技術よりも大切なことがある
こんにちは。
クレイセラピストふゆかです。
何かを始める時、”上手になろう”と想うことは当然のこと。
大学2年生の秋、模擬国連に出場した。
開催場所はアメリカ。首都Washington。
何をするところなのかと言うと
”国際連合の会議を真似して世界の大学生がそれぞれの國の代表として問題提議をし集まって討論をしよう”という場である。
大きなイベントで、和多志はこんなチャンスはないと考えて出場した。
数名が集まり一つのチームになり本番の大会に向けてミーティングを重ね英語力や
問題解決力、スピーチ力を磨く。
当時の和多志の心境を振り返ると下心が丸出しだった。
ただ、アメリカという國でスピーチを堂々と披露できるという優越感に浸ってみたいだけであった。英語なぞ後からでもついてくる。
英語ができることよりも情熱。
何か関わりたい。世界で起きている問題よりも身近に助けを求めている人に
手を差し出せるか。
マザーテレサも生前言っていた。
インドに行くより、自分の家族や今付き合いのある人間関係をさらに良くするための努力をしているのか。そこに感謝の氣持ちが乗っているのか。
スキルを磨くことはもちろん必要なことだし
継続力も伴ってくるのでそこに集中するなということではない。
結果として、大学のお金でアメリカ合衆国に行くことができたことは本当にラッキーだった。
でも、何かが違う。
なぜなら、ただの見栄だから。
見栄を張ることって、通じないんだよね。
当時の和多志は学生の一人。
何かが人間として欠けていたんだろうと思う。(笑)
それをして何を得たかったのか。
本当の本当は自分は何をしたかったのだろう。
ここに向き合わない限りふわふわしてしまう。
最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。
クレイセラピストふゆか
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