研究に対する意識の甘さたるや…

入学し、早2日。実際は院試が終わってからも、研究計画書に追われているのですが。
一歩進んでは三歩戻ってる、日々そんな感じ。
院試のために指導教官と研究計画書を作成しましたが、再度提出を促されています。これは私が通っている大学院では、なのかすべての大学院に共通しているのかはわかりませんが。
毎日のように、研究計画書をA4半ページぐらい進めては1ページ消したり、新しく1から書き直したり。

実は私、修士課程を出ていながら、「研究」はほとんどド素人なのです。
いえ、もちろん修士課程で、修士論文を書いていますし、査読付き論文も今のところ2本アクセプトされています。何がド素人なのかって「研究」に対する向き合い方、というのでしょうか。

私がこれまで書いてきた論文は全て事例報告や事例研究。それは修士論文もそうでした。
そしてその時に指導教官に言われてきたことが

「まずは実践しろ。方法を書け、結果を書け、それから考察しろ。考察に合わせた研究目的を書け。目的に合わせた研究背景を書け。」

端的にまとめるとこういうことでした。

発達障害学会の投稿マニュアル(閲覧:2024年4月2日)では、結果から書くことを推奨しています。この書き方は、実践にしろ研究にしろ、ある程度何を明らかにしたいかリサーチクエスチョンをしっかり持っている人が「やる」からうまくいくのではないかと思うのです。
私は結果的に査読付き論文として2つアクセプトされていますが、いずれも「明らかにしたいリサーチクエスチョン」というものを明確に持つことなく執筆しているのです。とりあえず日々の臨床でやったこと(結果)を考察して、それに見合う研究目的と背景(はじめに)を考えました、って感じですね。
ここが、研究者としての最大の弱みだと思っています。

昨年頃から、あることをきっかけにリサーチクエスチョンを持つことになりました(その時は、まだ「リサーチクエスチョン」だということにも気づかず、ただの「素朴な疑問」でしかなかったのですが)。
それが今の博士論文の研究テーマの素地になっています。大学院説明会時に、現在の指導教官と初めてお会いし、お話し、見事に視野を広げていただいた感じですね。

この3年間は修士課程の時に学ばなかった(学ぶことを放棄した)研究方法についても学ばなければなりません。3年間で5年分の学びを行う。
そんな気概で、社会人大学院生、1年目スタートです。

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