ショートショート 『'Round Midnight』
ヨッちゃんが川に浮かんだのは、2日前の朝だった。
川と言っても、ドブに毛が生えた程度のものだ。俺たちにはふさわしい死に場所と言えるかもしれない。
交番から来たポリは、
「どうせ酒でも飲んでたんだろう」
と言ったが、物価高に加えて政府の酒税増税で、俺たちに買える酒は減っている。
ヨッちゃんはゴミ捨て場に残っていた酒を飲んで死にかけたことがあって、拾い酒はやらないポリシーだった。つまり酔えるほど酒を飲む余裕なんてなかったはずだ。
「葬式とか、どうなるんだ?」
ヨッちゃんが浮かんだ弁天川を見下ろしながら、ジイさんが言った。「親兄弟の話なんか聞いたことがないが」
「あっても縁が切れてるだろう」
俺は答え、川にシケモクを弾いた。夜の中に火花が散って、すぐに消えた。「役所がどうにかするだろ。そのために税金払ってんだ」
「税金とか払ってるっけ? 俺ら」
宮が聞いた。
「奪られてるだろ、消費税」
「ああ、そりゃそうか。結構インテリなんだ」
「馬鹿野郎。お前、学校行け」
俺は宮の肩を小突いた。
「やめてくれよ、親でもねえのに」
宮が唇を尖らす。
「最悪だな、お前が子供だったら。学校には行かねえ、家出しまくる、俺らみたいなのにくっついて歩く」
俺は言い捨て、市民公園のほうに向かった。当たり前のようにジイさんと宮がついてくる。
ジイさんは文字通り爺さんだから構わないが、宮は未成年だ。背丈があって、小汚い成人にも見えるが、バレるとかなりヤバい。もちろん俺のほうがだ。
それは宮も承知しているようで、職質には完全に馬鹿のフリで対応する。相手のポリが嫌になるほど話の通じないレベルの。今じゃあ、この辺で職質を受けることはない。風景になっちまったほうが勝ちって奴だ。
市民公園を半周したところでマカオに会えた。
相変わらずの厚化粧だ。街灯のない暗がりから現れると、さすがにギョッとする。その辺で乳繰り合っているアベックには良い刺激になるかもしれないが。
「可愛そうなことしたね、ヨッちゃん」
マカオは言った。
「そうでもねえさ、こんな世の中」
「まあね」
マカオは首をふり、芝生に座った。俺も腰を下ろす。カーゴパンツの尻に冷気が染みた。ジイさんと宮は、少し離れたベンチで駄弁っている。
「で、情報ねえか?」
マカオは微妙な顔をした。マカオには貸しがある。
「………あんまり良い筋じゃないよ」
「それはこっちで判断する」
「了解。………ヨッちゃん、本当に酔っ払ってたみたい」
「誰が飲ませた?」
ヨッちゃんは不器用な質だった。殴らせ屋で稼いだこともあったが、顎が外れやすくなって廃業したらしい。たいした金をもっていたはずはない。
「ここだけの話」
マカオは言った。
「分かってる」
「『栗とリス』の柳井ってボーイが連れてるのを見た、ってのがいる」
ぼったくりバーだった。
「まだやれんのか、あの手の店」
「ゴキブリみたいなもんだからね。潰しても潰しても、別のところに湧いて出るわよ」
「そこの坊主がヨッちゃんに飲ませて、何か得でもあんのか?」
「基本、ないでしょうね。川に落として遊ぶってのでもない限り。後、あの店って………」
マカオは口を閉じた。
スケボーの餓鬼どもがゴロゴロやかましい音を立てローソンのほうに向かっていく。世界はテメエのためにあると妄想できるのが若さだ。
「宇野龍二」
マカオは小声で言った。その業界に疎い俺でも知っている名だった。「組公認でやってるわけじゃない。副業みたいよ。名義は嫁にして」
「ヤクザも食えねえんだな」
マカオは立ち上がり、薄手のコートの裾をはたいた。生臭い香水が夜風に舞った。
「………分かってると思うけど」
俺は手を振り、公園を出ていくマカオを見送った。
膝を蹴ると、柳井はあっけなく転がった。膝カックンのハードバージョンだ。
念の為、右の膝も蹴って伸ばした。一週間はまともに歩けない程度に。
「このクソがっ!」
身体をねじって喚く、アイドル顔を靴底で蹴った。
ザクロなんて食った記憶はないが、それっぽく柳井の顔は砕けた。色あせた金髪に赤が混じって良い具合だ。
「話せるようになったら挙手しろ」
俺は言い、建築資材を覆ったブルーシートに座った。
2分もしないうちに、柳井は手を挙げた。
馬鹿な話だった。
『栗とリス』で散々飲んで、支払いでゴネたオッサンをボーイどもで締めた。逃げようとしたオッサンは非常階段を転がり落ち、呆気なくくたばった。
そこまでは良い。
連絡を受けて出向いた宇野が確認すると、オッサンは本家筋に近い組員だった。
宇野の指図で死骸を始末した、その出入りをスナックビルの裏でゴミ漁りしていたヨッちゃんに見られたってことだ。
「糖尿のくせに、糞オードブルのシャインマスカットとか好きだったからな、ヨッちゃん」
俺は頭をふった。
「僕は放っておこうって言ったんですが、宇野さんが口封じしてこいって」
血の泡を垂らしながら柳井は弁解した。「ぐでんぐでんにして車に轢かせるか、弁天川に放り込むか、好きなようにしろって………」
「で、川を選んだわけだ?」
「駄目でしたか?」
俺は角材で柳井の背中を殴った。
折れたのは角材のほうだった。柳井は失神しただけだった。
柳井を縛り上げ、貸倉庫を出た。シャッターを下ろす。
「スゲえ慣れてんだ、この手の処理」
見物していた宮が言った。「格好良い」
「馬鹿か、お前は」
俺は言った。「殴ってる奴は、いつか殴られるんだ。格好良くなんかねえ」
「そんなもんかあ。でも、どこで覚えたん?」
無視しようとしたが、口は勝手に動いた。
「お前、PKOとか知らねえだろうな」
宮は戸惑った顔をしただけだった。代わりに、
「自衛隊屋さんだったか」
表のガードレールに寄りかかっていたジイさんが言った。
俺はうなずいた。
「戦争中毒のアメ公に付き合って行った挙げ句、向こうでいきなり銃撃戦だ。精神がぶっ壊れて、長期休養で家庭崩壊だ」
「嫁とかは?」
「餓鬼を連れて実家に戻ったきり連絡なし」
「染みる話だな。………で、どうする? 警察にでも教えるか?」
「そこだな」
俺は夜空を見上げた。細かな雨が降り始めている。
ヨッちゃんの仇は討ってやりたいが、やり方まで考えていなかった自分に気づく。やっぱり俺はまだ病んでいるんだろう。
尻のポケットでスマートフォンが震動した。
発信元はマカオだった。耳にあてると、
「宇野だ」
妙に甲高い男の声が告げた。
宮は最後まで嫌がったが、
「今度、俺の前に来たら、柳井と同じ目にあわせるからな」
と脅して家に帰らせた。しばらくはこの辺りに寄り付かないだろう。
その点、ジイさんはあっさりしたもんだった。
くたばったオッサンが属していた組に、柳井の写真つきでコトの顛末を教える、それだけを頼まれてくれた。驚いたことに、最近のヤクザの事務所はメールアドレスを持っていた。
本家筋からすれば、宇野の組など武闘派を自称する半端者の集団にすぎない。俺がしくじったとしても、宇野に明るい未来はないはずだ。
俺がやることは、マカオというオカマを助けることだけだ。柳井と交換で。
「………違うな」
俺はどこかの馬鹿が3Dプリンタで作った水鉄砲にしか見えない銃を撫ぜ、つぶやいた。
正直に言ったらどうだ? ヨッちゃんもマカオも知ったことじゃあないと。
お前は沸騰させたいだけだ、血を。何人が待っているか、死に場所か生き場所か分からない場所で。確実なのは、そこが俺専用の戦地だってことだ。
俺は柳井を引き起こし、無理に立たせた。柳井が細い悲鳴をあげる。
宇野と約束した深夜0時が近づいていた。
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