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【不登校】学校の教室は柵のない屋上#2

「毎日柵のない屋上で苦手なドッジボールをやらされている感じがする」

ふゆが学校のことをそう表現しました。

それは誰だって苦痛だなぁと思います。

でもなぜ?

屋上でもないし、ドッジボールも強要されていないのに。

お腹が痛くなるのは、要は学校をそういう風に感じるから、というのは容易に想像できます。

しかしなぜ、上に書いたようなことを感じるほど学校が無理なのかがさっぱりわかりません。

「何か嫌な理由があるんじゃないの??なにもないなら学校がそんなにいやなんて不思議なんだけど?」

と、本当に疑問でふゆに聞いてしまいました。

その答えは

「私もそう思う。みんな、嫌だなぁと言いながら頑張って通ってるのだから、私は何でみんなにできることができないんだろうと思う

「でもわからないんだよ。本当に。これ以上どう頑張ったら学校が平気になるのか

「毎日私は頑張ってるんだよ。」

今思い起こせば、これはふゆの心の叫びでした。

これ以上ない学校に行けない理由だったのに。

【頑張ることに疲れたから、疲れ果てたから行けなくなった】

ふゆはこの時、ただただどうすればわからずに苦しみだけを感じていたのだと思います。

とりあえず苦しいことを分かってあげる必要があった弱ってしまった心を休める必要があったのです

苦しさのどん底でその苦しさの奥にある理由と向き合わせるという行為は愚かだと

今ならはっきり言えるのだけれども。

それは本当に今だからこそわかることであって、その時に私は

ふゆが学校にいけない理由を、とにかく明確に知りたかった。

なんで学校がそんなに行くことの難しい場所なのか、何が原因で校門をくぐれないのか、とにかく「わからない」ことには前に進めないと思ったからです。

当時の私はとにかく知らないこと分からないことがただひたすら不安だったのです。

それは私の不安であり、その不安をなくしたいのは私の都合であったのに。

理由を知って改善方法を早急に見つけることが、ふゆを苦しみから救う方法だと信じて疑っていませんでした。

“自分のことなんだからわかるでしょう?

しっかり考えて。

何が無理なの??

何がそんなに学校を苦痛にしているの??

落ち着いて考えたらきっと見える

それを一つ一つ解決していけば、きっと大丈夫だから”

(・・・めちゃくちゃ追い詰めてるなぁ・・・)


ふゆはそれにちゃんと答えようとしてくれました。

(いやぁ・・・ごめん・・・)

つらかったと思います。

ただ、そこに一縷の望みを見いだしたのも確かだったようです。

理由が分かれば、私は学校に行ける頑張れる・・・と思ったそうで。

一生懸命考えて、ふゆが小さな声で言ったのは

「自分がどうふるまえばいいのかわからない・・・

自分が本当に考えて言っていることなのかどうかも、

本当にしたいことなのかも

そもそもどうしたいのかわからなくなって

自分が自分じゃなくなって苦しい


????

よくわかりませんでした。

「どういうときに、そんな風に思うの??」

「・・・さっきまで仲良く話していた子や、たいして知りもしないクラスメイトのこと、陰で悪く言うんだよ・・・

そういうのが多いんだよ

そういうのを見ていたら、何気ない会話の中でもすごく自分の言葉や態度に気を使うというか・・・

相手が言って欲しい言葉とか私にいて欲しい立ち位置とかをすごく探るようになっちゃって・・・

結果発した言葉とか態度とか大丈夫だったかな?って思って

ちょっと戸惑ったり不快感のある表情とかされると、あ、間違ったって思ったり

嬉しそうな顔してても、裏ではやっぱり悪く言ってるかもしれないって考えてしまったり・・・

自分が話したい事とか、考えられなくて」

そうしているうちに人と話せなくなり、人の目も怖くなってきてしまって、人にあふれる教室が苦痛になったということでした。


自分は嫌われたくないと思うあまり、はみ出したくないと思うあまり・・・

相手の心情を深読みしすぎ、気を使って過ごしていたところ

あれ???これって本当に自分が思ってることなの?言いたいことなの?
となり

自分が分からなくなって

もやもやした重い感覚がストレスとなってたまっていったのだと言います。


このとき話を聞いても、確かに自分が自分でいられないと言う事はストレスではあると思うけれど・・そうかぁ!それは大変!というより

ちょっと気にしすぎよなぁ・・・繊細過ぎる・・・こんなことでは社会でやっていけないぞ

と私は思いました。

このとき、ちょっと過敏すぎないか?とおもったのが、彼女がHSCであることを知るきっかけになりました。








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