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庭の桜

我が家の庭の端っこに、八重桜の木が1本植えてある。
この家に引っ越してきた年に長男が生まれ、そのタイミングで我が家の記念樹として植えたものだ。

植えた時には人差し指1本ぶんくらいの細い木だったものが、この30年で直径20cmはある立派な幹へと成長した。
最初の細さにうっかり柵のそばに植えてしまって、途中から横の枝が柵に当たるようになってしまい、泣く泣く枝1本を切り落とすことになった。

にも関わらず、毎年5月も終わる頃になると濃いピンク色の八重桜が、ずっしりと重たそうに咲き誇り、近所のエゾヤマザクラが散り始めることもあって、通りを歩く人が足を止めて画像に収めてくれていたりもする。
ちょっと誇らしい。

満開になると長男も嬉しそうに写メを撮ったりしているところを見ると、自分と同じ年月を共に成長してきた桜が綺麗に咲いている姿に、喜びもひとしおなのだろう。

その彼も数年前には家を出て、昨年結婚し、今は同じ市内の少し離れた場所にお嫁さんとふたりで仲良く暮らしている。
私は桜が咲く頃になると家の中から写真を撮って、桜と同級生の息子に、今年も満開になったことを知らせる。

でも今年、その八重桜が咲く頃に私はここには居ない。
昨年末に起こった例の事件で、もうすぐここを出てひとり暮らしを始めるからだ。

そうか、満開の八重桜をもう見られないのだな。
固い蕾が少しずつピンクの塊になって、徐々に膨らんでいく、あのわくわくするような風景を、もうこの部屋の中から見られないのだな。
「満開になったよ」と、長男に伝えることも出来ないのだ。

これからここに住む他の誰かは、この八重桜を大切にしてくれるだろうか?
(邪魔だな)と切ってしまうのだろうか。
そう思ったら何だか少し悲しくなった。

きっと長男も、この先、八重桜を見るたびに悲しい気持ちになるのかも知れない。
いままで幸せな気持ちで見ていた八重桜が、これからは悲しいものの象徴になるかも知れないことに気付いた、桜が咲く前の、最後の4月。

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