【毒親】自分はいい母親なのか?#8
今回は、少々本筋(ふゆのHSC気質と不登校)からそれた話、というかもう一つの本筋(私の過去)とも言いますか、そういう話なります。
色々話をしながら、ふゆにいわれたことがあります。
ママは、私の感情に寄り添ってくれない
これは何とも実感できないことでした。
HSCを育てていると、伝え方にとても苦労します。
伝え方だけでなく、表情からいろいろ推測してくるので、思ってもないうわべだけの言葉では響かないのもやっかいです。
なので自分なりにしっかり知識を蓄え、納得もし、きちんと問題と向き合って話し合っているつもりでした。
伝え方にしても、まずは相手を認める・できないことを責め立てないなど気を付けたし、そもそもがんばれ!や学校に行け!なんていったこともない・・・
あれれ・・・寄り添ってるつもり、であるんですが、まったく寄り添えてないらしい・・・??
話を詳しく聞くと
“そういう風に感じるならこういう風に考えるといい“
“そんな風に思うんだね?思ってもいいけど、そこから思考して別の面から考えてごらん“
など。
いとも簡単にいうから。
だと
そこにある、苦しいとかさみしいとか様々な複雑な「感情」が無視されている気がするのだと。
その時はピンときませんでした。
でも、のちのちある方のお話を聞いて、気づきがありました。
そもそも感情というものはコントロールできるものだと認識している自分がいたのです。
実際、私は摂食障害と広場恐怖症だった時期があり、自分ではどうしようもない湧き上がる衝動も知っているし、ゆがんだ認知の中でもがいた経験もあります。
だから苦しみは理解できるはずと思っていました。
しかし、その克服する過程でも、自分の感情や状態を客観的に見ることはさほど難しいと感じたことがない自分に気が付きました。
自己分析は趣味みたいなものです。
どう感じたか?というより今どういう状態でこれからどうすべきか?を常に考えている
感情がない・・・??
ないと言う事はないと思うのですが・・薄い・・・初めから閉じ込められて、出してはいけないものとされているような。
自分のことなのにどこか他人のことのようにとらえている自分が見えました。
抑えられない【感情】が私はわからないかもしれない・・・と思いました。
これって???
なぜ?
前述したある人、とはお坊さんです。
上記の悩みを相談する機会があったのですが
そのとき聞かれたのです。
もしかして、感情を出すことを押されられて生きてきませんでしたか、と。
また詳しく書きたいのですが、私は母の愛情がよくわかりません。
母は健在で、交流もあります。
でも、ああ、愛されてたなという感覚がないのです。
自分の感情をぶつけても、受け止めてもらえないこと、損をすることを小さい頃から感じていました。
何を言っても、結局母の都合や考えが優先されるからです。
中学生になるころには、誰も助けてくれないので自分のことは自分でしっかり考えて決めて行動しないといけないと思って生きてきました。
最近よく耳にする言葉「毒親」「毒親育ち」
母は、私にとっていわゆる毒親だったのかもしれないと感じています。
それは自分自身の問題だと思っていました。
自分が少しばかりかわいそうな人間なのだなと。
しかし、その影響がふゆにまで及んでいる・・?
その事実を知った今、感情の強さを読み取ろうと努力はしてるのです。
ただ、根底で理解できない芯みたいなものが残る感覚があるのです・・・
さして、新たな不安も生まれました
【私自身も、ふゆにとって毒親なのかもしれない・・・】
愛情をもらっていない私が、子どもに過不足なく適正な愛情を与えられることができるのだろうか・・・
「適正な愛情・距離感をつかむ」
いまそれは私の課題です。
正直、それがわからず自分の感覚(というより知識というか、、)で対応していたことが、HSC気質とすこぶる相性が悪かった気がしています。
ただただ、ふゆの幸せを願っているからこそ、
それを自覚し、修正したい
自分自身の欠陥を生み出した自分の母親(自分の過去)とも向き合う必要があると感じています。
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