いた。
さっきまで鼻歌を歌いながらミートソースをかき混ぜていたのに。
頭の上でゆるく結んだお団子が揺れた。
白いふわふわのニットがとても似合っているが、ソースが飛ばないか心配だ。
「だけど、ミヤも有給とれないだろう?」
「んん〜!!」
彼女は地団駄を踏む。
「そーゆー話じゃないのっ!」
はて、旅行に行きたいと言うけれど土日休みの彼女と平日休みの僕では予定が合わないという話ではなかったのだろうか。
僕らの職種では、連休をとるのも至難の業だ。
「だからぁ、それは後でいいの〜!」
ミヤが甘い声で非難する。
彼女曰く、まずは「そうだね、行きたいね」と答えることが重要。
「久しぶりに温泉なんていいかもね」などと意見を入れるとさらにベスト。
それから「あ、でも休みが取れないもんなぁ」と切り出すべきらしい。
「どうして、そんな茶番を……?」
僕は思わず困惑して尋ねる。
『茶番』と言ったところで、彼女がキッと睨む。
しまった。
これは、うっかりワードミス。
「だからぁ、そうやって会話のラリーをすることが大事なの! そうやってなんでもバスバス切っちゃったらぁ、何にも分かんないでしょ!」
ミヤは怒るときも可愛さを忘れない。
「『あ、悠くんも旅行行きたいと思ってくれてるんだなぁ』とか、『行くとしたらまったり旅がいいのね』とか」
そう言いながら、うっとり目を閉じる。
どうやら、会話のシミュレーションが頭の中で行われているらしい。
「なるほど、そうか」
僕は素直に答えた。
行けないことがわかっていても会話することで気持ちを確かめたい、という意図はわかった。
だが、一点気になることがある。
「しかし、そうすると、ミヤは本当は行かないつもりということか?」
「……」
「今すぐじゃなくてもいい。年末年始の旅行でもいいし、夏季休暇を合わせてとってもいいさ。僕は会話を楽しむより、ミヤと本当に旅行するために考えたい」
質問には答えずに、ミヤはぽろぽろと泣き出した。
「悠ぅくぅんんんんん!!」
かなり強い力で僕に抱きつく。
「ごめんんん!!!ありがとううぅぅ!!悠くんはとってもいい旦那さんだよおぉぉ!!」
おいおい泣くので、僕のセーターには早速涙のシミができた。
結いあげられたお団子が、ミヤが顔を動かすたびに揺れる。
僕の妻は、気持ちが大事な人で、僕のような堅物とは合わないだろうと思ったのだけど、考えていることを話すと割合すんなり理解してくれる。
たぶん、自分の気持ちが大事なぶん、相手の気持ちも大事なんだろう。
自分の都合を一直線に投げ合う僕らは案外お似合いなのかもしれない。
泣きじゃくる背中をポンポンとたたく。
「ミヤも、いい奥さんだよ」
「うわあぁぁぁんんん!!!」
泣き止ませるつもりが、ミヤは一層声を上げて泣いた。
『カフェで読む物語』は、毎週土曜日更新です。
よかったら他のお話も読んでみてね!
次週もお楽しみに☕️
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