ren
我が家の庭の端っこに、八重桜の木が1本植えてある。 この家に引っ越してきた年に長男が生まれ、そのタイミングで我が家の記念樹として植えたものだ。 植えた時には人差し指1本ぶんくらいの細い木だったものが、この30年で直径20cmはある立派な幹へと成長した。 最初の細さにうっかり柵のそばに植えてしまって、途中から横の枝が柵に当たるようになってしまい、泣く泣く枝1本を切り落とすことになった。 にも関わらず、毎年5月も終わる頃になると濃いピンク色の八重桜が、ずっしりと重たそうに咲き
同じ言葉を聞いても それを受け取る側の聞こえ方が違う場合がある。 良い意味で受け取る人 悪い意味で受け取ってカッとなる人。 「そういう意味じゃないのに」と気がついても 私はあまり訂正しない。 だって、悪い意味で受け取ってしまった人は、相手のことを 《そういうことを言う人だ》と最初から思っているってことだから。 いくら訂正したところで、その人にとっての《そういう人》という認識は変わらない。 つまり、それほど嫌われているということだ。
いまでも一番幸せな瞬間は 「お母さん」と呼ばれる瞬間だ。 この世に手放しで自分を必要としてくれる存在がいる 無条件で私を愛してくれる存在があることが とても嬉しかった。 私は存在を否定されて育ったから 全てに自信がなかった。 誰かに強く言われると何も言えなくなるし 誰かを頼ることも怖くてできない。 小学生のころから全部自分で決めて 誰にも相談できずに 手探りで生きてきた。
もう10年以上も前に卵巣に腫瘍が見つかって 『今後悪性に変化したり捻転する可能性がある』 とのことで摘出手術を受けた。 退院して数ヶ月後。 旦那の親族が 「新しい腕時計やら自分の物ばかり買ってないでrenちゃんに化粧品のひとつでも買ってあげたら?」 と言っているところを偶然聞いてしまったのだけど 「手術代俺が出して治してやったんだ。大変だったんだから良いんだ」 と笑いながら返していた旦那。 私が偶然聞いていたとは気付いて無かったみたいだけど、手術代は保険でお釣りがきたし、
人よりもほんの少し複雑な幼少期を過ごし 思春期も、成人してからも 割と波乱に満ちた日々を過ごしてきた。 結婚した辺りからやっと人並みに 『穏やか』と言える毎日がやってきて 生きて、普通に生活が出来るのならそれが多分 "幸せ"ということなのだろう。 と思いながら 多少嫌なことや我慢が必要な事柄にぶつかっても 残りの人生を何とかやり過ごしていこうと暮らしてきたけれど、 思いがけない事は突然襲いかかるものだ。 私はその、幼少期から大人になるまでの色々の中で 《心の細胞》の一部が
我が家には猫の額ほどの庭があって その通りに面した側沿いに小さな花壇を作っている。 庭の周りを囲っている背の高い柵の合間から 庭や花壇の様子は見えるようになっているので 小さな花壇に季節の花を植えている。 植物を育てるのは上手くないのだけれど、色々と植えているのは 庭の前の通りが近くの保育園児のお散歩コースになっているからだ。 毎日、よちよちと歩く子どもたちが庭の花を見て 「かわいい~」と口々に言いながら通り過ぎる。 あなたたちの方が数倍も可愛い。 春にはチューリップ、
何年経っても、子どもがいくつになっても 産まれて来てくれた日のことは昨日のことのように思い出す。 私のお腹から出て、初めて対面した時の表情や それからの大変だった日々のこと。 子どもが自分の誕生日をいつまでも喜んでくれて 幸せそうにしてくれていることが 何より嬉しい。 そんな気持ちになるたびに 自分の親はそんな風には思ってくれなかったんだという事実も 母親となってからひしひしと感じるようになった。 子どもたちには私のような悲しみを味わうようなことのないよう
「幼い頃の記憶が無い」と書いている人が居たので、お仲間かしらと読み進めてみたところ、小さい頃はこうだった、という内容のことを結構書かれていて(なーんだ。覚えてるじゃない)と思った。 普通はもっと、更に小さな時のことまで覚えているってことなのかしら…? 私が思い出せる一番古い記憶は多分、幼稚園の一日体験入園だから5~6歳?の頃。 でもその次の記憶はもう小学生の時のことだ。 もっと言えば、学校行事の記憶は殆ど皆無。運動会も学芸会も遠足も修学旅行の記憶も殆どない。 それらの行
例えば自分の周りの環境を疎ましく思ったり 理不尽なことに腹を立てたとして その時は至極まっとうな理由で (そう信じて) ひとに辛く当たったり切り捨てたりしたとする。 その時はそれが自分を守る精一杯で その行動が正しいとか正しくないとかは別のことで 仕方がなかったんだと自分にも言い聞かせはするけれど 長い時間、ずっと心から消えてはくれない。 そしてそういう自分のしてきたことはいつか 必ず自分に返ってくる。 誰かに辛い思いをさせたのならそれは数倍になって
それらしい症状が出始めたのは、まだお勤めしていた今から10年程前のこと。 更年期の症状は人それぞれ、出現する時期にも個人差はあるけれど 私はその頃既に、早々に生理も上がっていたので(超ラクちん) どこか(やっぱりな)という思いはあった。 一般的に言われてる平均よりも少し早めだったのは 40歳の頃に受けた手術やそれに関する当時の病気、 様々なストレスも積み重なっていたことも、一因になっているのかも知れない。 思えば、閉経する数年前から既に体の不調は色々あった。
誰にも言ったことは無いし、細かいデータがある訳でもないけれど 私が個人的にずっと感じていることがある。 遺伝とか、色々要因はあるのだろうと思うけれど それはシラガ(白髪)のこと。 年齢的に、自分にももちろん白髪はチラチラと生えてはいるけれど いわゆる若白髪が早くから多いとか、 同年齢からみても白髪が多い周りの人をみていると どうもイライラしやすい人に白髪の出現率が多いように思う。 数年前にお隣に住んでいた一家の御主人は、 当時まだ50代だったかと思うけれど、
男性の脳はこうだから、こういう行動を取るのは仕方ない。とか 気が付かなかったり聞いていなかったりするのも脳のせい。とか そういう話があるらしい。 脳がそうなってるんだから仕方ないよね。 そう思うと諦めもつくよね。ってことらしい。 まあ、そういうこともあるのかもしれないが そうやって「仕方ない」と思いたいだけのような気もする。 何でもかんでも脳のせいにしてしまえば 「そんなつもりはないんだけど脳が…」と言い訳が出来るし 忘れたって、気が付かなくたって、聞いてい
もう随分と前から視力が怪しくなっていて 騙し騙し、市販の安物で誤魔化していたのだけれど 細かい作業をしているとどうにも目が疲れてしまって やはりきちんと視力に合った自分だけのものを用意した方がいいのでは…? と思い立って、数か月前に眼鏡屋に足を運んだ。 綺麗に並べられた色とりどりの眼鏡に近づいていくと直ぐに マスクをしていても分かるほどにこやかに笑みを湛えた店員がやってきて 「何かお探しですか?」と話しかけてきた。 そう、今日は明確に『眼鏡を買おう』と思って来
昨日居なくなった小さな生き物の、生きていた余韻がそこにあって 丁度私の作業机の目の前で、昨日までは確かに息をしていたから つい、今もそこに居るような気がしてしまう。 目が合った様な気がして見直すと 空っぽになったうつわだけがそこにある。 私が側で何か物音を立てる度 「何をしているの?」というように こちらに向かってきてくれたのが懐かしい。 この 確かにそこに生きていた余韻は、暫く続くのだろうな。
この一か月ほど調子が悪かった。 あの手この手で様子をみていたけれど 数日前からは虫の息になっていて 餌も殆どくちにしない。 せめてひと口でも食べてくれないかと 口元に誘導してみたけど いったん口に入ったように見えた餌をすぐに吐き出してしまった。 ああ、もう、食べることもしんどいのだな。 私はどうも、小動物を育てるのが上手くないようだ。 きっと他の人に飼われていたなら、もう少し長生きできたのだろう。 もう新しい命を飼うのは止めよう。 私のせいで長く生きられ