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人は群れる そして異質を恐れ…

先週の土曜日、何年ぶりかな…並んで映画を観た。封切り2日目監督と男優の舞台挨拶があると言うので、並ぶか…そんなに入れないほど人が来るとは思えないけど…と。
友人も行きたいと言うので連れ立って、1時間以上前に映画館の前に着いた。もうすでに並んでいた。数えると30番目。よかろうと話をしながら待っていると、次から次へと列が長くなって角を2つ曲がったところまで繋がっている。そこで心配になり、友人が映画館情報を検索した。そこで顔が青くなった(と思うW)。席数は26席しかない。かなり老朽化した老舗のミニシアターであることは知ってはいたが、パイプ椅子を出すよね、きっと。立ち見ありかなとか考えながら待った。

何とか入場でき、椅子に座ることができてホッとした。終了後にサイン会があるという。ええっ、森さんに何て言おう…今までの色々な思いがよぎる。まだプログラムも買ってないのに、笑う。

観た映画は、「福田村事件」森達也監督 だ。元々森さんの作品(ドキュメンタリ映画、書籍)のファンだったこともあり、構想段階からずっと楽しみに待っていた映画だった。

関東最震災から5年目が過ぎた1923年、千葉県東葛飾郡福田村の利根川沿いで、多くの人が殺された。多くの人が殺した。でもこの事件を知る人はほとんどいない。皆が目をそむけてきた。見て見ないふりをしてきた。悲劇が起きてから100年が過ぎたけれども、事実を知る人はもうほとんどいない。
…………………
こうしてヒトは群れる生きものになった。
群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。
悪意などないままに、善人が善人を殺す、人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ知らなくてはならない。凝視しなくてはならない。
(映画プログラムの森達也監督の言葉より抜粋)

という内容で、監督初の劇映画だ。
千葉県野田市の近くに福田村はあった。全員の名前と顔が分かっているような小さな村で、慣習や仕来りを重んじた村民であることが描かれていた。夫や息子が兵隊にとられても、寂しがる事も嘆くことも許されない時代だ。そこに関東大震災が起きて、人々の暮らしは脅かされる。
そんな時、警察(国)は、鮮民(朝鮮人)迫害を密やかに始め、人々は鮮民は恐ろしい奴らだという妄想にかられ、恐怖感に襲われていく。自分たちの村を守るために竹槍を作り、戦う準備を始める。だけれど彼らは、鮮民を見た事がない。
讃岐からきた薬の行商人一団(被差別部落民)が村に差し掛かった時、ちょっとした揉め事から、彼らを鮮民と疑い、皆殺しにしてしまう。
史実を基に書かれたストーリーは、このような筋だった。

100年前の出来事で、当時日本は大陸で朝鮮人に酷い事をしていたらしく、仇討ちという文化がある日本人は、復習を恐れていたことが下地にあったことが薄らと描かれていた。
歴史上の差別問題や集団殺戮といった思い内容ではるが、森達也監督の視点は、いつものように柔らかで鋭い。
100年前の出来事がだ、古い昔の出来事だと思いを閉じることができなかったし、閉じれない事を知らしめていると強く感じた。

この物語に出てくる人々は、普通の人々だ、毎日自分と家族のために頑張って生きている。時に非道なこともするが、人情にもろく優しい一面もある。そんな人たちが、短い時間の中で、殺す人たちと殺される人たちに分かれ、まるで堰を切ったように槍で刺す場面で、人の弱さと愚かさを思い知らされた。

村は田舎にあり、今のように多様な情報がないから…と思ったけれど、この群れを作って、異質なものを排除していく様子は、情報化社会の現代でもある。確実にあった。変わってないと思ったし、だから同じような悲しい出来事が繰り返し起こっているのだなと、深く腑に落ちた。

人は群れる。それが生きるために必要だと知っているからだ。都合の悪いものを除けていく。除けられたものに憎しみが生まれ、それがまた暴れる。「だれでも良かった殺人 サリン事件(オーム真理教)など」は、それにあたらないだろうか。

舞台挨拶の時に森さんが言った。「極悪人は作りたくなかった」
人は、誰が悪くて誰が被害者か、犯人探しをして悪者を作る事で安心するところがあるようだが、誰がそれを決めるのだ。悪者だったとしても命を奪っても良い訳はない。

人は皆弱くて至らなく、取り返しのつかないことをしてしまうものであることは、否定できない。よく日本人は同調圧力に弱いというが、圧力を掛けられる前に自分で掛けでしまってないか、やがてそれが群れの圧力となっていくように感じた。だからいつも見つめていないといけない、自分の中にある周りの大きな声に惑わされない、善人の声に…。

映画終了後、プログラムにサインしてもらった。次の会場が待っているとの事で、数秒しかなかった。出た言葉は、
「今までずっと森さんの作品を見て色んなことを考えてきました。これからも考えていきたいので、作り続けてくださいね。」

森達也さんの視点は、私にいつも様々な思考の始まりを与えてくれる。この「福田村事件」も、観てからずっと頭の中から離れていかない。咀嚼に暫く掛かりそうだ。ゆっくり味わおうと思っている。

簡単なあらすじを書いてしまいましたが、微細な表現がこの映画では輝きを見せていると思うと、やっぱり観てもらった方がよさそうだ。

という訳で、私はこの映画、オススメ致します。(^^)

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